九百八十二話目 主張の通し方
座っていてなお見上げるほどの巨体の前で足が震えていない。
そのことを自覚して、自分も少し変わったなと思いながらハルカはグデゴロスの前に立っていた。
この世界でも圧倒的な強者の部類である巨人と、平静を保ったまま交渉をしようと思えるのは、自分が場数を踏んだからという理由だけではない。すぐ後ろに、いざとなれば一緒に戦ってくれる仲間がいることが何より心強かった。
「あなた方東の巨人たちはコボルトを食べることがあると聞きます。元はそれをやめていただけないか交渉するつもりでした」
グデゴロスは左の眉を上げて怪訝な表情だけして見せた。
その表情に不快感は見えない。
「今は?」
「彼らの一族と思われるコボルトたちが、ここから東へ行った場所にある〈ノーマーシー〉という街に住んでいます。彼らを連れてそこへ向かおうと思っています。地上を横断していくわけではありませんが、事前にご挨拶に」
「俺があれを領土の資源だからやめろと言えば?」
少しばかり身を乗り出し、ハルカを見下ろすようにしてグデゴロスが威圧をしてくる。交渉の場に立った以上、コボルトたちの命運を握っていると考えているハルカは、表情を変えることなく、拳よりも大きなその目玉を見つめ返した。
「私はコボルトを一つの種族と認めています。大変失礼と思いますが、許可を頂きにではなく、ご挨拶をしに来た次第です」
「俺を前にしてほざくか」
「はい」
たっぷり十秒以上見つめ合い、これはダメかなと思っていたところグデゴロスはにかっと笑って前のめりになっていた姿勢を戻した。
「あんな食いでのないもん好きに連れてけばいい、と言いたいところだが、ただでやるとなると惜しくなる」
「何か条件がありますか?」
「お前は王なのだろう? ならば力を示すべきだとは思わんか?」
「必要のない力を振るうべきだとは思いません。話して分かるのであれば話し合いを」
「あのような巨大な竜を従えてか」
「ナギは卵の頃から育てた私の家族です。力で従えたわけではありません」
本当は小さなころにじゃれついてきたところをきっちり制した経緯はあるのだが、ハルカにその認識はない。
「その、連れている者たちはお前の力に従っているのではないのか?」
「仲間です。対等な関係であって従えているわけではありません」
グデゴロスはじろりと後ろに立ち並ぶアルベルト達を見る。
やたらと好戦的な目をしているのが二人、いつでも戦える姿勢で周囲に警戒を走らせているのが二人、仲間だというハルカを心配そうに見ているのがひとり。
確かにハルカに従っているような印象は受けなかった。
「王が臣民を一人も連れずに来たのか」
「私がやろうと思うことをしているだけです。彼らとは話し合い、納得して付き合ってもらっています」
「王のために命を捨てる民一人連れずくるとは、俺を舐めているのか?」
「……私のために命を懸けてもらうために王を引き受けたわけではありません」
「では、何のために王になった。支配し、崇められ、我が威を広げるためではないのか?」
「成り行きで」
「ふざけた奴め、あまり舐めたことを言うな」
グデゴロスは腕を組んで鼻息を荒くした。
「俺は、何のために王になったのかを聞いている。お前の王としての在り方が、巨人を束ねる俺の邪魔になるのならここで殺す」
ざわりと場の雰囲気が変わった。
アルベルトが、レジーナが無言で武器を握り、モンタナがグデゴロスを遠間からひと息に殺せる手を思案する。コリンは手甲を下ろしたし、イーストンもいつでも戦えるように剣の柄に手を添えた。
少しばかり遅れて頭を低くしていたナギが首を伸ばし、珍しくその威容を露わにする。
そしてハルカは、質問の答えをまとめていた。
一人、グデゴロスの目を見つめたまま、戦うよりも先に意思を伝えなければいけないと考えていた。
