悪しき娘と継母のロンド

緋色の雨

プロローグ

 ウィスタリア侯爵家は、アークライト国の中でも最大規模の大貴族だ。アークライト国よりも長い歴史を持つ、藤のアーチを象徴とするウィスタリア城の主。

 その誇り高きウィスタリア侯爵は私のお父様。ロードリック・ウィスタリア。そんなお父様は、私が十二の誕生日を迎えるのを待ってこの世を去った。

 残されたのは実の娘である私と、私と四つしか歳の変わらぬ継母の二人だけだった。


 実子の私は、齢十二にしてウィスタリアの家門を背負わなくてはいけない。それがどれだけ過酷なことかは想像に難くない。

 しかも、頼りにしていたレディースメイドまでいなくなってしまった。

 だから私は、継母のローズマリーに協力を求めた。


 お母様が亡き後、お父様がどこからともなく拾ってきた下級貴族の娘。私とたった四つしか変わらぬ継母。だけど、成人として認められる十六歳であることは大きな意味がある。


 お父様の寵愛を奪った彼女が憎くないと言えば嘘になる。だけど、彼女が侯爵夫人として相応しくなるため、厳しい教育を受けていたことも知っている。

 彼女が協力してくれるのなら、この困難も乗り切れると、そう思っていた。だから、当主代理の座に就く私を支えて欲しいと、彼女にお願いした。

 だけど――


「エリス、貴女の要請には応えられないわ。なぜなら、当主の座に就くのはわたくしだもの」

「……なにを、言っているの?」

「ロードリックが亡くなったいま、夫人のわたくしが当主代理となります」

「で、でも、お父様の血を引くのは私で……」

「そうね、たしかに正統な後継者は貴女よ。けれど、貴女のように未熟な娘が、ウィスタリア侯爵の名を背負えるはずがないでしょう?」


 彼女はいままでみたこともない、冷たい瞳で私を見下ろした。彼女がなにを言っているか理解すると同時、かつてないほどの怒りが込み上げた。


「ふざけないで! 後継者となるのは正当な血を引く私よ! それに、私には無理と言ったわね? なら、貴女は背負えるって言うの? 私と四つしか変わらない貴女が!」

「背負うわ。それがわたくしの役割だもの」


 ローズマリーはそう言って、テーブルの上に書類を広げて見せた。


「それはロードリックの残した遺言書の写しよ。自分が亡き後は、ウィスタリアのすべてを侯爵夫人――つまり、わたくしに委ねると書いてあるわ」

「そん、な……っ。お父様がそのような遺言を残すはずがないわ!」


 あり得ないと声を荒らげ、ローズマリーに掴みかかろうとする。だけど、ウィスタリアの騎士がローズマリーを護り、お父様に仕えていた従者までもがお止めくださいと私を止めた。

 みなが口を揃え、ローズマリーの持つ遺言書は本物だという。


 でも、信じられない。

 お父様は私を愛してくれていた。そんなお父様が、私を蔑ろにするような遺言書を残すはずがない。ローズマリーがなにか卑怯な方法を使ったに違いない。

 絶対に、その種を暴いてやる。

 そんな決意で睨んでいると、彼女がわたしに言った。


「未熟な貴女はウィスタリア侯爵家に必要ないわ。王都の学園で学んできなさい」――と。


 ローズマリーは私を屋敷から遠ざけ、そのあいだにウィスタリア侯爵家を掌握するつもりなのだ。彼女の思惑に乗せられてはいけない。

 そう分かっているけれど、家門の者達はローズマリーの味方だ。結局私は反論の余地も与えられず、学園の寮に押し込められてしまった。



 その後、私を不憫に思った分家の人達が声を掛けてくれた。あの女から、ウィスタリア侯爵家の相続権を取り返してあげよう――と。

 私はそんな彼らの手を摑んだ。

 でも……ダメだった。

 あの女に詰め寄った分家の人達は揃ってなんらかの不運に見舞われ、私の手助けをしている場合じゃなくなったと言って、私から離れていった。

 あの女が裏で手を回したことは疑いようがない事実だ。


 だから、私はあの女が許せない。

 あの女を後悔と絶望の海に沈められるなら、私はどうなってもかまわない。そんな覚悟で様々なことを画策したけど、悔しいけどあの女は優秀で、私の謀略はすべて防がれてしまった。

