九百三十五話目 自覚
レジーナは無造作に距離を詰めると、力のぬいたフックを放った。力のぬいたと言っても、それはレジーナの主観であって、実際には身体強化がそれほど込められていない攻撃、である。
スピードはそこそこ。
威力は大体人がもんどり打って倒れる程度。
これまで戦場に立ったことも数多くあり、それなりの強者をなぶり殺してきたウルメアからすれば、馬鹿にされていると解釈してもおかしくない攻撃だった。
攻撃は見える。
掴んで反撃に移ってやるつもりで、ウルメアは腕を動かし、その緩慢さに初めて気づいた。
では回避をと上体を逸らす動作をした時には、拳で頬を撃ち抜かれていた。
覚悟がないまま受け止めた一撃の衝撃は、不意打ちとそう変わらない。
足を踏ん張る間もなく転がったウルメアの目にはチカチカと星が散っていた。
口内では大量の出血。
世界が回っているように揺れて、自分が立っているのか転がっているのか、天地すらよくわからない。
呼吸をするために吐き出した血に、白いものが混ざっている。
あの程度の攻撃で歯が折れたか欠けたかしたのだ。
思考に体が全く追いついていない。
あまりに脆く弱い。
ウルメアがそれを痛感したところで、歩いてやってきたレジーナが、その額を軽くこづいた。
受け身を取ることもできず仰向けになったウルメアに、レジーナはなんの躊躇もなくまたがる。
「か、体が、思うようにうご……」
降参するとか、負けだとか、体裁を整えようとせずに叫べばよかったのだ。
言い訳をするような言葉は、途中で降ってきた拳で中断された。
ごっ、と地面からなのか、ウルメアの顔からなのか、鈍い音がした。間髪入れず次の拳がウルメアの顔に振り下ろされ、寸前でピタリと止まった。
「なんだこいつ」
最初の一撃を視線で追いかけられていたから、多少はやるのかと思っていたレジーナであるが、期待が外れてつまらなさそうにつぶやいた。
そうしてウルメアの胸ぐらを掴んで立ち上がると、そのままハルカの元へ運んでくる。
「あの、え?」
ハルカとしても予想外だ。
もう少し何かあると思っていたのに、あまりにあっさりとした幕切れだった。
「雑魚だからほっとくと死ぬ」
「え?」
ぽいっと放り投げられたウルメアの体は、力無くぐにゃりと地面に崩れ落ちた。
慌てて仰向けに寝かし直したハルカは、その顔面を見て思わず「うわっ」と声を上げる。
美しく整っているはずのウルメアの顔が、表現するのが憚られるくらいに形を変えられていたのだ。 かろうじて呼吸を維持しているような状態に、ハルカは慌てて治癒魔法をかける。
「れ、レジーナ」
「生きてるだろ」
怒られると思ったのか、レジーナが先に言い訳するようにいうと、ハルカは治癒魔法をかけながら続ける。
「いえ、ウルメアは手を抜いている様子ありましたか?」
「……ねぇよ。攻撃が見えてるだけの雑魚だった」
「そうですか……。丈夫だったりとかは?」
「人とかわんねぇ」
「身体強化や魔法を使う気配とか……」
「ねぇよ、雑魚だ、ただの雑魚」
面倒くさそうにレジーナが答えたところで、ウルメアの怪我が完全に治る。
「大丈夫ですか?」
ハルカが軽く肩を揺すると、ウルメアは小さく唸った。
「あああぁあっ!」
そうして急に手足をばたつかせたかと思うと、両腕で顔を守るように覆った。
殴られた衝撃のところで記憶が途切れているウルメアからすれば、今の仰向けの状態はさっきの続きなのだ。
明らかな死を思わせるレジーナのパウンドから顔を守るために必死だった。
あまりに弱い、あまりに脆い。
無力感と絶望感。
ウルメアはほんの数秒だけそうしてから、腹の上に誰も乗っていないことに気がついた。
そっと腕を外すと、少し離れた場所にレジーナが腕を組んでたっており、すぐ横にはことの元凶であるハルカがしゃがみ込んでいた。
怖かった。
上半身をお起こすと、体を守るために、手で自分の両肩を抱いて、ずりずりと後ずさる。
力を失えば生かすと言っておいて、本当は自分をなぶり殺すつもりだったのではないかと、今のウルメアは本気で疑いを持っていた。
「先ほどのが本気ですか?」
真面目なハルカの顔が怖くて、ウルメアは声を出さずに頷く。体が慣れればもう少しやれたかもしれないと強がる気持ちを、恐怖心が押さえつけていた。
「嘘じゃありませんね?」
もう一度頷く。
「あなたが吸血鬼の時に使えた力を教えてください」
「……体を蝙蝠に変えること、血を操り武器にすること、魅了の魔法、血煙によるその強化、翼で空を飛ぶこと……、再生能力と単純な膂力」
「あとは?」
「あ、あとは、血で複製体を作ること……」
隠そうとしていた切り札も、尋ねられただけであっさりと吐き出してしまったウルメアは、もうダメなのだと、逆らえないのだと顔を歪めた。
「何体です?」
「ご、三体まで」
「本体と同じことができるんですか?」
「全体的な力は少しずつ落ちるが……」
「なるほど、できることは残っていますか?」
ウルメアは口腔内にわずかに残った血液に干渉しようとして、それが全くできないことに気がつかされた。
何もない。
ウルメアに残された力はもはや何もないのだ。
それを宣言することが酷く屈辱的で、喉が閉まってうまく声を出すことができない。
「……残っていますか、いませんか?」
「…………ない、なにも」
かろうじて絞り出した声は、ウルメア自身にもその現実をはっきりと認識させた。
生きているだけ。
圧倒的な弱者として、怯えながら生きていくしかないのだ。
今からでも死を選ぶべきだと、僅かにどこかに引っかかった誇りが囁き、ウルメアは顔を上げる。
そうして、ハルカの顔を見て、口を開いただけで終わった。
レジーナの拳が迫る瞬間の死のイメージ。一族が殺され続けた記憶が、殺してくれという言葉を飲み込ませた。
何もない。
ウルメアは足をたたみ、それを腕で抱え込み、小さく小さく体を折りたたんだ。
何も考えたくなかった。
何もない。
今まで馬鹿にして糧にし続けた人と同じか、それ以下の力。
全て受け入れるには、試練に向き合ったことがほとんどないウルメアの心は、どうやら打たれ弱すぎたようである。
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