二百九話目 ブラッディナイトメア

 街中を奇異の目に晒されながら歩く。

 男爵が女性の手にぶら下げられてはいるが、連れて歩く兵たちが無傷なため、何が起こったのか住民たちもはかりかねているようだった。

 メインストリートを抜けた正面に、でんと大きな屋敷が姿を現す。街の規模に比べると大きく、金がかかっていそうな造りだ。

 グレッグがその大きな門を兵に開けさせて、一般業務に戻るように指示を出す。


 使用人に迎え入れられ屋敷の中へ通される。

 この先の交渉はノクトがしてくれると聞いていたから、ハルカとしては気が楽だ。男爵をその辺の床に適当におろして、ユーリの下へ寄った。

 戦闘中は緊張しっぱなしだったのだ。意識せずとも顔が強張り続けていたような気がして、ユーリの顔を覗く前に、頬を撫でて自分の表情をほぐした。


「みんなかっこいい」


 ベッドを覗き込むと、キラキラとした目をしたユーリが開口一番そういった。後ろの方でずっと見ていて興奮しているらしい。


「怖くなかったですか?」

「こわくない、かっこいい」

「そうですか、それはよかったです」


 喜んでいるからいいかと、ユーリの頭を優しく撫でてやった。



「おやぁ、起きましたねぇ」


 ユーリを愛でていると、ノクトが少し大きな声を出した。わざわざよそ見していたハルカに知らせるためにそうしてくれたようだ。


 アルベルトとモンタナが剣を抜いて、男爵の首元に突きつけたが、グレッグも最早それをとめはしなかった。


 男爵は自分の置かれた状況を確認して、忌々しそうにノクトのことを見上げた。


「こんにちは、ザッケロー男爵。こちらの領地では招待に応じないとあんな迎え入れ方をされるんですねぇ。どちらのお貴族様から習った作法ですか?」

「ふん、獣人なんぞに話す言葉は持たん。妙な尻尾にツノまではやしおって、気味の悪い」

「ふんふん、なるほど。あなたにツノの生えた獣人を捕まえるように指示したものは、僕をそのようにぞんざいに扱えと言ってましたか?」

「指示などだされておらん、知ったことか」

「なるほど。フィリップ公爵はお元気ですか?それともこの辺りだとヴィダル伯爵の方が顔馴染みがありますか?どなたから指示を出されたかわからないと、僕はそれっぽい人全員にご挨拶に行かなければいけなくなるんです。そう、あなたが僕に今回してくれたようなご挨拶をです」

「そ、そんな脅しをまともに聞くと思うか?たかが冒険者どもが、門前払いされるのがオチだ」


 ニコニコと笑ったままのノクトは、ずいっと男爵へ顔を近づけた。


「おや、たった百年前に、その冒険者に貴族たちが酷い目に遭わされたのをご存知ありませんか?あなたのお父様か、お祖父様あたりに、特級冒険者に関わるなと言われませんでしたか?」

「……いや、そんな、まさか。百年も前の話だぞ。エルフでもあるまいし、そんなに若いものか。だ、騙されんぞ。そもそも特級冒険者だと?私はそんなものが相手だとは聞いておらんぞ」

「ほら、やっぱりどなたかから聞いたんじゃないですか。酷いことになる前に答えておいた方がいいですよ?」

「ひ、酷いこと……?私に何をしようと言うのだ。王国貴族に手を出してタダで済むと思っているのか?!そこの浅黒いエルフの女もそうだ、ただでは済まさん、うっ」


 アルベルトの剣がわずかに動いて、男爵の首に刺さる。


「お前の部下にも言ったんだけどな、死にたくねぇなら殺されないように努力しろよ。なんでそうありもしない助けに期待して、偉そうな口きけるんだ?」


 黙り込んだ男爵に、アルベルトはふんっと鼻を鳴らして剣を少しひく。ノクトがアルベルトを宥めるように言う。


「ダメですよ、アル君。こう言う人は有る事無い事、全部喋らせて、誓書を書かせたあとじゃないと、殺しちゃいけないんです。どんなものでも有効に活用しないといけません。さて、男爵。足と手、どちらがいいですか?」

「先……、何を、何を言っているんだ貴様は。一体何をするつもりだ」

「ですから、足と手、どちらを潰されたいですか、と問うています。心配しないでください。何度潰してもちゃんと治してあげますから」

「あ……、まさか、まさか本当に……、貴様【血塗悪夢ブラッディナイトメア】?や、やめろ、やめてくれ。伯爵だ!ヴィダル伯爵に、ツノと尻尾が生えた小さな獣人を確保するように言われた!それに従っただけだ!」

「やだなぁ、今は可愛らしく【桃色悪夢ロージィナイトメア】と呼ばれているんです。そんな昔の話を持ち出さないでください」


 男爵が逃げられもしないのに、じりじりと後ろに下がろうとするのを見て、ノクトはタンと足を鳴らした。男爵は壁に後頭部をぶつけて、空気を漏らすような悲鳴をあげる。


「グレッグ!グレェェッグ!なんとかしろ!」

「皆さん、お部屋から出て待っていてください。グレッグさん、あなたもご一緒にどうぞ? ここに残りたければ止めませんが」

「いえ、失礼致します!」

「まて、グレッグ!私を置いていくな!」


 男爵の懇願も無視して、グレッグはハルカたちをそそくさと促して、部屋から追い出した。自分も部屋の外へ出ると、部屋の中から聞こえてくる懇願の声を無視して、ゆっくりとしかし素早く扉をきっちりと閉じた。


「こちらへ、別室へご案内します」


 グレッグは早足でハルカたちを先導しながら、腕で額を拭った。


「なぁ、なんであいつ急に態度が変わったんだ?」


 部屋に入りアルベルトが尋ねると、グレッグは部屋の外へ顔を出してキョロキョロと廊下を見渡したあと、そっとドアを閉じて口を開く。


「……王国には子供に読み聞かせる絵本があります。人を捕まえては拷問する恐ろしい悪魔のような獣人が、王国の勇者に退治されて改心する話です。調べればすぐに分かる話ですが、その悪魔のような獣人は、仲間によって救出され、王国で暴れ回った末に、領土の一部を奪い取り国を作りました。百年も前の実話です。昔の話だから大袈裟に語られているのだろうと、多くのものは大人になれば笑って話します。しかし実のところ子供の頃に語られたその絵本のトラウマは、わたしたち王国民の心に刻まれています。なんでそんな恐ろしい話を子供に聞かせるのかと、私も長い間不思議に思っていました。渦巻きのツノと爬虫類のような尻尾、返り血で真っ赤に染まった髪と、耳まで裂けた大きい口。それはコウモリのような羽をはやし、空を飛び、どこへ逃げても追ってくるそうです。……あれは、本物ではありませんよね? 寿命を考えれば、もうとっくに死んでいるはずなのですが……?」


 ハルカたちは顔を見合わせる。

 誰もその答えを知っているものはいなかった。

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