 そして――



「エリス・ウィスタリア。私の弟を毒殺しようとした罪でそなたを断罪する!」


 アークライトの王城にある、権力と誇りを象徴した荘厳な一室。白を基調とした礼服を纏う王太子、ヴァージル・アークライトが厳かに告げた。


 告げられたのは、髪と同じ藤色のドレスを纏う私、エリス・ウィスタリア。ウィスタリア侯爵家の一人娘として、今日で十六歳の誕生日を迎えた私は、第二王子と婚約する予定だった。

 そんな私が罪人として拘束され、真っ赤な絨毯の上に跪いている。


「アルノルト殿下は私の婚約者となるお方。あの暴虐な継母から、私の尊厳を取り戻してくださる希望の光です。そんな彼に、私が毒を盛るなどあり得ませんわ!」


 継母のローズマリーにすべてを奪われた可哀想な私。

 だけど、そんな私にも希望の光があった。

 それが第二王子との婚約だ。国王陛下の一声で纏まったこの話。私とアルノルト殿下が結婚すれば、彼が入り婿として、ウィスタリア侯爵の地位を継ぐはずだった。

 つまり、あの女はお役御免となるはずだったのだ。なのに、私がアルノルト殿下を毒殺しようとするはずがない。そう訴える私に、ヴァージル王太子殿下は蔑むような目を向けた。


「そのような認識だから、そなたは罠に掛けられたのだ」

「……罠、ですか?」

「そうだ。今回の犯行は、そなたとアルノルトの婚姻を好ましく思わない者の仕業だ」

「まさか、あの女の――」


 みなまで言うことは出来なかった。

 ヴァージル王太子殿下の鋭い眼光に射すくめられたからだ。


「このたびの一件は、ローズマリーにとっての痛手だ。彼女がおまえを排除するつもりなら、このような方法を取るはずがない」


 そんなの、分からないではないか――と、王太子殿下の言葉に異論を唱えるほど愚かではない。私は憮然とした表情を浮かべつつも、彼の言葉に相槌を打つ。


「ウィスタリアはこの国で最大級の公爵家だ。長い歴史を誇る藤のアーチに憧れを抱かぬ者などいない。ゆえに、その地位を狙う者は数知れぬ」

「……はい」


 小さい頃から、何度も父に聞かされた話だ。

 でも、いまなぜそのような話をされるかが分からない。そうして小首をかしげる私に対し、ヴァージル王太子殿下は顔を顰めつつも話を続けた。


「だが、アルノルトとそなたが婚姻を結べば、その地位は盤石になる。ウィスタリアの藤のアーチは今後百年、誰にも侵すことは出来なかっただろう」

「……つまり、どういうことでしょう?」


 なぜそのような話をされるかがやはり分からない。そう口にすれば、ヴァージル王太子殿下はこめかみに指を添え、深々と溜め息を吐いた。


「とにかく、そなたは処刑されるということだ。第二王子を暗殺しようとした罪で、な」

「なぜですか! アルノルト殿下に毒を盛ったのは別人。私は嵌められたのだと、殿下もおっしゃったではありませんか!」

「それでも、すべての証拠が、犯人がそなたであると示しているからだ!」


 彼は私に向かって報告書をぶちまけた。

 私は周囲に散らばった書類に目を通す。


 私の部屋から、アルノルト殿下に盛られたのと同じ毒が入った小瓶が見つかった。そしてウェイティングメイドの一人が、私の指示で入手した毒だと証言した。

 この時点で、毒は私が入手したのが疑いようのない事実だと結論づけられている。


 加えて、アルノルト殿下の飲み物に毒を盛ったキッチンメイドも、私の指示によるものだと証言しているという。これで、私がアルノルト殿下を毒殺しようとしたことが断定された。

