第2話

「エリス様にあのような口を利くなんて、一体何様のつもりなんでしょう」


 背中を見送る私を、彼女を睨みつけていると勘違いしたのか、カミラが吐き捨てるように口にした。それにウェイティングメイド達も同調する。


「そのように言ってはダメよ。お義母様の言葉は、私を思っての言葉なんだから」

「とてもそうは思えませんが……」


 カミラは疑って掛かっているようだが、それも無理はない。巻き戻る前の彼女を見ていなければ、私もきっと信じなかっただろうから。

 と、私から離れていったローズマリーお義母様が、棺の前に立って参列者に視線を向けた。


「神父様を始め、この場にお越しいただいた皆様にお願いがあります」


 静かな、けれど凜とした声が式場に響き渡る。

 一体なにを言い出すのかと、周囲の注目を集めたローズマリーは、それを当たり前のような態度で受け止め、堂々とした口調で続ける。


「埋葬がおこなわれる前にどうか、ロードリックとの最後の別れをさせてください。これからの人生を、たった一人で歩む寡婦の切なる願いです」


 ローズマリーお義母様の言葉に、会場がざわりとなった。

 それも無理はない。

 この時点では、父のロードリックの残した、ウィスタリア侯爵家のすべての財産を、ローズマリーに引き継ぐという遺書は公表されていない。


 しかも、ローズマリーお義母様は、娘の私と四つしか歳が変わらない十六歳。私が遅く生まれた一人娘であることを考えれば、娘同然の小娘である。

 ロードリックお父様が亡くなったいま、彼女の地位は風前の灯火である。


 そんな小娘がなにを未亡人面をしているのか、と言ったところだろう。事実、あと数秒もすれば、私に味方をする者達がローズマリーお義母様に苦言を呈することになる。

 だから――と、私はそれより先に口を開く。


「私からも、みなさんにお願い申し上げます。ロードリックお父様も、彼女との最後のお別れを望んでいるはずですから」


 再び辺りがざわめいた。なにより驚いていたのはお義母様だったけど、私が追随したことで、異を唱えようとしていた者は口を閉ざした。


 こうして、参列者達は思い思いの思惑を胸に抱きながらも退出していった。残されたのはローズマリーお義母様、そして、退出した振りで柱に身を潜めた私の二人だけだ。


 これがよくないことなのは分かっている。

 でも、ここが原点。

 お義母様がどうして身を挺して私を護ってくれたのか、お義母様がお父様をどう思っていたのか、たしかめずにはいられない。

 そうして身を潜めていると、彼女は棺に手を添えてお父様に語りかけた。


「私にすべてを押し付けて亡くなるなんてあんまりです」――と。


 思わず『――えっ!?』と叫びそうになって、柱の陰で思わず両手で口を塞いだ。


 これから四年という月日で、他の貴族からウィスタリアの魔女と恐れられることになる彼女が、始まりの日にそんな泣き言を口にするなんて夢にも思っていなかった。

 でも、そうして驚いているあいだにも、ローズマリーお義母様は捲し立てる。


「ロードリック、貴方が亡くなって今日までの数日だけでも、既に数え切れないほどのお見合いの打診が来ました。それも、エリスだけでなく、わたくしにまでですっ!」


 きっとすべて、ウィスタリア侯爵の地位や名誉、それに財産が目当ての人々だろう。

 なんて露骨と、思わず呆れてしまう。

 でも、私がそう思えたのは、父が亡くなったのが私にとっては四年前の出来事だったからだ。もしも、やり直すまえの今日に知っていたら、私は暴れていたかも知れない。


「あなたから様々な教育を受けましたが、それでも荷が重すぎます。どうして、わたくしにこのような重責を与えて先に逝ってしまったのですか……?」


 そこからは、彼女のすすり泣く声だけが聞こえてきた。

 ローズマリーお義母様がそんな風に不安を抱えていることは意外だった。彼女はウィスタリアの魔女として、いつでも悠然と微笑んでいたから。

 自信満々の姿も、偽りだったのね……


 それでも、彼女は自分の命と引き換えに私を護ってくれた。決して死が怖くなかった訳じゃない。私と同じように恐怖を感じ、それでも、血も繋がらぬ愚かな娘を護ってくれた。


 ありがとう、お義母様。

 今度は私の番だ。

 未来を知る私が、ウィスタリア侯爵家を狙う人々からお義母様を護ってみせる。彼女を救うためなら、他のすべてを犠牲にしたってかまわない。

 そう意気込んでいた私は、いつの間にかローズマリーお義母様が立ち上がったことに気付かなかった。そして気付けば、涙を指で拭い、目を見張ったお義母様が目の前にいた。


「ど、どうしてエリスがここに?」

「え、あ、その……使ってください」


 ポケットから取り出したハンカチを差し出した。彼女は涙に濡れた瞳を丸くして、それから「ありがとう」と目を細めてハンカチで涙を拭った。


 その姿をまえに、私はテンパっていた。

 やり直すまえの世界において、お義母様は、一緒にがんばろうと申し出た私を突き放した。

 自分の弱さはもちろん、私を護ろうとしていたことすら隠し通した人だ。さっきの独り言を立ち聞きしていたと知られたら、彼女はやり直すまえ以上に私を突き放すだろう。

 なにか、ここにいるいい訳を――と、必死に考えた私はそうだと思い立った。


「ローズマリーお義母様に言いたいことがあります!」


 私はお義母様に食ってかかった。

 やり直す前の、愚かだった私のように。


「あら、なにを聞かせてくれるのかしら?」


 彼女は涙を拭い、そして不敵な笑みを浮かべる。さきほど弱みを見せた彼女はもうどこにもいない。私はそんな彼女に向かって問い掛ける。


「貴女はさきほど、これからの人生を一人で歩む寡婦とおっしゃいましたね?」

「え? えぇ……たしかに、そう言ったけれど?」


 それがなにかと、彼女は首を傾けた。


「ふざけないでくださいませ!」


 右手をばっと横に払い、彼女に詰め寄る。


「たしかにロードリックお父様は亡くなりましたが、この家にはまだ私がいます。それを、お忘れではありませんか?」

「……相続権は渡さないと、そういうことかしら?」

「ふんっ、誤解も甚だしいですわね。ロードリックお父様が亡くなり、私はいまだ未熟な未成年。私はどう足掻いたところで、当主代理の地位に就くのはお義母様でしょう」


 巻き戻る前には決して受け入れられなかった事実を、さも当然のように言い放つ。ローズマリーお義母様は少しだけ眉を動かしたが、すぐに平常を装った。


「……よく分かっているじゃない。それなら、一体なにが言いたいのかしら?」

「決まっています。寡婦となった侯爵夫人として当主代理の地位に就くのなら、娘である私の面倒を見ていただかなくては困ると言うことです!」

「……は?」


 お義母様が呆けた顔をする。

 でもこれでいい。

 一緒にがんばろうなんて言ったら、お義母様は絶対に私を遠ざけてしまう。だから、せめて、私がお義母様を頼りにしていると言うことだけは伝える。


「残りの人生、一人で歩めるなんて思わないでくださいませ!」


 胸を張り、ちゃんと側で私の面倒を見ろと訴える。ローズマリーお義母様は呆れたような顔をしていたけれど、いまは一人じゃないって伝わればそれでいい。

 そしていつか、お義母様がしてくれたように、今度は私がお義母様を護ります。

 

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