第1話
「――っ、はぁ……ここ、は……?」
ベッドから飛び起きた私は慌てて周囲を見回した。
壁にはお父様とお母様、それに私が仲良く寄り添う肖像画。それに、テーブルの上には私が好きな花が飾られ、ベッドサイドにはローズマリーから贈られた髪飾りが置かれている。
ここは、私が長年過ごしていた、ウィスタリア侯爵家の自室だった。
「……どうして、お屋敷の自室に? 私は、馬車で修道院に向かう途中、盗賊の集団に襲われて、そして……っ。うぐ……っ」
脳裏に浮かんだのは、短剣を持って迫る盗賊の姿。そのときの恐怖が甦り、私は想わず胸を押さえた。そこにノックがあり、ほどなくしてメイドが姿を現した。
「エリスお嬢様、お目覚めの時間ですよ」
私は目を見張る。私を起こしに来たのはカミラ。私の身の回りの世話を総轄するレディースメイドの地位にいる、私がもっとも信頼する使用人である。
だけどそんな彼女は、ローズマリーが実権を握った直後に消息を絶ったはずだった。
「どうして、貴女が、ここに……?」
「……寝ぼけているのですか? 朝だから、起こしに来たに決まっているじゃないですか」
「そうじゃなくて、貴女は……」
ここにいるはずがない――と、そう口にする寸前、カミラの姿が、私の知る当時のままだと気が付いた。あれから四年、年頃の娘の外見が変わっていないなんてあり得るだろうか?
そういえばと、あらためてベッドサイドに視線を向ける。そこにあるのは、ローズマリーから、十二歳の誕生日プレゼントとして贈られた髪飾り。
でも、それがここに残っているはずがない。彼女に裏切られたと思った私は、彼女から贈られた品を真っ先に処分したからだ。
「エリスお嬢様、しっかりなさってください。旦那様がお亡くなりになったばかりで辛いのは分かりますが、今日は葬儀の日です。しっかりとお見送りして差し上げねばなりませんよ」
「葬儀? お父様の? ……って、まさか――っ! ……嘘、でしょ……」
ベッドから降り立って、近くにある姿見を覗き込んだ。
先日、十六歳になった私は、ようやく女性らしい体型になってきたと喜んでいた。でもいまの私は、記憶にある自分の姿よりもずっと幼い体付きをしていた。
「はは、あはは……」
私は父が亡くなり、すべてが狂ったあの日。
なんの因果か、私は四年前のあの日に帰ってきたらしい。
「……お、お嬢様?」
カミラが困惑している。
それに気付いた私は咳払いをして取り繕った。
「ごめんなさい、もう大丈夫よ。葬儀に向かう準備をお願い」
「かしこまりました」
カミラの指示で、ウェイティングメイド達が部屋に入ってきた。
私は彼女達が用意した水桶を使って顔を洗う。そのあいだに、彼女達は喪服のドレスを用意して、顔を洗い終えた私の着替えの世話を始めた。
真っ黒なドレスを纏い、髪は後ろで纏めるに留めた。更には黒いヴェールを被って顔を隠す。彼女達が私の身だしなみを整えているあいだ、私はヴェール越しにカミラを盗み見た。
彼女は子爵家の三女である。レディースメイドが若い女性の仕事であることを考慮しても、私のレディースメイドに就くには地位が足りていない。
だけど、彼女はその優秀さでレディースメイドの地位を勝ち取った。お父様が私に付けてくれた、私がもっとも信頼する使用人だった――けれど、彼女はもうじき姿を消す。
ローズマリー曰く、急な結婚話が立ち上がり、挨拶もなしに急いで実家に帰った――ということだったけれど、そんなはずはない。
なにか、私の知らない事情があるはずだ。
――と、視線を向けていると、ヴェール越しに彼女と視線が合った。
「エリスお嬢様、なにかございますか?」
「いいえ、問題はないわ。でも、今日はお父様の葬儀だから、髪の飾りはもう少し地味なものにしてちょうだい。お父様のお好きだった花を象ったものがいいわ」
「かしこまりました」
一度目の人生では気付かなかった。けれど、その会場には、ウィスタリア侯爵家の地位と名誉、それに莫大な富を狙う者が大勢いるはずだ。
だから、カミラの心配をするのは、今日という日を乗り越えてからだ。そう意気込んだ私は鏡越しに身だしなみの確認をして、しずしずと告別式の会場へと向かった。
告別式の会場には、既に多くの人達が集まっていた。
