九百七十三話目 お化けなんて

「まずは竜を岸へ上げてください」

「……ナギ、皆のとこに戻りましょう」


 単純に竜が生活の場に入り込んでいるというのは恐ろしいのだろう。

 当然の要求を聞き入れ、ハルカはナギと共に岸へ戻る。

 ハルカの横に立ったイーストンが小さな声で話しかけてくる。


「下半身が海洋生物の破壊者ルインズ、いわゆる人魚マーマンだね。上半身が魚っぽい奴らのことは半魚人ダガンって呼ぶらしいよ」

「性質的な違いはありますか?」

「人魚の方が泳ぎがうまくて穏やか、半魚人は陸上でもある程度活動できて、武器の扱いがうまい」

「……なるほど、ありがとうございます」


 小声で情報を貰ったところで川の中から言葉が投げかけられる。


「何をしに来たのですか」


 警戒心を露わにして、硬い口調だった。


「西へ行くために一晩泊まっていただけです。あなた方がこの川にいることすら知りませんでした。こちらからも聞きたいことがあります。ナギが突然川へ飛んでいった理由を知りませんか?」

「……その竜は、まだ幼いですか?」

「よくわかりますね」


 姿だけ見ればナギは立派な大型飛竜だ。

 少なくともハルカが大竜峰でみた他の大型飛竜よりも、さらに大きな体をしている。


「ではそのせいで歌に惹かれたのでしょう」

「そういえば、さっきまで歌が聞こえてきていましたね。あなたたちが? それに惹かれたというのは?」

「……私たちは、歌に力をのせることが出来ます。もちろん、竜を呼ぶつもりで歌っていたわけではありません」


 一瞬ためらったのは、自分たちの力をハルカたちへ開示することになるためだろう。ただそんなことよりも、今この状況を平和裏に終わらせたいという強い気持ちが、彼女に能力の説明をさせていた。


「では、たまたま私たちがあそこにいただけで、毎晩歌を歌っているということですね」

「そうなります。できればすぐに歌を再開したいので、ここから離れてもらえませんか?」


 ハルカたちとしては、この時間に空を飛んで他の野営地を探すのはできれば避けたいところだ。巨人族の領土へ入るのも、アンデッドがいるらしい森の中へ入るのもご免である。

 川をさかのぼると自然とそうなってしまうのも面倒なところだ。


「どうしても歌わなければならないのですか?」

「……そろそろ再開しないと面倒なことになります」

「……もし私たちが川辺にいる状態で歌ったらどうなります?」

「場合によっては先ほどの竜のように、私たちの周りにやってきてしまいます」


 今一つ人魚たちの目的がわからないハルカである。

 生き物を呼び寄せて餌とするためだとしたら、もう少し好戦的でもよさそうなものだと思う反面、ナギの姿を見たからこそ慎重な対応をしている可能性も考えられる。

 少し考えた結果、ハルカは素直に尋ねてみることにした。


「何のために歌うのですか?」

「…………なんでも聞かねば気が済みませんか?」


 根掘り葉掘り事情を聞いてくる相手を警戒するのは当然のことだ。

 対応する人魚の声のトーンが一つ下がる。


「えー……、できれば、ですね、移動したくないのです。朝一番に出ていくというのではまずいでしょうか?」

「……面倒ですね、時間があまりないのですよ、ほら」


 人魚がハルカたちのいる方を指さした。

 示していたのはハルカたちではなく、その後ろにある森であった。

 振り返ったハルカは、その事実に気づいて体を硬直させる。


 森の淵に、ゆらりゆらりと、青白い影がいくつもやってきていたのだ。

 足はなく、ローブ姿で、その顔にあたる部分はただ黒い影となっている。


「今はまだ遠くにいますが、奴らは少しずつ川べりにもよってきます。そうして私たちを見つけると魔法を次々と放ってくるのです。それを退けるために歌を歌っていました。説明はこれで十分でしょう、早く立ち去っていただきたい」