「…………意思を共にできる者たちが、争わなくていい場所があればいいと思いました。私を王として仰いでくれた人たちが、必然性なくあなた方に食べられるというのならば、その時は戦わなければならないこともあるでしょう」
「馬鹿らしい、お前が得るものが何もないではないか」
「……悲しい気持ちにならずに済みます」
「下らん」
「くだらないでしょうか?」
吐き捨てるグデゴロスにハルカはすぐに反論した。
反射的なもので、心の奥底から湧き出す気持ちをただ口から漏れ出させるだけだった。
「支配し、崇められ、威を広める。それで得るものは満足感です。私が悲しいものを見ずに済むという満足感と何が違いますか」
「そんなものと一緒にするな!」
グデゴロスが膝を拳で叩くと、どんと地面が揺れた。
囲む巨人が手足に力を込めて臨戦態勢になる。
「一緒でなくとも構いません。ただ、それが私が王を引き受ける理由です」
ハルカはまだ話し合いは続くと思っていた。
なんとなくだけれどグデゴロスが怒りを見せながらも、自分の言葉について何かを考えているように見えたからだ。
巨人族の中で育ち、ひときわ大きな体を持っているというのに、これだけ話し合いができる時点でグデゴロスは相当思慮深く頭のいい人物だ。ハルカはそれを理解しており、そこに分かり合う余地が残されていると考えていた。
「……力を伴わない主張ほど下らんものはない」
否定することはできない。否定しない。
この世界の強い人たちは皆、自分がやりたいことをするために強かった。
逆にいえば、我がままを突きとおすためにはどうしても力が必要なのだ。
権力でも財力でも武力でもいい。
だからハルカは覚悟もしている。
どうしても主張がぶつかり合い、相手がそれを受け入れられないならば、戦わなければならないと前にしっかりと伝えている。
「そうかもしれません」
「俺にはお前の言うことがわからん」
ここで怒りのままに暴れまわらなかっただけで、グデゴロスは十分にハルカの言うことを理解しているはずだ。少なくともハルカはそう認識している。
それでもこの場ではそう答えるのがグデゴロスという人物なのではないかとも、ハルカは思った。
「だがまぁ、そこまで言うのならば力を示してみろ」
「どう示せば?」
「今日の夕暮れ、俺たちは長同士で決着をつけることになっている。お前もそれに出ろ。お前が勝てばお前の好きなようにすればいい。お前が負ければ、お前の国もすべて貰う。巨人族の王となれば、どうせそのうちに支配するつもりだったのだ。手間が省けた」
「……そうですか。王となったら、どちらにせよ戦となっていたわけですね」
「そうだ。断ろうともいずれ戦うことになる。俺にはお前の主張は理解できん。だがお前が最も強いというのなら、理解してやる。それが巨人だ」
「賛同できない人もいるのでは?」
「そんな奴は俺が全員殺す。受けるのか、受けないのか」
再び身を乗り出したグデゴロスに、ハルカは一瞬仲間たちに意見を求めようとしてから、目を閉じて下を向き、小さく首を振って顔を上げた。
「受けます」
「言ったな、約束を違えるな」
「そちらも、お願いします」
「ふん、話は終わりだ」
グデゴロスはハルカの言葉に了承しなかったが、それは負けるつもりがないからだ。鼻を鳴らして、ハルカたちを追い払うように大きな手のひらを振った。
「戦い場所は?」
「各陣地からのちょうど中間あたりだ。時間の頃に竜でくればわかるだろう」
「わかりました、必ず伺います」
ハルカたちはナギに乗って陣を去る。
他の二つの陣営に行くだけの気力は残っていなかった。
アルベルトの俺も戦いたいという文句と、レジーナの無言の視線による非難を受けながらも、ハルカは仲間たちがハルカの決断を少しも否定しなかったことにほっとしていた。
ハルカはナギの背中で二人に謝罪しながら、少しだけ気を抜いて笑った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます