2人目:一手間加えられた少女
そこは常に暖かく、人型の生物が暮らすのに適した世界。
そこは常に忙しい、帝都アルキテラコッタの役所の一角。
大きな猫耳を持つ女、ミーシャはガッカリとした表情を浮かべていた。
「そうきますかぁ…」
そこは上司の男のデスクの前。
ミーシャの手に握られていたのは、男から渡された報告書である。
そこに書かれていたのは、彼女をガッカリさせる内容だった。
「面倒ですよねぇ…私もお手伝いできればいいのですが」
「いえいえ…何時もの事ですよ」
「お願いしますね…おっと」
ミーシャの上司…課長の男は物腰柔らかな態度を崩すことなくそう言うと、彼女の背後に目を向ける。
「こんな時間でしたか…」
「この後会議ですよね。ま、大丈夫です。これはどうとでも出来ますから…ただ、エリスさんも会議に出なきゃって感じですし…もしかして今日の処置は私1人ですか?」
「いえ、1人付けましょう。最近入ってきた子が居ましたよね」
「あー…コロン君…まだ研修中だったはずですが」
「はい。少し特殊な例ですが、良い研修になるでしょう。本での研修は後でも出来ますし」
男はそう言うと、席を立った。
「じゃ、やってきます。直帰で良いですよね?」
「ええ。ちょっと遠いですから」
ミーシャは男に最後の確認を取ると、ペコリと一礼してデスクから離れて行く。
男もミーシャを見送ると、彼の次の仕事…会議に出るために執務室を後にした。
「コロン君」
ミーシャは用紙を手にしたまま、執務室の隅で分厚い本を読んでいた男に声をかける。
小柄で、犬耳を付けた獣人の男…というよりも、少年のような成りをしたコロンは、本から目を上げてミーシャに目を向けた。
「…はい」
そう言って、丸メガネをクイっと直して見せる。
「今日は外に出て仕事にしましょう。丁度いいチュートリアルが振って来たよ」
ミーシャは苦笑いを浮かべてそう言うと、手にした用紙をヒラヒラと振って見せた。
「それじゃ、準備開始!終わったら声を掛けてね」
・
・
役所を後にした2人。
今回、ミーシャの相棒を務めるコロンは、まだ齢10代後半の新人だ。
「お昼も夜も奢るよ!…昼も夜も駅弁だろうし、部署のお金だけど…」
「…それ、怒られませんか?」
「大丈夫大丈夫、その程度の額じゃ怒られないよ」
ミーシャが面倒見役を担っているが、彼女にとって彼は可愛い弟のような存在だ。
大人しく、素直で、ちょっとした隙に見せる可愛さが彼女のストライクゾーンにハマったらしい。
用紙の仕事は面倒極まりなかったが、彼を外に連れ出して仕事が出来ると思えば、辛さもそんなに感じなかった。
「にしても、エルキテラコッタの城壁宿って汽車で行っても遠いのよね」
「…エルキテラコッタ…駅から結構歩きそうですね」
「いや、それは時間が掛かりすぎるからワイバーンハイヤーを使うつもりよ」
「…え?良いんですか?」
「ええ。それは問題ないハズよ。仕事の内容が内容だけにね…」
2人は会話を重ねながら、人混みの中に自らを紛れ込ませ、今日の目的地の方へ歩いていく。
とりあえず、今日の仕事場も遠い場所…まず最初に向かうのは、帝都の贅を尽くしたアルキテラコッタ駅だった。
「…内容を聞いていないのですが」
コロンがそう尋ねると、ミーシャは用紙を一度確認してから首を左右に振った。
「汽車の中で説明するよ。ちょっと複雑だし」
説明を後に回し、2人は駅の構内に入って行く。
切符を買って、好きな弁当と飲み物を買って…ミーシャは切らしていた煙草も買って、丁度よく止まっていた汽車に乗り込んだ。
適当に、開いていたボックス席に座り、テーブルに買って来た弁当を広げる。
「…海のものですか」
「お魚好きなの。コロン君は苦手?」
「…僕は肉食なので」
「あー…そっか。でも、お肉ばかりじゃダメだよ?」
「…ですね。その為のポテトサラダとサラダチキンです」
「それ、意味あるのかな…」
出発までまだまだ時間がある。
それまで動きようのない2人は会話にも緊張感が無い。
2人はちょっとした遠足気分で弁当に手を付け始め、あっという間に食してしまった。
汽車が動き出したのは、それから数分後の事。
ミーシャは食後に吸っていた1本目の煙草を灰皿にもみ消すと、課長から渡された用紙をテーブルの上に広げてコロンに見せた。
「さて、仕事の話をしましょっか」
ミーシャがそう切り出すと、コロンはコクリと頷いてテーブルの上の用紙に目を向ける。
用紙には、今日の仕事に関わる内容が事細かに記載されていた。
「帰還省。有名だし、コロン君も知ってると思うけど…別の世界からやって来た人を元居た世界に返すのが仕事よ」
「…はい」
「普通は対象者に元に、出向いて、捕まえて、連れて来て、魔法陣に乗せて帰還!なんだけど、今回はちょっと違うの」
ミーシャはそう言うと、用紙の一部…今回の帰還対象者の備考欄を指さした。
コロンの視線はミーシャの指先を追って動いてゆく。
「普通はね、着の身着のままで来るんだけど、偶に例外があって…今回がそうなんだけど、やって来た人、姿かたちが変わっちゃってるのよ」
そう言ったミーシャの指先。
書かれていたのは「性別転換・年齢改変」の文字。
「…その場合も同様ではないのですか?」
コロンの問いに、ミーシャは首を左右に振った。
「そういうのはね、"コッチの世界に適合しちゃった"ってやつで…一手間加わるのよね」
「…なるほど」
「具体的に言うと、こういう人の対応は2種類あって、1つは帰還、もう1つは亡命。それをやって来た者に選ばせるの」
「…亡命?それって、もしかして…」
「そう。どこか遠い国からの亡命者って事にして、アルキテラコッタの住民にするのよ」
ミーシャの答えを聞いたコロンは、殆ど変えなかった表情を少し曇らせる。
「1か月は掛かるから、そっちを選ばれたら大変よ。私達が身元保証人になるんだから」
「…おぉ」
「でも、帰還だった場合でも、魔法陣に乗せる前に元の姿に戻さないとダメで…それはその人それぞれに術式構成をしないといけないから、そっちはそっちで手間が多いのよね…私も出来るには出来るけど、偶に私じゃ手に負えない場合があるし」
コロンは話を聞いて頷くと、窓の外に視線を反らした。
「…それに僕が付いて行って、足手まといになりませんか」
ボソッとした口調で言われた問い。
ミーシャはその仕草と声に少しだけ母性をくすぐられる。
「全然。最初の内は付き人って感じで、見てるだけで良いのよ。コロン君、魔法は私より出来るところあるんだし、ひょっとしたら手伝ってもらうかもだけど」
笑いながら快活な声色でそう言ったミーシャは、テーブルの上に置いた用紙を折りたたんでポケットに仕舞いこむと、今日2本目の煙草を取り出して咥える。
まだ、汽車が動き出して数分。
目的地のエルキテラコッタの駅までは1時間ほど掛かるだろう。
「処理が面倒だけれど、やることは、あどけなさが残る少女になった男の子を1人片付けるだけ…」
火を付ける前、ミーシャは今回の対象者の特徴を口走る。
それを聞いて、ミーシャの方に顔を向けたコロンに向けて、彼女は薄っすら笑みを浮かべながら言った。
「コロン君。帰還省に居ると、ちょっとだけ帝都の悩みが透けて見えるのよ?」
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