第5話



 取り込み中とおぼしき応接間を行き過ぎ、廊下の行き止まりにある小さな部屋に足を踏み入れた。そこは応接間の様子をうかがうことが出来る秘密の小部屋だ。

 秘密と言ったが別に珍しいものではなく、何処の屋敷にも大抵ある監視部屋である。


「……エリスお嬢様、一体なにをなさるおつもりですか?」

「見て分かりませんか?」

「もしや、中でなにが起こっているか、エリスお嬢様はご存じなのですか?」

「静かに、中の声が聞こえません」


 私と取り引きをしたことを、早くも後悔していそうなラファエル卿を黙らせて、のぞき穴から応接間の様子をうかがった。


 そこには、赤い絨毯の上に組み伏せられたカミラと……膝を組み、椅子のアームパッドに肘を突いて、その手を頬に添える、まるで女王のようなローズマリーお義母様の姿があった。

 そして、ローズマリーお義母様の後ろには従者や使用人、護衛の騎士が控えている。


 お義母様の姿は悪女そのもので、物凄く様になっている。でも、そんなポーズをするから、みんなに魔女だと恐れられるんですよ!


 思わず突っ込まずにはいられないが、それはともかくと、彼女達のやりとりに耳を傾ける。立ち位置から予想はしていたけど、既にカミラが毒を盛った犯人だと断定されているようだ。


 カミラは無実を訴えているが、白状するのも時間の問題だろう。でもそれは困る。彼女が断罪されれば、私の大切な手駒がいなくなってしまう。

 私は急いで監視部屋を出て、今度は正面から応接間へと飛び込んだ。


「お待ちください、ローズマリーお義母様!」

「……エリス? 貴方が、どうしてここに……っ」


 ローズマリーお義母様は冷静を装っているが、その瞳の奥にはわずかな焦りが見えた。想定外の出来事が起き、私がお義母様を敵だと認識することを恐れているのかも知れない。


 でも……大丈夫ですよ。私はもう、味方を見誤ったりしません。そんな想いを込めてお義母様に微笑みかけ、だけど口では「どうしてカミラを虐めるのですか?」と問い掛けた。


 私の真意を測りかねているのか、ローズマリーお義母様は答えない。

 代わりに、背後に控える従者の一人が、「信じられないかも知れませんが、彼女がお嬢様のお薬に異物を混入させた犯人なのです」と打ち明けた。

 私は「まあ、たしかに信じられませんわ!」と無邪気な子供のように目を見張る。それから「なにか、証拠があるのですか?」と問い掛けた。


「いえ、証拠はまだ出ていませんが……」


 従者は、ローズマリーお義母様に意見を求める。

 おそらく、お義母様は既に証拠を押さえているはずだ。でなければ、カミラの用意した毒を、睡眠薬にすり替えるなんて出来るはずがない。

 でも重要なのは、いまこの瞬間、証拠がまだ突き付けられていないという事実。


「ローズマリーお義母様、なにかの間違いですわ。だって、私のもっとも信頼するカミラが、私の飲み薬をすり替えるはずありませんもの!」


 分かってくださいと、お義母様の目をまっすぐに見つめる。彼女は私の視線を真っ向から受け止め……やがて、「だとすれば、貴方はなぜ倒れたのかしら?」と問い掛けてきた。


 ――ここだ。

 お義母様はカミラがなにをしたか知っている。それでも私の話に乗ってきたのは、私がなにをしようとしているか興味があるからに違いない。


 問題は、誰が、どれだけ、事情を理解しているか、と言うことだ。

 アイラは知っていそうだが、ラファエル卿は詳細を知らないように思う。と言うか、お義母様が、重要な情報をすべての人間に共有するとは思えない。

 証拠を込みですべて知っているのは、おそらく一部の人間だけだろう。


 つまり私は、その他大勢に対してカミラの容疑を晴らしつつ、ローズマリーお義母様には、カミラに騙されている訳ではないと明かす必要がある。


 難しい試みだけど、なんとしても成し遂げる。

 まずは、その他大勢にカミラの疑いを晴らす。

 それ自体は難しくない。

 なぜなら、私は愚かな小娘だから。

 私はモジモジと身をよじり、少し恥ずかしそうな素振りで口を開いた。


「その……ここしばらく寝不足で、味覚がおかしくなっていたんだと思います。それで、いつもと違う味に驚いて、不必要に騒いでしまいました」

「なるほどね。では、急に意識を失ったのはどうしてかしら?」

「それは自己暗示のようなものかと。あと、寝不足だったのも原因でしょう」


 私が臆面もなく言い放つと、物凄く微妙な空気が流れた。カミラに同情に視線が向けられ、代わりに私には侮蔑の視線が向けられる。


 だが、なにを的外れなことを言っているんだ、このお嬢様は――とでも言いたげな顔をしている者もいる。おそらく、ローズマリーお義母様の腹心、すべてを知っている者だろう。

