二百十話目 行き掛けの駄賃
「……ザッケロー男爵は無事だろうか」
「さぁ、命まで取るってことはないはずよ」
グレッグが不安そうな顔で漏らすと、コリンが肩を竦めて投げやりな調子で答える。そんな返事だとますます不安に思うだけだろうと思ったハルカは、あとを追ってフォローを入れようとしてやめた。
今口を開くと余計なことまでぺらぺら話してしまいそうだった。
グレッグは表情を変えずに、男爵がいるはずの方向へ視線を向ける。
「そんなに心配なら残って守ってやりゃあよかったじゃねぇか」
「怖いもんは怖い」
「正直な奴」
「ザッケロー男爵は今でこそあんなだが……、いや、昔からあんなだが、小さなころから知り合いなのだ。いつも偉ぶって鼻につく嫌な奴だったが、昔はまだ今ほどひどくなかった。今回のことがいいお灸になればいいと思っている。……ただ、流石に死んでしまうとなると忍びない。絵本の中の悪魔は痛めつけるだけ痛めつけると満足していたが、あの少年はどうなのだろう」
未だにノクトの年齢を信じておらず、少年というグレッグをみて、アルベルトが笑いを漏らした。
「だからジジイだって言ってるだろ、あいつは。でも無駄に殺したりはしねーよ、多分な」
「うん、そういう採算の合わないことはしなさそう」
二人して無駄でなければノクトが平気で殺しをすると言っているようなものだ。モンタナはユーリの傍に座って、尻尾を好きにさせてやっている。手元には石を持っていて、すっかり細工師モードだ。ユーリはたまにふわりと鼻先を撫でる尻尾を優しくなでながら、目をとろんとさせて眠たそうだ。
「仮にも【月の神子】と呼ばれる人ですから、大丈夫ですよ」
ユーリの眠りを妨げないように、静かな声でハルカが告げると、グレッグは驚いたような顔をして見せた。
「【月の神子】と言えば、前王の後ろ盾となっていた、獣人国の重要人物と聞いたことのあるような……。それは本当ですか?」
「……少なくともヘドリック男爵領の方はそうおっしゃっていました」
自分と話をするときだけ敬語になるグレッグに、変なむずがゆさを感じながら返事をした。グレッグは顔を青くしてすっかり考え込んでしまったようである。
ノクトがこの国の王族と縁を持っていることは、ハルカ達も薄々感じていたが、思っていた以上に深い関係があるようだ。
そんな話をしていると、扉の外からノクトの声が聞こえてくる。
「みなさぁん、どこにいますかぁ?」
グレッグが複雑な表情を浮かべてドアを開けると、まず部屋に男爵が入ってきて、その陰にかくれるようにノクトが姿を見せた。ザッケロー男爵はすっかり大人しくなっており、あからさまに背後に立っているノクトに怯えていた。しきりに震える指先をさすっている姿は、見えない場所で何が起こっていたのかを想像させた。
「もうここに用事はありませんから、出発しましょうね。旅に必要なものも分けて下さるそうです。外で待っていれば、きっと持ってきてくれるはずですよ」
ご機嫌なノクトはユーリのベッドを浮かし、廊下の真ん中を歩いて外へ出て行く。後ろからは男爵が弱弱しい声で、グレッグに指示を出しているのがかすかに聞こえた。
「なぁ、お前この国の前の王様の後ろ盾やってたのか?」
暇だったのか素振りをしながらアルベルトがノクトに尋ねる。
「あれぇ、誰かから聞いたんですか?」
「グレッグが言ってたぞ。【月の神子】ならそうだって」
「えぇ、私がいない場所で、他人の口から知られると面白くないですねぇ」
ノクトはぼそっと文句を言ってから、目を細めて遠くを見る。
「後ろ盾とかは知りませんけど、彼が若いころからの知り合いです。言うなれば友人でしたよ。そうですねぇ、ちょうど今のアル君のような感じです」
「ふーん、そうかよ」
アルベルトが素振りをやめて、明後日の方を見た。モンタナがそれに気づいて、てててと走り、アルベルトの正面に回ろうとすると、アルベルトはさらにぐるっと回って、男爵の屋敷の方を向いた。それでも正面に回ろうとするモンタナに、アルベルトは手を伸ばして頭を押さえつける。
