九百七十五話目 人魚の事情
ハルカに加えて、いざずらっと目の前に仲間たちが集まると、緊張はより高まる。
物理的な攻撃が通らず、追いやることでやり過ごしていたアンデッドの集団を、ほぼ一方的に蹂躙した集団だ。肩書を抜きにしたって油断をしていい相手ではない。
川の中にさえいれば、潜って離脱できるかもしれないけれど、交渉を放棄した結果確執が生まれても非常に面倒くさい。
人魚たちが沿岸に縄張りを持つのは子育てのためだ。
深海へ近づけば近づくほど、やばめな魔物が増えてくるため、特に子供が生まれる時期は、水深がある程度制限されている安全な子育て場が必要だ。
この場所を放棄するのは少々リスクが高すぎる。
まして近隣に領土を持つ王となると、適当なごまかしがきかなくなったのがなおよくなかった。
一方でハルカとしては、近隣に暮らす勢力の状況を探っておいた方がいいだろう、という思いはあれど、絡まれさえしなければ放置していた相手である。事を穏便に済ませて離脱できればそれでいいか、くらいの感覚しかなかった。
双方に意識の差があることは理解されず、会話は始まってしまう。
「歌であいつら追い払っただろ? なんで最初からやらねぇんだよ」
戦いを途中で勝手に止められてややお冠なアルベルトが口火を切った。
交渉相手はハルカであったはずなのに、集団の中でも攻撃的な容姿をしているアルベルトから問い詰められて、ルノゥは内心舌打ちをした。
王が直接出張ってきているからにはすべての交渉をハルカがすると思っていたのだ。
やり難い。
「……必要なことでした。目的は知りませんが、奴らは森にすみ、森に近付くものを排除します。私たちはこの場所を縄張りとするため、奴らを陸上の盾としていたのです。そしてそれは、長いこと崩されることのない均衡でした」
「最初から言えボケが」
「……ぼけ……」
言われたことのない暴言にルノゥはぽかんとして口を開けてしまう。
短く人魚のやり方を非難したのはレジーナだった。
アルベルトと同じく、半端なところで終わった戦いに、というか、途中で終わったせいでモンタナやイーストンに討伐数で負けたことにイラついている。
最後までやったからと言って勝てたとは限らないけれど。つまり八つ当たりである。
それはそうとして、正論ではある。
「あわよくば、よそものがアンデッドに負けることを期待したんだろうね」
細いなりで最も効率的にアンデッドを切り刻んでいたイーストンが、責めるでもなく冷静に分析をした言葉を紡ぐ。
「いずれにせよ、私たちが勝手に縄張りに入ったことが始まりですから、仕方のないことではあるのですが……」
ぴりつく場を和ませるのが、この場で最も身分の高いはずのハルカであった。
ルノゥはほっとしつつ話を続ける。
「森のアンデッドを一掃されてしまうと、この場は暮らしやすい場に変わってしまいます。巨人たちが攻め入ってくるかもしれませんし、
「成程……。あの、今皆さんが歌っている歌ってどんなものなんです?」
「生きるものを招き、死者を遠ざける歌です。子供がいる時期には子守歌とするのですが、いない時期には眠気を覚ますための凱歌を選んでいます。特に幼いものですと、意図せずに引き寄せられてしまう可能性は十分にあります」
ルノゥが仲間たちの方を向くと、ご機嫌に首を振っているナギがいる。
ハルカたちから見るとかわいらしいものだが、その足元でコーラスをしている人魚たちからすれば、それなりに恐ろしい状況であった。
「うーん、確かに近くで聞いてみたくなるもんねー、これ」
「そですね」
「聞いていると自然とワクワクしてきますね」
この歌というのは情緒を介するか介さないかによって、受ける効果はちょっとずつ変わってくる。そのあたり、アルベルトとレジーナには今一つ効果が薄いようだ。もちろん、対象を絞って歌われれば作用もするのかもしれないけれど、今のコーラスは森全体に潜むアンデッドに向けられたものだ。
そんなことよりも戦いだ、の精神の二人に効くほどのものではない。
また、精神的に成熟した者にも効果は薄い。
自分の心が外部の何かによって乱されていると感じとり、警戒をできる者の精神に入り込むのは難しい。イーストンが効果をあまり感じていないのはその辺りの事情によるものだろう。
ナギが歌に過剰に反応してしまったのは、彼女が情緒豊かで、素直で穏やかな気質をもった子供の竜だからだろう。人魚たちにしてみれば運が悪かったし、ハルカたちからすればいい子に育っていると言ったところか。
「先ほどまでは知らぬものにこちらの状況を明かしたくないため追い払おうとしていましたが、今となってはそうする理由もありません。そちらに無礼な態度を取ったことは謝罪します。歌はこれから交代でしばらく続きますが、それでもよろしければ朝まで滞在なさってください」
「じゃあ、ええと、それはお言葉に甘えるとして……」
ルノゥは話が無事に終わりそうなことにほっとした半面、ハルカが次に何を言うかが気になって唾をのんだ。
「あなた方としても夜に何時間も歌わなければいけない状況というのは、しんどいものではないのですか?」
あちらこちらを制したらしい王の言葉は、要求でも何でもなく、ただ人魚たちの生活を気遣ったものだった。
なんだこいつ、と思うのと同時にルノゥの気が抜ける。
「……えぇ、いえ、別に大したことはありませんが」
本当はしんどい。
人魚は別に夜行性ではないのだ。
昼間に日を浴び、夜は水の底で休む。
ここ以外の場所ではそれが難しいからこそ、こうして面倒な儀式を数十年も続けているだけだ。
それでも、わざわざそんなことを通りすがりに素直に答えてやる必要もなかった。
一瞬言葉を肯定しそうになったルノゥだったが、すぐに気を引き締めて何でもないような顔で首を振るのだった。
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