アルキテラコッタの帰還省

朝倉春彦

帰還省の仕事始め

1人目:ありふれた男

そこは常に暖かく、人型の生物が暮らすのに適した世界。

そこは常に忙しい、帝都アルキテラコッタの役所の一角。

エルフの女は、煙草を咥えながら、渡された用紙に目を通していた。


「また…ですか」


力ない声。

それは、用紙の内容が、余りにもありきたりな内容だったからこその声色。

女に用紙を渡した男も、概ね彼女と同じ感情だったらしい。

女の表情とよーく似た、少しだけ苦味を含めた、外向けの笑みを浮かべてこう答えた。


「ええ~…またなんですよ」


その一言。

それだけで、女の1日分の仕事が決定する。


「ありふれた仕事ですよね。ま、戻って来次第、今日の仕事は終わりで良いですから」


男はそう告げると、彼のデスクの方へと戻って言った。

女はそれを見送って、ガシガシと後頭部を掻くと、近くに座っていた部下に目を向ける。


「ひゃい!」


エルフ特有の鋭い視線を向けられた部下の女は、驚いたのか、役人らしくない声を上げた。


「す、すいません!仕事…ですよね?"帰還"の」


彼女は直ぐに謝ると、そう言って席を立ち、エルフの女の方へと寄ってくる。


「そう、ちょっと遠いのよ。外れのオルキテラコッタの方」


エルフの女はそう言うと、用紙を猫耳の女に手渡した。


「日帰りですねぇ…内容は簡単ですが」


猫耳の女は、用紙を見るなり直ぐに自らの仕事内容を頭に思い浮かべたのだろう。

最初の驚きようは何処へやら…

落ち着いた様子でそう言うと、彼女もまた、煙草を一本取り出すなり咥えて火を付けた。


「今手を着けてる仕事あったっけ?」

「にゃ、ないですよ」

「じゃ、早速行きましょう。早く済めば定時より前で帰れるわ」

「久しぶりですね…最後に定時帰りしたの何時だろ…」

「総統閣下の生誕祭の日だから…半年以上前ね」

「おー……」


煙草を咥えた女が2人。

役場の中とは思えない、ヤル気の無い会話を交わすと、それぞれ準備を整えて執務室から出て行った。


 ・

 ・


エルフの女…碧い瞳が特徴的なエリスは、齢50程の若手で、帝都の役所に務めている事からも分かる通り優秀な女だ。

一方、猫耳の女…三毛猫色の髪が特徴的なミーシャは齢30程で、こちらも若手…エリスの部下という立ち位置ではあるものの、実は職位に差は無く、ただの先輩後輩の間柄である。