「……行きましょうか」


 できればアンデッド、とくに幽霊っぽいのにはかかわりたくないハルカである。

 しかし仲間たちもそうであるとかと言われればまた別の話だ。


 ナギは物珍し気に首を伸ばそうとしているし、アルベルトとレジーナは戦う気を出している。


「さっきまでいなかったぞ」

「ぶっ飛ばせばいいんだろ?」


 すでに武器の準備は万端で、あとは仲間たちの反応待ちの二人である。


「ふっ、倒せるのならここに残っても構いませんよ。ただ、危うくなっても私たちは加勢しませんので悪しからず。できれば早く逃げ帰って欲しいですね」

「あの、煽るようなことは……」

「やるですか」

「あーあ」


 ハルカが人魚へ苦情を入れる前に、意外と負けず嫌いのモンタナが討伐隊に加わってしまった。コリンは諦めの声を発し、イーストンは仕方なく剣を抜く。


「普通に斬ってもだめらしいから、カナさんに習った纏いを使って。駄目だったらすぐ逃げる準備。ハルカさんは魔法の迎撃お願いできる?」

「戦わなきゃダメですかね……?」

「今の時間から他の場所探すより、撃退する方が楽じゃない?」

「そうですが、強いかもしれませんよ?」

「その時は皆で撤退するしかないでしょ」


 アンデッド達が杖のようなものを掲げて一斉に何かを始めた。

 その瞬間、アルベルトたちは走りだす。


「前衛なしの魔法使いだけとか……舐めてんじゃねぇぞ!」

「ハルカもできるだろ」

「あれは別!」


 レジーナの突っ込みに例外認定。

 ハルカは丈夫なので魔法使いとしては例外だ。


「ノクトさんもやりそうだけど」

「うるせぇ!」


 イーストンの指摘ももっともだが、あれもまた特殊な例だろう。


「……ユエルさんにも負けたです」

「あんなのと一緒にすんな!」


 吠えたアルベルト、そしてナギに向かって一斉に魔法が発射される。

 しかしそれらは全て、目の前の障壁に阻まれる。

 ばらばらの魔法が、消えたり、弾かれたり、あるいは爆発してその場で消え失せた。


 仲間たちが走り出すと同時に空へ浮かび上がっていたハルカは、最初のその射線を遮ることを優先したのだった。爆発で土が巻き上がり、壁の向こうが良く見えなくなる。

 このままではアルベルト達の行動にも支障が出るだろうと、ハルカは障壁を消してその場に風を送り込んだ。煙が晴れる頃には皆が切り込んでいるはずだ。


 しかし、直前になってモンタナが声を張った。


「また来るです!」


 視界がなく、自分たちの魔法に巻き込まれたはずのアンデッドは、何もためらわずに第二の魔法を放つ準備をしていたようだ。予想外の事態に僅かに障壁を張るのが遅れる。

 一斉に放たれた魔法がアルベルト達に襲い掛かる。


「ちょっと下がってねー」


 そう言いながらコリンは、アルベルトの肩を掴み、勢いよく前に飛び出した。


「おい!」

「だいじょぶだいじょぶ、よっ、っと」


 そして走りつつ、ハルカが迎撃し損ねた魔法を魔素を纏わせた手甲で受け流していく。コリンの後ろにアルベルト、そのまた後ろにモンタナが縦列になる形で、被弾を抑える。


「腕、上げたんじゃない?」


 うまく魔法を躱したイーストンが賞賛を送ると、コリンは得意げに笑って見せた。


「ん、ハルカと訓練してるともっといっぱい飛んでくるし」

「あああ、うっぜえぇ!」


 一発被弾したレジーナは、金棒で地面を抉り、土くれやら礫やらをアンデッド達に向けて弾き飛ばす。通常であれば十分な威力を持つはずのそれらは、残念ながら全てアンデッドの体をすり抜ける。

 やはり物理的な攻撃は効果が薄いようであった。


「どうするのかしら? 攻撃なんて効かないわよ?」


 人魚の呆れたような言葉に、ハルカは正面を見据えたまま答える。


「それは……、どうでしょうね」


 そろそろ仲間たちの手が、アンデッドへ届こうとしていた。

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