 そういう報告書である。


「ヴァージル王太子殿下、これらはすべてデタラメです!」

「それをどうやって証明する? 重要なのは証拠だ」

「いいえ、いいえ! 重要なのは真実ではありませんか!」


 必死に訴える私を、ヴァージル王太子殿下は鼻で笑った。


「では、今回の一件で怒り狂っている者達にそう言って回るのか? すべての証拠は自分が犯人だと告げているが、自分は無実なので罰を受ける謂われはない――と」

「それ、は……」

「通るはずがない。ゆえに、そなたは処刑される。アルノルトを毒殺しようとした罪で、な」


 自分が本当に処刑されるのだと理解して、顔から血の気が引いていく。震えそうになるその実を掻き抱いて、私は言いようのない思いを吐き出した。


「……どうして、こんなことに。私は、なにもしていないのに……」


 涙が零れ落ちた。

 だが、ヴァージル王太子殿下の見下すような態度は変わらなかった。


「なにもしなかったからそうなったのだ。そなたが使用人の管理さえ出来ていれば、このような見え透いた罠に掛かることもなかっただろう。そなたの愚かさが招いた結果だ」

「私の使用人を選んだのはあの女です!」

「だが、それが気に入らぬと言って、勝手に使用人を入れ替えただろう?」

「それ、は……」


 その通りだった。

 と言うか、なぜヴァージル王太子殿下がそのようなことを知っているのだろうか? まさか、彼までローズマリーに取り込まれているのだろうか?