「はなすですよ」
「うっせぇ、こっちくんな」
コリンがにまーっと悪い笑みを浮かべるのが見えた。
ハルカはユーリの横に座り込んで、その様子を眺めていた。ユーリも何事かとごそごそ動き出す。
「アル、もしかして照れてるの?ノクトさんに友人って言われて」
「は?ちげぇし」
「おや、アル君照れてるんですか、かわいい反応をしますねぇ」
「うるせぇうるせぇ、ハルカ、こいつら何とかしろ!」
「あー……、そういう風にからかうとアルが拗ねちゃいますよ」
「そうじゃねぇだろ!」
助け舟を出したのだが、お気に召さなかったようだ。ベッドの中でユーリも立ち上がってその様子を見ていた。
「アルかわいいね」
「そうですね」
正確に状況を理解しているらしいユーリの頭を撫でてやる。アルベルトがあっちこっちを向いて忙しそうだが、やがて顔を赤くして仁王立ちになった。あれはもう照れているんじゃなくて怒っている。
全員がアルベルトから逃げるようにユーリの周りに集まってくる。
何かを言おうと息を吸い込んだアルベルトだったが、ニコニコと自分を眺めているユーリに気づいたのか、その息はそのまま吐き出されるだけにとどまった。
「お前ら、ユーリを盾にするのはずるいぞ」
「アル、かわいいね」
「うっせ」
ご機嫌なユーリにそっけなく返事をしたアルベルトは、その場に座ってがりがりと頭を掻いた。泣く子笑う子には敵わない。
やがて保存食を持ってグレッグと男爵が屋敷の外に出てくる。男爵は少し平静を取り戻したのか、難しい顔をして出来るだけノクトの方を見ないようにしている。
受け取った荷物をリュックに詰め込んでいると、ノクトが男爵に向けて話しかける。
「では、委細よろしく頼みます」
「わかっている」
「僕は冒険者ですから、いつかまたここに立ち寄ることもあると思います」
「っ……、……その時は歓迎する」
苦々しい表情は言葉を裏切っていたが、ふるえる体は多分裏切ることはないだろう。長居しても男爵の心に悪そうだと思ったハルカは、荷物をさっさと詰めて、二人へ頭を下げた。
「それでは失礼します」
頭を下げてからハルカは一つ思い出したことがあり、男爵の目を見つめた。
「一つ、私からも。男爵領と直轄領の間あたりに、山賊がねぐらを作っていたので殲滅して焼き払っておきました。出来ましたら領内の治安にもう少し気を配っていただけると助かります」
男爵が目を見開いて、グレッグの方を見た。様子を見る限り男爵と賊が手を組んでいたわけではなさそうなことに安心する。これで少しでも旅をする人に降りかかる不幸が減ればいいと思いながら、ハルカは踵を返した。
屋敷から離れて、街を突っ切るように抜けて再び街道に戻る。ここで一泊していく選択肢もあったが、必要なものが手に入ったし、体力は十分残っている。
しばらく歩いたときに、ハルカはコリンのにやけ面に気が付く。
見たことのない小袋を持っており、その中を覗いてはたまににやにやしている姿はなんだか不気味だ。
「……何を見ているんですか?」
「えへえへ、ハルカも見てみてー。用意された荷物の中にこんなもの入ってた!」
ハルカがその袋の中を覗き込むと、キラキラとした宝石がその中にびっしりと詰まっていた。売れば結構な額になりそうだ。
「あぁ、それいらないっていったんですけどねぇ。男爵がどうしても受け取ってほしいって言うんでぇ」
悪びれずにそういうのはノクトだ。
まるで極道のみかじめ料だ。このままだと旅が終わるころにはとんでもない悪名が広がっていそうである。
返してきなさいとも言えずに、コリンがえへえへと笑う姿を、ハルカは複雑な気持ちで見つめていた。
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