九百四十一話目 王を堕とす

 ヘイムの全身の筋肉が肥大化し、肌の表面を血が覆っていた。

 血染めの筋肉の化け物。

 優雅さとはかけ離れた姿に変じていた。


 いつのまにかあたりを覆っていた霧が晴れていた。だというのにヘイムが力を失わないのは、血によって作られた外郭によって、その体が守られているからだろう。


 破壊衝動。

 先ほどまで理性的に、技を持って振るわれていた刀は、ただの鉄の棒とかした。


 無造作に、力任せに振り回しただけのそれが、技を使っていた時よりも疾っていたのは、技量の敗北と言っていいだろう。


 咆哮しながら襲ってきたヘイムの一撃を、カナは冷静に受け止める。無茶苦茶な攻撃は受け流し続ければ、そのうち燃料切れになるだろうと確信していた。

 一撃が重い。

 しかし攻撃を受け流す技術は誰よりも高いカナである。


 嵐のように振り回される攻撃を、槍一本で捌き続ける。

 腰の遺物へ魔素を回すのはやめた。

 いま必要なのは、手数ではなく正確さである。


 いくら速く力強い攻撃といえども、反撃する機会は幾度かあった。それでもカナが攻撃を受け流し続けた理由は、こういった理性を失った戦士が、致命傷を負った後も動き続けることを知っているからだ。


 反撃をするならば確実に心臓をつぶす必要がある。

 血液で作られた鎧がどれだけの強度を誇っているかわからない以上、博打に出るわけにはいかない。倒す決意はあっても、道連れに殺されてやるつもりはないのだ。


 カナが苦戦していると見たのか、フォルが走り出す。またその足に噛みついて主人を支援するつもりだ。


「フォル!!」


 カナによる警告の大声に、フォルは急ブレーキをかけてその場に止まった。

 フォルは竜として十分に強く速いが、今の状態にあるヘイムにつっかけて無事ではいられないだろうと、カナが判断したのだ。


 そしてその声を上げた隙に、ヘイムは無理やりにカナの横を駆け抜ける。

 カナは咄嗟に石突による突きを側頭部に放つと、それはヘイムの頭部にある血の外郭を破り、ドプリと中にめり込んだ。


 液体へ突き入れたような感覚。

 引いた槍の石突には血液が付着していたが、ヘイムの動きに変わりはないようである。


 体を蝙蝠ではなく血液に転じさせたのだ。


 ヘイムが最初に狙う相手は決まっていた。

 並んでいる中に、ただ一人隙だらけの人物がいるのだ。当然それを狙うに決まっている。


「ハルカ!」


 声を上げたのはコリンだった。

 いくらハルカが丈夫だといえど、今のヘイムの動きは常軌を逸していた。


 真正面からくるヘイムの動きを、ハルカの目はなんとか追いかけることができていた。視線から、自分が狙われていることもわかる。


 間に障壁をいくつか張ってみる。

 一枚目、突撃により破壊。

 二枚目、どうして気づかれたのか、刀により切断。

 質量で対抗するため、拳に岩を集め、それで殴りつけるが、それも衝突により破壊。

 ハルカの伸びた腕は、そのまま血の外郭へと衝突。折れることなく貫通し、ヘイムの体の中心を貫いた。


 ぞぶりと温かい血を拳に感じて、ハルカは目を見開く。

 動きを止めずに飛びかかったヘイムは、そのまま右手でハルカの左腕を握り、口を裂けんばかりに大きく開いた。

 すぐ近くで観察したハルカにはわかる。そこに理性はなく、そこに判断力はなかった。


 もしヘイムが冷静であれば、強力な血の外殻が破られた時点で身を引いただろう。

 吸血鬼の丈夫な体を、さらに肥大した筋肉で守っていたにもかかわらず、曲がることも砕けることもせず、その身を貫いたハルカの体の丈夫さを畏怖したことだろう。


 ヘイムはハルカの左肩を噛みちぎるつもりで、顎に力を込めたが、その肌に歯が食い込むことはなかった。

 ヘイムは本能的に、急速に消費しつつあるエネルギーをここで補給するつもりだったのだ。しかし当てが外れてしまった。

 続けてハルカを壊すべく、左手に握った刀を振るった瞬間、腕がボロリともげた。

 何が起こったかわからないまま、衝動に任せて体を無理やり動かし続けるヘイムは、その度ボロボロと体が崩れてゆく。

 顎が、右手が、足が、ボロボロと崩れ、やがてヘイムの体は、ハルカの腕が突き刺さった胴体のみになってしまった。

 

 残った体から、崩れたカケラから、ほのかに冷気が立ち上る。

 ハルカの魔法によって凍らせられていた体を無理やりに動かしたせいで、ヘイムの体は自壊してしまったのだ。


 それでもヘイムの体は、心は、壊したい、ただ壊したいという気持ちに支配されていた。吸血鬼はどんな状態なろうとも、心臓が破れない限りその命は存える。


 残った胴体に向けて、金棒の一撃が飛んできた。


 パンッ、と凍った胴体が弾ける。


 真っ赤な氷が太陽の光を浴びてキラキラと輝きながら宙を舞った。それは空に舞いながら、少しずつ色を失い、やがて地に落ちる頃には灰へと変わっていた。


「ちゃんと倒せ」

「あ、はい……、すみません……」


 呆然としているハルカに、いつもと変わらない調子のレジーナが文句を言う。

 反射的に謝罪をしたハルカは、戦いが終わったことを理解して、空を仰ぎ、そして城壁からこちらを見下ろす無数の目に気がついた。


 そして悲鳴が上がる。

 城壁からたくさんのコボルトたちがハルカたちのことを見下ろしていたのだ。

 ハルカが見上げたことで、気づかれたと思ったのか、コボルトたちがその場に座り込んだり押し合いへし合いしながら逃げ出したりと、大混乱に陥っていた。


「こりゃあ、ちょっと威厳を見せすぎたかもしれんなぁ」


 ニルは呑気にそれを見上げながら、ぼやくようにそういった。

 

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