九百八十八話目 みいらとり

「みんな出かける準備ができてるんですか?」

「うん!」

「行ったら戻ってくるのは難しいですよ?」

「うん!」


 正確にはハルカかナギさえいれば数日の旅ですむのだが、歩くとなると魔物も多いし、コボルトたちの足だと数カ月はかかる可能性がある。というかたどり着くか微妙なところだ。


「みんなに話しておいてくれたんでしょうか?」

「そう! えらい!?」

「あ、はい、えらいですね」


 相談するという段階だったはずなのに、このコボルトの中では必ず引っ越しをできるということになっていたようだ。上手くいっていたからよかったようなものの、ハルカが戻ってこなかったら待ちぼうけである。

 コボルトたちだけで住まわせるのはやはり心配だ。

 ニルとウルメアにはしっかり〈ノーマーシー〉の街と、コボルトたちの未来を見守ってもらわなければならない。


「すごい数いるけど運べるの?」


 視界にいっぱい、ずらーっとコボルトのじゅうたんである。

 皆がいつ出発するのかと期待の目を向けてきている。

 時間はすでに夕暮れで、普通だったら今すぐに出発することなどないのだが、ハルカはその期待を裏切れそうになかった。


「おそらく……、問題ないかと」


 障壁の強度は工夫により日に日に上がっている。

 巨人の長たちの一撃と、コボルトたち全員の体重、どちらが重いかと言えば前者だろう。

 一人二十キロくらいと仮定しても、千人でせいぜい二十トンだ。

 はっきり言って、ナギの方が圧倒的に重たい。

 現実にはそんな単純な計算ではないにしても、それよりも無茶苦茶に思えるような魔法を今まで幾度も使ってきている。ハルカができると考えればできない道理はないだろう。


「もう行く?」


 こてんと首をかしげるコボルトだが、おそらくどうやって移動するかまでは考えていない。歩いていくと言えば歩いていくし、飛んでいくと言えば頑張って飛ぼうとするだろう。

 コボルトというのはそういう傾向のある生き物である。


「えーっと……家の中にまだ寝ている子とか、どこかへ出かけている子とかはいませんか?」

「わかんない」

「うーん……モンタナ、わかります?」


 ハルカが尋ねると、モンタナは目を細めてから首を横に振った。


「無理です」

「そうですか……。では、もう一度だけおうちの中をくまなく回って、声をかけて来てくれませんか? それが終わったら出発しますから」

「うん、分かった!」


 荷物を置いて一人で走りだそうとしたコボルトを、ハルカは脇に手を入れて持ち上げる。


「ひゃ!」

「みんなに声をかけて行って下さいね。一人だと時間がかかりますから」

「分かった、おうちに残ってる人いないか探しに行くよー!」


 白いコボルトが大きな声を出すと、コボルトたちの集団から声が上がり、わらわらと家の中へ戻っていく。

 ハルカが持ち上げている白いコボルトも足をばたつかせている。

 そっと地面に下ろしてやると、彼もまた地面を蹴って家の中へと走っていった。


 やがて地面の中からコボルトたちの声が響いてくる。

 ちゃんと大きな声を出して仲間を探しているようだ。


「……これさー、探しに行ったコボルトがずっと探してて戻ってこないとかもありそうじゃない?」


 かわいらしい姿のコボルトたちを気に入っているコリンが、心配そうにハルカを見上げる。


「……ありえそうです。一応皆が戻ってきたら、いない人がいないかそれぞれ確認してもらいましょう」

「意味あるのかよ、それ」


 レジーナが言葉を吐き捨てた。

 なぜかその場に残っていたコボルトの数名が、遠巻きにレジーナのことを観察しているので、ややイラついているようである。


「見てんじゃねぇよ!」

「ひゃあっ!」


 尻尾を巻いて逃げるコボルトたち。

 だというのにしばらくすると、またそろりそろりとレジーナの様子を見に来る。

 ちなみにモンタナはもっと距離感を縮めてコボルトたちにたかられていた。


「仲間? コボルト?」

「違うです」

「でも尻尾と耳」

「違うです」

「本物?」

「本物です」

「コボルト?」

「違うです」

「何?」

「獣人です」

「…………? コボルトじゃないの?」

「違うです……」


 しばらくやり取りを繰り返していたが、やがてモンタナはたたたっと走って、ナギの背中の上に避難してしまった。

 ナギのことは流石に怖いのか、コボルトたちも遠巻きにしてみている。

 どう考えても首を伸ばせば咥えられる距離なので、その距離の取り方は全く意味をなしていないのだが、コボルトたちは気づいていないようだ。


「うぜぇ……」


 周りに集まってくるコボルトたちにうんざりしたレジーナがこぼす。


「いいなー、レジーナってなんだかこういう子たちに好かれるよね。ハーピーとも仲良かったじゃん」

「嬉しくねぇよ」

「そう? 私は嬉しいけどなぁ。こっちおいでー」


 コリンが手を広げてみるが、コボルトたちは遠巻きにコリンのことを見ている。


「なんか、お花の匂いする」

「うぅん」


 どうもコリンのつけている香水があまりお気に召さないようだ。

 犬のような見た目をしているだけあって鼻が利くのである。


「えぇ……香油いい匂いじゃん……。あー、でもこれ、虫よけとかの効果もあるしなぁ……。えー、だめかぁ……」


 あまり近寄ってきてくれないコボルトたちに、珍しくちょっと項垂れるコリンであった。

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