 分からない。

 そして、なにも分からない自分が情けなくなる。


 だけど、ヴァージル王太子殿下は、この一件がローズマリーの痛手となると言った。

 考えてみれば当然だ。


 あの女は私の保護者を名乗り、当主代理としてウィスタリア侯爵家を支配している。私が国家反逆級の罪を犯したとなれば、保護者の彼女もただでは済まないだろう。


 ……最後にあの女に一矢報いることが出来たのなら、こんな結末も悪くないかもね。


 そう思った直後、ノックがあり、使用人が来客を告げた。ヴァージル王太子殿下の許可を得て部屋に立ち入ったのは――あの女、私を、父を裏切ったローズマリーだった。


 いつも煌びやかなドレスを纏う彼女にしては珍しく、着の身着のままといった恰好。私がしでかしたことを聞いて飛んできたのだろう。

 ローズマリーは私の横をすり抜けてヴァージル王太子殿下のまえに出ると、赤く深い絨毯の上に両膝を突いて、「お許しください」と、その赤い絨毯の海に頭を沈めた。


 私からすべてを奪った女が、いまはみっともなく許しを請うている。

 いい気味だ。

 私と四つしか変わらないくせに継母ぶって、ウィスタリア侯爵家のすべてを私から奪った憎い女。私と一緒に、堕ちるところまで堕ちればいい。


 そう思って嗤う。

 そんな私の醜い顔が次の瞬間には凍り付いた。

 彼女が、信じられないことを口にしたから。


「このたびの責任はすべて、エリスの保護者であるわたくしにあります。ですから、すべての罰はこのわたくしに与え、彼女には寛大な処置をお願いします」


 彼女の言っていることが理解できない。

 彼女はみっともなく取り乱し、自分は悪くない、悪いのはエリスだと泣き叫ぶはずだった。

 なのに、なのに……


「なによ、なんなのよ。どうして、貴女が私を庇おうとするのよ……っ」


 信じられない。信じたくない。騙されない。騙されちゃダメだ。最初は私を庇っている振りをして、最後の最後で私のせいにするに違いない。

 そう思おうとするけれど――


「ローズマリー、もう諦めろ。おまえがその愚かな小娘を甘やかし、庇い続けた結果がこれだ。今回の一件は、そなたが庇える範囲を超えている」


 ヴァージル王太子殿下がきつい口調で告げたのは、ローズマリーが私を庇うのが初めてではないと示唆する言葉だった。

 そして、ローズマリーも、その言葉を否定せずに続ける。


「いいえ、不可能ではありません」

「……なんだと?」

「ヴァージル王太子殿下、罪を明らかにする上で重要なのはなんでしょう?」

「証拠だ。証拠がなければ罪は裁かれない。証拠があれば、罪がなくとも裁かれる。それがこの国の貴族社会における常識だ」

「私もそう思います。ゆえに、たった一つだけ、この状況からエリスを救う方法があります。ヴァージル王太子殿下、どうかわたくしの告白を聞いてください」

「この状況でもなお、その愚かな娘を救う方法だと? ローズマリー、そなた、まさかっ。やめよ、その娘にそこまでの価値はない!」


 ヴァージル王太子殿下が慌てるが、私は状況が飲み込めない。

 なぜ、裏切り者だと思っていたローズマリーが私を庇っているんだろう? そして、一体どうやったら、この状況から私を救えるというのだろう?

 混乱する私の前で、ローズマリーは事もなげに言い放った。


「アルノルト殿下を毒殺しようとしたのはわたくしです」――と。


 ヴァージル王太子殿下はもちろん、従者や侍女、この部屋にいるすべての者が息を呑む。凍り付いた場で、真っ先に口を開いたのはヴァージル王太子殿下だった。


「ローズマリー、冗談はそこまでだ。それ以上は戯れ言ではすまぬ」

「いいえ、冗談ではありません。アルノルト殿下を毒殺しようとしたのはわたくしです。エリスが従えるメイドの弱みを握り、エリスの仕業であるかのように見せかけたのです」


 彼女が断言すると、ヴァージル王太子殿下は天を仰いだ。


「……この場には貴族に属する者が多くいる。ここでそのような言葉を口にした以上、もはや撤回することは出来ぬ。覚悟は……出来ているのだな?」

「はい、二言はありません」

「そうか。では……ローズマリー、そなたを、アルノルトに毒殺を試み、その罪をウィスタリアの正統な後継者、エリスに着せようとした罪で拘束する。彼女を、捕らえよ……っ」


 感情を押し殺した声で指示を出す。

 その指示に、護衛の騎士達が顔を見合わせる。だが、ヴァージル王太子殿下がもう一度指示を出すと、今度は騎士の一人が彼女を拘束した。


 代わりに、私に掛けられていた拘束が解かれる。私は、信じられない思いでローズマリーを見つめた。罪人となってなお、彼女は毅然とした態度を崩さなかった。


「ローズマリー……どう、して?」

「どうして? ウィスタリア侯爵として得られる地位と名誉、そして莫大な資産を我が物にするには、貴女という存在が邪魔だった。それ以外になにがあるというのかしら?」


 私を見下すように嗤う彼女は、私の知っているローズマリーの姿そのものだった。

 だからこそ、理解してしまった。

 彼女はずっと、いまと同じように自分を偽っていたのだと。


 だけど、それに気付くのはあまりに遅すぎた。彼女は連れて行かれ、そして――そして、あっけなく処刑されてしまった。

 その事実は、ウィスタリアの魔女の最期として大々的に報じられたそうだけど、私は詳細を識ることが出来なかった。私もまた、反逆の罪を犯した者の娘として拘束されていたからだ。


