九百七十二話目 歌声に惹かれる
モンタナが耳をピクリと動かした。
目はまだ開いていないが、何かは聞こえているらしい。
ハルカは自分だけに聞こえているわけではないとわかり、まずはほっとした。
「何か聞こえますよね?」
「ん、です」
「えー……、うん、なんか聞こえるかも」
「何でも森の方に実体を持たないアンデッドがいる可能性があるらしく……」
ハルカが恐る恐る森へ目を向けていると、薄く目を開けたモンタナが首を傾げる。
「あっちからです」
モンタナが指さしたのは、森ではなく、反対側。
川が流れている方だった。
「……あー……、どちらにせよ、ちょっと警戒した方がいいかなと」
完全に先ほどの話の方に意識を引っ張られて、発生元を勘違いしていたハルカである。正直な話かなり恥ずかしかったので、触れずにそのまま話を流そうとしている。
そんなハルカの心に触れないでやるのは、仲間たちの優しさだ。
その場にいる半数はわかっていないわけではない。
「見に行くですか?」
「いや、……水辺にすむ
「へぇ」
寝起きの癖に目をかっぴらいたのはアルベルトである。
「危ない?」
「実は僕もよく知らないんだよね。各地に島があって、そこに住んでいることが多いらしいんだけど、かつてはあちこちの沿岸にいたんだって。船乗りは歌声が聞こえたら近づかないって言ってたよ。ただ、難破したときに歌声にひかれていって助けられたって話も聞く」
「うーん、ちょっと森によって近づかないようにしておく? 明日には出発するんだし」
「森ですか……」
深い森は近づくほど不気味だ。
ハルカとしては日が差している時間でも、先ほどの話を聞いてしまってはあまり近づきたくない。
「川行こうぜ」
アルベルトの提案に、腕を組んで黙っていたレジーナが、足を踏みかえて川の方を向いた。気持ちは完全に傾いている。
「えー……でもさぁ、こんな真夜中に歌ってるの、怪しくない?」
「そうですよねぇ……、私たちがいるのを知っていてやってるんだとしたら……」
「ま、危ないだろうね」
川からも森からも遠い良い場所に降りたはずなのに、いつの間にか前後に得体のしれないものが湧いてきてしまった形になる。
完全に後手に回っている今は、どうにも動きづらい。
「とりあえず待機です?」
「それがいいんじゃないかと」
「見に行きてぇけどなぁ、俺は」
すでに片手に武器を持っているアルベルトは、落ち着きなくうろうろしている。
そんな時、ハルカたちの背後の影がぬーっと動いた。
お化けではない、ナギだ。
首を持ち上げたかと思うとむっくりと起き上がり、のそのそと川辺に向かって歩き出す。
「ナギ? 喉が渇いたなら水出しますよ?」
ハルカが声をかけても、ナギは止まる様子も、耳を傾ける様子もなく、ゆっくりと空に飛びあがり、そのまま川へと飛び始める。
「追います!」
すぐに空を飛んで追いかけ始めたハルカの下から、アルベルトの大きな声が響く。
「俺たちも行くぞ!」
ある程度距離を取っているといっても、川までの距離はせいぜいが数百メートル。ナギがスピードを出せばほんの数秒で到着してしまう。
ハルカがナギの顔の横へ追いついたころには、ナギはすでに降下し始めていた。
風を切る音で、ハルカの耳にはもはや歌なんて当然聞こえてこない。
「ナギ!」
「きゃああ!」
もう一度大きな声で名前を呼んだ時には、川のほとりからいくつもの女性の叫び声が聞こえてきていた。
ナギはそのまま着水、とんでもない量の水しぶきを上げて下半身を川の中へつける。そうしてのっそりと振り返ると、障壁を張ったまま顔の横にいるハルカの姿に気づき「あれ」っという顔をして首を傾げた。
「ナギ、どうしたんですか」
ようやく落ち着いたことがわかり、ハルカはナギの鼻の頭に手を触れながら話しかける。ナギの視線がゆっくりと動き、川辺の方へと向いた。
そこには、ナギの着水によって陸へ押し流された何かが、呆然とした顔でこちらを見上げていた。
「……人魚」
下半身が魚類、上半身が人。
ハルカが物語や伝承でよく知っている人魚であった。
少し遅れて、陸地の方からアルベルト達が走ってくる。
人魚たちは慌てて水へ戻ろうとするが、陸ではうまく動けないらしく難儀しているようだ。
ナギの足元近くでは、仲間を心配している人魚たちが顔を出し、ナギとハルカを警戒しつつも慌てている。
「お、なんだ? 敵か?」
地面に転がっている人魚たちを見て、アルベルトが声を上げたところで、川の中にいる人魚が覚悟を決めたように目つきを鋭くした。
「アル! レジーナ! 止まって下さい!」
波紋が広がるように川の水が盛り上がり、陸地に向かっていこうとしたのを見て、ハルカはすぐさま川岸に横長の障壁を張った。一メートル近い波が沿岸へ襲い掛かり、そして障壁に弾かれて戻ってきた。
驚いたのは川の中にいた人魚たちである。
見えない壁に阻まれ濁流となった川の中に、慌てて潜り込み難を逃れる。
ちなみにナギは数歩後ろへ動いただけで、ちょっと楽しそうにしていた。
やや下流に流されてしまった人魚たちが頭を覗かせた時、このタイミングだと思ったハルカは声を上げる。
「戦わず話はできますか!?」
ハルカの声掛けに、川の中に残っている人魚たちは、目元だけを川から出してじろりと視線を向けてくる。
未だ混乱状態だけれど、油断できぬ相手であると認識しているようであった。
「まずは陸地に上がってしまったあなたたちの仲間を川へ戻します。それで話はできるでしょうか?」
返事はない。
ハルカは仕方なく、まずは行動を起こしてみることに決めた。
「皆、ちょっと下がっていてください」
仲間たちに声をかけ下がらせると、陸に打ちあがってしまっている人魚たち全員を包み込むほどの大きな水球、いや、水の塊を空中に生み出し、それをゆっくりと地面に下ろした。
近づけば警戒されてしまうだろうし、障壁ですくっても鱗を傷つけては困る。
とにかく敵対しているという印象を与えるのを避けるための策だった。
川とハルカの生み出した水がつながると、人魚たちはその中を泳いで川へと戻っていく。全員が川へ戻ったのを確認すると、ハルカはその水の塊を川の中へ移して、そっと魔法を解いた。
巨大な水の塊だったとはいえ、向こう岸がかすんで見えるほどの広い川の水量を思えば微々たるものである。
「……こちらもナギが……、この子がいきなり飛んで行ってしまって困惑しているんです。何か事情があるのなら話し合いをしたいのですが、いかがでしょうか」
夜の川面に半分だけ顔が出ている人魚が大量に並んでいる光景は、はっきり言ってホラーだ。夢に出てきそうだと思いながらも、ハルカが精いっぱい頑張って紡いだ言葉は、はたして、人魚に届いたようだった。
「……話をします」
透き通るようなきれいな声は、然程大きくない割に、まっすぐにハルカの耳に滑り込んでくるのだった。
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