 反応の違う、その者達の顔を頭に叩き込んだ。

 その上で、ローズマリーお義母様に向かって告げる。


「もう一度申し上げます。カミラは薬と毒をすり替えたりしていません。トリアの涙が入っているように感じたのは、私の勘違いですわ!」


 その言葉に、なにも知らない者達は人騒がせなとでも言いたげな顔をする。そして、すべてを知っている者達は、呆れた思いを滲ませた。

 だけど、ローズマリーお義母様だけは眉をぴくりと跳ね上げた。それから、やれやれと言った表情を浮かべ、カミラへと視線を向ける。


「……カミラ、どうやらわたくしの早とちりだったようね。忠臣である貴方を疑って申し訳なく思うわ。このお詫びは必ずすると約束しましょう」


 ローズマリーお義母様の指示で、カミラの拘束が解かれた。私はカミラを心配する振りをして駆け寄り、彼女の両手を握り、彼女にだけ聞こえるように呟く。


「後で内密の話があるわ。一人で部屋に来なさい」――と。


 カミラは目を見張ったが、私は視線で反応することを封じた。

 次の瞬間、何事もなかったかのように彼女から身を離す。そうして、彼女との交渉を思い浮かべながら、ローズマリーお義母様達に騒がせたことを謝罪して退出した。



 ――ほどなく、カミラが部屋を訪ねてきた。

 私に対する毒殺未遂の容疑者である彼女の、真夜中の訪問だったが、ラファエル卿に言い含んでおいたことで、何事もなく部屋に通された。


 もっとも、私の行動を知っているラファエル卿は、なにか気付いているのだろう。物凄く、後悔しているような顔をしていた。


 残念ね、この世界は、騙される方が悪いのよ? そう言ったらこの世の終わりのような顔をしていたので、就職先は何処がいいか、妹に聞いておきなさいと付け加えておいた。


 それはともかく、カミラは緊張と不安をないまぜにしたような表情を浮かべていた。


「……私がなぜ貴方を呼んだか分かるかしら?」

「い、いえ、分かりません」

「答え次第では貴方の運命が変わるわよ。答えは慎重に選びなさい」


 軽く脅せば、カミラはブルリと身を震わせた。そして泣きそうな顔で訴えてくる。「本当に、私がなぜ呼ばれたのか分からないのです!」と。

 私は応じず、無言の圧力を掛けた。


「そ、その……エリスお嬢様が庇ってくださったことは分かります。それも、私が犯人だと予想した上で、ですよね……?」

「予想? 貴方が私にトリアの毒を飲ませようとしたのは事実でしょう?」

「わ、私はそのようなこと――っ!」

「していないというのかしら? なら、徹底的に調査するしかないわね。貴方、逃げ切れるかしら? 心配ね。中庭で薬を手渡してくれた相手の口は封じたかしら?」

「どっ、どうして……っ」


 私がカマを掛けているだけだと思っていたのだろうか? 私の口から具体的な話を聞かされたカミラは、信じられないとその目を見張った。

 私は手の甲で肩口に零れ落ちた髪を払い、ふふっと笑って見せた。


「大変よね、大侯爵家の令嬢に毒を盛ったなんて事実が明らかになれば。貴方一人の処刑で済むかしら? 無理よね、きっと。よくて慰謝料として子爵家の財産は没収。運が悪ければ、両親はもちろん、兄弟姉妹も皆殺しにされるんじゃないかしら?」

「あ、あぁ……っ」


 カミラがその身をガタガタと震えさせる。歯も噛み合っておらず、震えに合わせて、カチカチと歯のぶつかる音が響いていた。

 だから私は、カミラに優しく微笑みかけた。彼女が、私を味方と思ってくれるように。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る