 おそらく、私も処刑されるのだろう。

 だけど、自分の愚かさに気付いたいま、これ以上の生き恥を晒したいとは思わない。心からそう思っていたのに、私は、私だけが死を免れた。

 私に下された判決は処刑ではなく、身分を剥奪した後、修道院へ入れるという罰だった。


「ヴァージル王太子殿下、私にローズマリーと同じ罰をお与えください!」


 私に刑を言い渡したヴァージル王太子殿下に訴えかける。

 彼は黄金の瞳に、炎のように苛烈な怒りを滲ませて私を睨みつけた。私を憎んでいるのだと、その目がなにより物語っている。それでも、彼は前言を撤回しなかった。


「他ならぬローズマリーが、そなたの生を願ったのだ。だから、そなたにわずかでも人の情があるならば、彼女の献身を無駄にするな」

「ローズマリーの願い、ですか……?」

「あれが当主代理になったのは、そなたを権謀術数にまみれた世界から護るためだ」


 思いもよらぬ事実に目を見張る。彼女がその身を挺して私を守ってくれた後ですら、当主代理になった理由そのものが、私を護るためだったなんて想像もしなかった。

 彼女は最初から、私を護ってくれていたのだ。


「分かり、ました。彼女のもらった命で、自分の罪を償うことにします」


 それがせめてもの恩返しだと、私は自分に科せられた罰を受け入れた。

 こうして、私の修道院行きが決定。

 ある日の早朝、私は遠く離れた地の修道院へ向けて旅立つことになった。


 軟禁から解放され、連れてこられた王城の裏門前。

 そこには、ウィスタリア侯爵家の娘には相応しくない粗末な、だけど、いまの私にはもったいなすぎるほどの馬車が一台、私が乗り込むのを待っていた。


 いつもなら、私が出掛けるときには、数え切れないほどの使用人と護衛が揃っていた。だけどいまの私にはただの一人も見送ってくれる人がいない。


「ローズマリーが本気で私を排除するつもりなら、これと同じ光景が最初から広がっていたはずだったのね。……ほんと、私って馬鹿」


 当たり前だと思っていた日常は、ローズマリーが護ってくれていたものだった。それにも気付かず、ローズマリーを怨んでいた私は本当の愚か者だ。

 そんな愚か者には、孤独な旅立ちが相応しいだろう。

 そう思ったけれど――


「レティシアさん、今日旅立つのですね」


 一人だけ、私を見送りに来てくれた女性がいた。

 黄金の瞳。一房ごと丁寧にウェーブを掛けた赤い髪。その髪に彩度を合わせた青いドレスを纏い、多くの侍女を従える彼女は、アルトゥール公爵家のご令嬢だ。


 彼女は学園に馴染めなかった私に優しく接し、自らの派閥に迎え入れてくれた。そればかりか、学園で濡れ衣を着せられたときも、最後まで私は無実だと訴えてくれた。

 私にとって唯一無二のお友達だ。


「アンジェリカさん、見送りに来てくれたんですね」


 一人寂しく旅立つのだと思っていた。

 だけど、彼女が見送りに来てくれたことに安堵する。

 そんな私に、彼女は――嗤った。


「まだ、わたくしが味方だと思っているのですか? 相変わらずおめでたい方ですわね」

「アンジェリカ、さん……?」

「そのように馴れ馴れしくしないでいただきたいですわ、穢らわしい」


 彼女がなにを言っているか理解できなかった。

 うぅん、違う。本当は分かってる。

 でも、理解したくなかった。

 だって彼女は、私にとって唯一のお友達だから。


「どうして、そんなことを、言うのですか? 私はなにもしていません」


 入学式の歓迎パーティー。

 私は誰かにはめられ、ワインに毒を入れた疑惑を掛けられた。

 毒が少量だったことと、証拠が不十分だったことで、私が罰せられることはなかったけれど、疑いの目が晴れることはない。肩身の狭い思いをすることは間違いなかったのだがけど、アンジェリカさんが私を庇ってくれたのだ。