2人は役所を出ると、人混みに紛れて通りを歩いていった。

土を限界まで固めた道…2人の履くヒールでも歩くのに支障は出ない程。

さっき咥えた煙草はそのまま…それは周囲の人々も同じようなもので、街には所々から煙草の煙が浮かんでは消えていた。


2人が目指すのはアルキテラコッタ駅…この世界ではこの都でしか見られない、都を環状に繋ぐ鉄道の駅だ。


「休みの日じゃなくて良かったですね。休日なら汽車賃倍でしたよ」

「どうせ私達の懐から出るんじゃないんだから、気にしなくていい」

「いやぁ、また会報に乗った時に叩かれるかなぁって。経費の無駄遣いって」

「…私達の煙草代さえ出れば何だって良いのよ。言わせておきなさい」


2人は適当に会話を重ねながら、レンガ作りの重厚な建物に入って行く。

無駄に贅を尽くした建物…アルキテラコッタ駅に入ると、後は暫く汽車に揺られるだけ。


アルキテラコッタはこの世界では珍しく、魔法を基幹システムにしか使わない…錬金術が盛んな街である。

2人を乗せた汽車も、動力源は魔法を使っていたが…構造体の多くは帝都特有の錬金術によって生成されていた。


汽車で揺られる事1時間。

車内で、煙草を3本と紅茶を2杯飲み終え、良いだけ雑談に花を咲かせた頃に、ようやく汽車は終点のオルキテラコッタ駅に到着する。


2人は汽車を降りて、駅を後にすると、用紙に書かれていた場所へ歩き始めた。

向かったのは、都の外れ…外壁近くに位置する宿。

都から外の世界…街道へと出て行く者だったり、街道から都に入ってくる者が利用する何てことのない宿。


30分ほど歩き続けると、目的の宿に辿り着いた。


「帰りはこの逆順ですか」

「言わないで。最悪ワイバーンハイヤーを呼ぶから」

「課長に怒られますよ?」

「それは"彼"次第ね……」


2人は宿の扉に手をかける前にそんな会話を交わすと、エリスを先頭に宿へ入って行く。

扉を開けると、カランコロンとベルの音が鳴り、中に居た者が扉の方に目を向ける。


「どのようなご用件で?」


受付に赴いた2人に、少々年季の入った顔をした男が応対した。

熊の耳が付いた獣人で、視線は鋭い。

街道に出て行く家出娘とでも思っているのだろう…必要とあらば一言言ってきそうな雰囲気を繕っていた。


「帰還省よ」


エリスはそんな男の見た目に怯むことなく、簡潔に身分を答えて身分証を提示する。

答えとしては、それだけで良かった。


「おお…待っていましたよ。今、呼んできます」


男はパッと表情を明るくすると、受付の奥へと消えて行く。

2人はそれに付いて行かず、受付の前で煙草を吸いながら待っていた。

数十秒ほどで男は戻ってくる…オマケに今日の主目的を連れて。


「お待たせしました。この男になります」


男が連れてきたのは、頼り無さそうな細身の男。

髪はボサボサで、視線は俯いており…何よりちょっと不潔そうな雰囲気を持っている。

2人は予想通り過ぎる見た目に苦笑いを禁じえなかった。


「ありがとう」


エリスは礼を言うと、この後の事をミーシャに任せるために、彼女に視線を送る。

ミーシャは、それにコクリと頷いて見せた。


「失礼…迷い人サン」


ミーシャは控えめな言い草でそう言うと、連れてこられた男に手にした得物を突きつける。


「な!」


驚く男…ミーシャ達にとってはそれすらも想定通りの反応で、彼女達は思わずといった形で、口元に笑みを浮かべていた。

楽しい笑いではなく、馬鹿にする方向での笑いを…


「その格好で分かります。貴方、地球って所から来ましたね?」

「え、え…し、知ってるのか?」

「はい。よーく…私達の言葉が通じて、ちょっと磨けば光りそうな見た目をした、細っちい男はよーくここに迷い込むんです」


ミーシャは手にした得物…彼女が持つ錬金術の技術を駆使して創り上げた拳銃の銃口を男の額に向けながらそう言った。

それは、目の前の男が居た世界での武器を模して彼女が創り上げたもの…

目の前の男は、彼女の持つそれが自分に向けて使われればどうなるのかを知っているからか、怯えた表情を浮かべて、膝をガクガクと震わせていた。


「持ってるお金、全部出してください」


男に向けて、ミーシャが一言…冷たい言葉を告げる。


「え?どうして」

「向けられてるものが何か分からないのか?」

「ひ…すいません!出します!出しますから!」


当然の疑問を口にした男に、丁寧口調を取っ払ったミーシャの言葉が突き刺さった。

情けない声を上げた男は、直ぐにポケットを弄って、地球のお金が入っている財布をエリス達の方に放り投げる。


「…っと、投げ渡せとは言っていないのだけど」


エリスがそれを取り上げて、中身を確認すると、ミーシャの方に視線を向けてコクリと頷いた。

ミーシャはそれを見て、手にした得物を下ろして上着の内側に仕舞いこむ。


「協力ありがとう。これから君を然るべきところに連れて行くわ」


彼女は財布を手にしながら、男の前に立つと、俯き加減の彼に視線を向けて言葉を告げた。

男は不思議そうな、疑問が一杯浮かんでいそうな視線をエリスに向けると、震える唇を動かして、何かを伝えようと声を上げた。


「あ…あの、ここ、ここは、どこなんですか…?……あなた…貴方達は…一体?」


その問い…何度も何度も聞かれた問い。

エリスにとっては聞き飽きた問い。

彼女は煙草を咥えた顔に薄笑いを浮かべながら、何時ものようにこう答えた。


「ここは帝都アルキテラコッタ。私達は帰還省の者よ。貴方のような"意図しない転移"をした者を送り返すのが私達の使命…そう言うわけで、貴方には元居た世界へ帰ってもらうわ」

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