3人目:渋みの抜けた紳士

そこは常に暖かく、人型の生物が暮らすのに適した世界。

そこは常に忙しい、帝都アルキテラコッタの役所の一角。

犬耳の少年…コロンは、目の前の上司の顔を見て言うと、少しだけ顔を引きつらせた。


「…課長が直々に?」

「ええ、少し厄介でして」


省内の新人であるコロンは、目の前の課長が"外回り"に出たところを見たことが無い。

何気ない課長の一言で、周囲の同僚たちが一気にザワつき始めている。

コロンは、色々な考えが頭を駆け巡り…結局は何時ものように少しだけ首を傾げて見せた。


「…エリスさんやミーシャさんでも、ですか?」

「はい。得手不得手がありますから」

「…なるほど」


コロンはそう言って、周囲を見回した後。

では、なぜ自分が呼び出されたのだろうか?と言いたげな様子で課長の方に顔を向ける。


「でも丁度、助かりました。君の能力が打ってつけでして」


課長は問いを投げかけられる前に言った。


「…僕の能力が…ですか?」


コロンには思い当たる節が無い。

思案顔になった彼に、課長は優し気な笑みを浮かべると、ポンと肩を叩いた。


「説明は道中でします。歩いて行ける距離ですから」


コロンは、その言葉を受けると、コクリと頷いてデスクの方に戻っていく。

物を片付けて、外に出る準備だ。


「コロン君、気を付けてね?」


物を片付けている最中、この間隣の席に移動してきたミーシャが声をかけてきた。

言葉の割には、何処か楽し気な声色。

コロンは「…はい」と曖昧な答えを返すことしか出来なかった。


 ・

 ・


課長とコロンは2人並んで外に出る。

アルキテラコッタ特有の、硬い土の道の上を歩いていく。

この世界では珍しい、錬金術が用いられた建物が並ぶ摩天楼の下…


沢山の人混みに溶け込んだ2人は、暫く何も会話が無かった。


「コロン君、確か…魔法学校の出身で"時間"が専門領域でしたよね」

「…えぇ。僕と、数人程度しか居ない分野でした」

「今でも即座に術式を構成できますよね?」

「…はい。相手さえ分かれば」

「ありがとう。そうであれば今日の仕事は容易いです」


大通りから、一つ狭い路地に入った頃。

課長はコロンに幾つかの確認をしていく。


「話は逸れますが…居ないんですよねぇ…"時間"が専門分野の子って」


課長は嬉しそうな笑みを貼り付けてそう言うと、直ぐに表情を戻した。


「私も"時間"が専門分野ですからね」

「…え!?」


突然のカミングアウト。

コロンは驚いて、隣を歩く課長の顔を見上げる。


「言ってませんでしたっけ」


課長はコロンの様子を見て、意外そうな声色で言った。


「帰還省に置かれた"転移人の時を転移前に戻す"為の魔法陣、私が作った物なんですよ?」

「…な…あ、あれほどの魔法を?課長一人で創り上げたのですか?」

「えぇ」


驚きと畏怖と憧れが入り混じったコロンの言葉。

対する課長は、さも当然といった様に返す。


「魔都ラステオンの"ホワイト・ウィザード"達にはダメだしされそうな出来ですが」

「…ラステオンの"ホワイト・ウィザード"って…そう言えるってことは、そのレベルと戦えるってことですか?…」

「えぇ。1人か2人までならお相手出来ますよ」

「…」


雑談がただの雑談にはならなかった。

少なくともコロンにとっては…仕事に就いてから一番の驚きであったと言えるだろう。

課長は、驚いた表情のまま固まったコロンを見てクスリと笑う。


「コロン君は、あの魔法陣を日に日に調べていましたよね?」

「…は、はい…帰還省にある魔法陣はどれも帝都で見られない一級品ばかりだったので…」

「嬉しいですねぇ…私の作品です。全て」

「…凄い…」


コロンはすっかり課長に心酔したようだ。

ちょっとだけ横道に逸れた雑談でしかなかったのだが…課長は初心な反応を見せてくれる後輩に微笑みを向ける。


「…でも、学校の絵画には」


コロンがそう言いかけた時、課長は微笑みを浮かべたまま、人差し指を口元に当てた。

それを見て、コロンはハッとした表情を浮かべて口を閉じる。


「私、あの学校の卒業生ではないんですよ。入学はしましたが」


口元に苦い成分を含ませた微笑み顔で、課長はそう言うと、ちょっと逸れ過ぎた話を元に戻す為、上着のポケットから用紙を数枚取り出した。


「さて、街中に出現した珍しい転移人の対応が今日の仕事なのですが」


そう言って、コロンに数枚のうちの1枚を手渡す。

彼が用紙に目を通すと、丁度少し前を歩いている、若い男の姿が用紙に写し出されていた。


「あの魔法陣、少々不備を見つけまして…再構成させている最中なのです。今回の対象では不備が起きないのですが…」


課長の言葉を受けて、コロンは自分に与えられた仕事の想像がついた。


「…なるほど、という事は…」

「あの魔法陣、再現できますよね?私も出来ますが、向こうの再構築も同時で進めたく…」

「…はい、大丈夫だと思います。少しお手を煩わせてしまうかもしれませんが」

「多少であれば大丈夫ですよ」

「…ありがとうございます。では…」


2人は小さめな声で言葉を交わしつつ、1人目の若い男の背後まで近づいていく。

気づけば更に狭い路地…人気の一切ない、治安が少し悪い地区に足を踏み入れていた。


「失礼、立ち止まっていただけませんか?」


帝都のド真ん中。

3人しか人影が見えない、狭い路地にコロンの声が響く。

男は不意に声を掛けられたからか、近い距離で背中側から声を掛けられたからか、少しビクッとしてこちらに振り向く。


"力を使い出した"コロンは、その若い男の陰に、渋みのある老紳士の姿を重ねた。

その顔…若い男も老紳士も、共に困惑が浮かんでいる。


「…別の世界から迷い込んでしまったようですね?ご安心を、直ぐにお帰り頂けます」


コロンはそう告げて、男に向けた手に力を込めて、早口で詠唱を始める。

その刹那、男の足元には虹色に光る世24角形の複雑な魔法陣が現れた。


「ふむ…」


課長はコロンの詠唱を聞き、少しだけ足りていない部分をこっそり付与して術式を補強する。

術式の9割5分はコロンが組み上げることが出来、後の5分を課長が補ってやる。


「筋がいい子も居るんですねぇ…」


術式と魔法陣が放つ轟音に、課長の声が掻き消され、その言葉はコロンに届かない。


「……!」


コロンが告げていた詠唱が全て終わり、男の足元に展開された魔法陣は色を失い黒くなった。

虹色の魔法陣、それが放つ光に包み込まれた若い男は、すっかり老け込み、皺が刻み込まれた表情からは渋みすらも感じる程。


「こちらの世界での出来事が、良い夢でありますに」


課長が誰にも聞かれないような言葉で一言、手向けの言葉を男に告げる。

男は最早この世界から切り離されていて、認知できる状況には無いのだが…


「……!」


直後、真っ黒に染まった魔法陣が解けて、辺り一面が真っ暗闇に染まる。

思わず目を覆ったコロンに、微動だにしない課長。


「お見事です」


その暗闇が消えた頃。

ようやく目を開いたコロンに、課長はそう言って優しい笑みを向けた。

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