『これはきっとなにかの間違いです。彼女はそのようなことをする方ではありません。わたくしは、そう信じておりますわ』――と。


「あのときは、信じてくれたでしょ?」

「――ぷっ。……と、これは失礼」


 彼女は思わずといった感じで吹き出して、その口元を扇で隠した。


「本当におめでたい人。たしかに、あのときは貴女を庇ってあげましたわね。でも、知っていました? 貴女に濡れ衣を着せたのも、わたくしだったと言うことを」

「――なっ!?」


 私を罠にはめた犯人は見つかっていない。

 否、見つかっていなかった。

 こんなにも、私の側にいたのに。


「わたくしを唯一の味方だと信じて尻尾を振る姿はとても滑稽でしたわよ」

「貴女って、貴女って人は――っ!」


 この女がすべての元凶だと知り、目の前が怒りで真っ赤に染まった。

 私は反射的に彼女に掴みかかった。

 そして――


 気付けば、彼女の護衛の手によって、私は芝の上に引きずり倒されていた。私は芝の上に這いつくばって、それでもアンジェリカを睨みつけた。


「よくも騙したわねっ! 許さない、絶対に許さないから!」

「あら怖い。でも知っていますか? 貴族社会では、騙される方が悪いんですわよ?」


 彼女は口元を扇で隠して笑った。

 それは、私の前で彼女がよくする仕草。だけど、下から見上げていた私には、彼女の口が私を嘲笑うように歪んでいるのが見えた。

 きっといままでも、彼女はそうやって私を馬鹿にしていたのだろう。


 彼女だけは許さない。

 どんな手を使っても、絶対に復讐してやる。

 そう心に誓ったそのとき、護衛を引き連れたヴァージル王太子殿下が飛んできた。


「これは何事だ!」

「ヴァージル王太子殿下、彼女が――うぐっ」


 訴えようとした瞬間、私を拘束するアンジェリカの護衛に腕を強く捻り挙げられた。そうして痛みで絶句した隙に、アンジェリカが悲しげな顔でヴァージル王太子殿下に語りかけた。


「わたくし、お友達が心配でお見送りに来たのですが……彼女はそれを望んでいなかったようです。エリスさん……神経を逆なでするような真似をしてごめんなさいね」


 申し訳なさそうに顔を伏せ、私に摑まれて乱れた襟首をさり気なく直す。

 その姿はどう見ても、友人を気遣って見送りに来たにも関わらず、友人だったはずの私から暴力を振るわれそうになって傷付いた令嬢のそれだ。

 ヴァージル王太子殿下の護衛達が、一斉に私に蔑むような目を向ける。


 そして、私は問答無用で馬車の中へと押し込まれた。一切の反論も弁明も許されない。私は反省の色のない愚か者として修道院へと送られる。


 ――怖い。

 私はなにも悪いことをしてないはずなのに、誰もが私を悪だと信じて疑わない。これが貴族社会。ローズマリーが私から遠ざけようとした権謀術数にまみれた世界。

 今更ながらに、貴女には無理だと、ローズマリーに言われたことを思い出した。


 いまなら分かる。

 あれは私を馬鹿にして口にした言葉じゃない。

 事実として無理なことを無理だと言い、私の身を案じてくれていたのだ。


 ヴァージル王太子殿下の言うとおりだ。

 私は、自分が賢いと思っていた。でも実際は、未熟で愚かな小娘だった。その事実にもう少し早く気付いていたのなら、いまとは違う道を選べたのだろうか?

 分からない……けど、ここで諦める訳にはいかない。


 私を嵌めて、ローズマリーを死に追いやった黒幕の正体が明らかになったのだ。彼女に罪を償わさなければ気が済まない。決して彼女は許さない。


「……私を嘲笑いたかったのでしょうけど、秘密をばらしたことを後悔させてやるわ」


 馬車に揺られながら、私はアンジェリカへの復讐を誓った。

 だけど、私は認識をあらためてもなお、愚かな小娘だった。真実を知った私を、護ってくれる人を失った私を、彼女が生かしておいてくれるはずがなかったのだ。

 

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