この国で最大の規模を誇るウィスタリア侯爵家には多くの分家が存在する。それゆえに、父の告別式には、普段は見かけない者達も多く集まっていた。
そんな人混みの中から、一人の男が近付いてきた。
「キミはもしや、エリスちゃんかな?」
「……はい、そうですけど」
「すまない、馴れ馴れしく話しかけたせいで驚かせてしまったかな。キミは知らないかもしれないが、私は以前キミのお父様と親しかったのだ」
過去を懐かしむような顔。だけどその笑顔の奥に、少しでもウィスタリア侯爵家が所有する財産のおこぼれを預かろうという、卑しい感情が隠しきれていない。
やり直す前の私なら、そんな彼の裏側には気付かず、お父様はこんなにも多くの方々に慕われていたのかと誇らしく思っただろう。
いや、実際にそう思って、彼らの口車に乗せられていた。
だけど、いまは違う。
そもそも、本当にお父様を慕っているのなら、父が亡くなる前に顔を出したはずだ。それに、以前親しかったというのは、裏を返せば昨今は親しくなかったということだ。
大方、お父様を失望させるようななにかをして、疎遠になっていたのだろう。つまり彼は、ウィスタリア侯爵の地位と名誉、それに莫大な財産を狙うハイエナだ。
話す価値もないと、話を打ち切ろうとする。
だけど――と、私は思い至った。
もしかしたら、この男は、私に濡れ衣を着せて死に追いやった者の一人かも知れない。もしそうなら、私はこの男を決して許さない。生まれてきたことを後悔させてやる。
そう思った直後、カツンとヒールが大理石の床を踏みならす音が響いた。現れたのはローズマリー。彼女は私の隣に並び立ち、私に話しかけていた男に微笑みかけた。
「これはグレイ男爵ではありませんか。ちょうど三年ぶりですね。まさか、夫の葬儀に顔を出していただけるとは思ってもみませんでしたわ」
ローズマリーが静かに微笑みかける。一見すると穏やかな微笑み――だけど、いまの私には分かる。ローズマリーのその澄んだ瞳は少しも笑っていない。
その証拠に、グレイ男爵と呼ばれた男は後ずさった。
「い、いや、なに、私も故人を悼む気持ちでして」
「そうですか。せっかくですからこの後、共同事業で夫と名を連ねた、南部の交易ルートの開拓について、色々話を伺いたいのですが……」
「い、いえ、その、私もなにかと忙しくて。すぐにお暇する予定です」
グレイ男爵はそう捲し立てると、這々の体で去っていった。
『お父様の葬儀の日まで、仕事の話をしなければならないの!?』
やり直す前の私がローズマリーにぶつけたセリフだ。
……なんて、愚かだったのだろう。ローズマリーの本当の顔を知ったいまなら、彼女が葬儀の日にわざわざそのような話を好んでするはずがないと分かる。
きっと、その共同事業とやらが、グレイ男爵とお父様が疎遠になった理由なのだろう。
……資金の横領でもしたのかな?
確証はないけれど、ローズマリーの行動を疑う理由はない。
「エリス、一人でフラフラするのではありませんよ」
反射的に、子供扱いしないでよ! と口を付いて飛び出しそうになり、慌ててコクンと飲み込んだ。ローズマリーへの認識が変わっても、長年のクセはしばらく抜けそうにない。
私は一呼吸置いて自分を落ち着かせ、ローズマリーに微笑みかけた。
「心配してくださってありがとうございます。……その、ローズマリー、お、お継母様」
「お、お継母様!?」
いままでお義母様と呼んだことがなかったからだろう。
彼女が初めて見るような動揺した顔をした。
だがそれも一瞬、彼女はすぐに平常を装った。
「――っ、こほん。べ、別に貴女を心配した訳じゃないわ。貴女が失態を犯せば、ウィスタリア侯爵家の名前に泥を塗る、それを心配しているだけよ」
「はい。お継母様にご迷惑を掛けないように気を付けます」
「そ、そう、分かればいいのよ、分かれば」
彼女はふいっと視線を逸らし、いそいそと私から離れていった。その耳がほんの少し赤らんでいるように見えるのは、決して気のせいじゃないだろう。
やり直す前の世界では、ウィスタリアの魔女なんて呼ばれて恐れられていたのに、お義母様と呼ばれて照れるなんて、ローズマリーお義母様、意外に可愛い。
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