二百八話目 突貫
ハルカの放ったファイアアローが、前線で槍を突き出していた兵士の顔面に正確に着弾して、全員がその場に崩れ落ちる。そのすぐ後ろで乱戦に備えて剣を抜いていた兵士たちの狼狽えた顔が見えた。
すかさずモンタナとアルベルトが集団の中へ飛び込んでいく。
一人、二人と前に立つ兵士の腕や足を切り捨てながら、二人は集団の中心を裂くように進んでいく。傷ついた兵士の悲鳴はまだ剣を交えていない兵士たちの戦意を削いでいく。
そうでなくても空に無数の魔法が浮かんだ状態での戦闘に、ストレスを感じていたのだ。前にさえ出なければ死なずに済むのではないかという希望が、兵士たちを浮足立たせていた。
敵兵士後方から弧を描いて矢が放たれる。
ハルカは腕を振るいその全てを炎の矢で撃ち落とした。
空中でぶつかり合い爆発したそれは、兵士の上に灰を降らせる。同時にその撃ち落としが兵隊長にこの戦いの負けを強く意識させた。
弓の練兵は難しく、兵隊長は隊におけるその練度に自信があった。この不意打ちは、主の始末しろと言う言葉に従って、後方に待機している確保予定だった獣人をも巻き込む予定だったのだ。
そうして動揺を誘わない限り、この勝負に勝つことが難しいと思ったからだ。
それを易々と撃ち落とされてしまった。繰り返しても同じように撃墜されるのが目に見えている。
兵隊長はそれでも勝ち筋を探して、弓兵隊へ再び矢をつがえるよう指示を出した。今はただ空に浮かんだ、あの恐ろしい数の魔法を減らすことに努めるしかないとの判断からだった。
兵隊長が手を上げ、再び斉射を命じようとしたときに、妙なものが目に入る。
空に少女が浮かんで、自分に向けて弓を構えていたのだ。その弓には既に矢がなかった。ぎょっとして目をむくと、直後腕に痛みがはしる。
自分の腕に矢が刺さったであろうことも確認せずに、兵隊長は腕を下げたまま弓兵へ斉射をするように大声を出した。
再び放たれた矢が、一射目と同様に空で爆散する。
次の一射をと兵隊長が動く方の腕を上げようとしたとき、目の前まで影が迫っていることに気付いた。
痛みと矢の行く末ばかり見ていたせいで接敵されていることに気付くのが遅れたことに気付き、舌打ちをしながら剣を抜こうとしたが、時すでに遅く、首元には二本の剣が突きつけられていた。
目の前に立つ少年たちが呑気に会話を交わす。
「僕のがついたの早かったです」
「俺のが一人多く斬ってきた」
「早く抜けたほうが勝ちな約束です」
「……おい、おっさん、武装解除させろ」
「グレッグ!死んでもそいつらを仕留めろ!」
後ろでは状況がわかっているのわかっていないのか、わめいている上司がいる。家族のため、故郷のために働いてきたが、これ以上戦っても勝ちの目はない。
動きを止めた兵士たちは、元々は街の顔なじみたちだ。気の荒いやつや言うことをきかない奴もいたが、無駄な犠牲を増やすつもりはなかった。
前方にいる兵士たちも、隊長であるグレッグへすがるような視線を向けている。彼らもまたこの戦いの勝ち目のなさに気が付いているのだ。
その間を縫うように、魔法使いの女性が歩いてくる。
グレッグの頭に、ここで不意を打てば形勢逆転の目があるんではないかという考えがよぎったが、その魔法使いの女性は凛とたち、周りにいる武器を持つ男たちのことなど歯牙にもかけていないように見えた。
もし不意打ちが失敗したとき、彼女は怒り狂うかもしれない。
グレッグは、彼女たちの恩情で生かされていることを理解していた。不思議なことに魔法攻撃を受けたものも、斬り捨てられたものも、遠目から見る限り死んでいるようには見えない。
沢山の命を預かっている者として、そんな博打には出られなかった。
魔法使いはそのまま男爵の前まで歩みを進める。
男爵は距離が縮まることを恐れるように後ずさりしたが、数歩下がったところで背中を何かにぶつけて立ち止まった。後ろを向いてもそこには何も存在していないように見える。それなのに逃げることができない。
魔法使いは尋ねる。
「話し合いにきました。そちらに準備はありますか?」
戦いの後だというのに、平静で感情を伺わせない声は、男爵の恐怖心を刺激した。その腰に帯びられた派手な装飾の剣は、これまで実践で使われたことはなかったが、この時はじめて敵にその切っ先を向けることになった。
「話し合いに来たという言葉への返事がこれですか」
「……ぉぉぉおおおお」
ザッケロー男爵は、自分を奮い立たせるようにして声を上げて、その剣をハルカの肩口へ斬り下ろす。小さなころから訓練だけはさせられていた成果か、その動きは悪くなかった。
魔法使いがその剣を受け止めるように手を前に出す。
グレッグはまさか男爵の一撃から、この窮地を抜け出すことになるのだろうかと思い、すぐにでも動き出せるよう体に力を籠める。
しかしその剣は、手のひらの上でぴたりと止まる。それだけならまだしも、魔法使いはそれを掴んで男爵から取り上げると、両手で持って剣をまっぷたつにへし折った。
目を疑うような光景だったが、次の彼女の言葉を聞いて背筋が冷える。
「なるほど、男爵殿は語る言葉を持たないということですね」
目の前で起こった事態に思考停止し立ち尽くしていた男爵の顔がぶれて、足が地面から浮いた。ほんの一瞬遅れてあたりに空気のはじけるような音が響く。魔法使いの腕が振りぬかれているのを見て、グレッグはようやく何が起こったのかが分かった。
男爵の頬が張られたのだ。
「あ、まずい、首が」
魔法使いがしゃがみ込んで小さな声で何かを言って、男爵の首付近に触れるとわずかに光が漏れる。何をしているのかはわからないが、もはやどうにもならないことは、はっきりと分かった。
魔法使いが男爵の襟元をもってその身体を持ち上げる。
男爵は普通の成人男性よりもいくらか肥えているはずなのに、小包でも持ちあげるような軽い動きだった。
グレッグは魔法使いの得体の知れなさに恐怖する。
「さて、男爵が目を覚ますまで休ませていただきたいのですが、ご案内いただけますか?ご案内いただけるようでしたら、この戦いで怪我した皆さんの治療をして差し上げますが」
グレッグにはもう彼女に逆らう気概は残っていなかった。
ここに至って否はない。
「そちらの要求通りにしますので、兵たちの手当てをしてもよろしいですか?」
「はい、結構です。ただし、治療はこちらで行います。男爵とあなた、グレッグさんのことは申し訳ありませんが、人質とさせていただきます。アル、モンタナ、こちらへ」
魔法使いの言葉を聞いた二人の少年が、グレッグと共に歩いた。
兵士たちをぐるっと迂回するように、残りの仲間たちも魔法使いと合流する。
その魔法使いは、グレッグがそばに来ると、腕に刺さった矢を見て顔を顰めた。
「それも治しましょう」
彼女はそういうと素早く矢を抜いて、そこに手を当てる。
するとどうだろう、熱を感じるように痛んでいた傷口がすっかりなくなったではないか。
グレッグが驚いて魔法使いを見ると、彼女はすぐに視線をそらし、他のけが人に目を向けながら呟いた。
「まぁ、あなた方に恨みがあるわけではありませんからね……」
その横顔は苦悩するように歪められていて、とても美しかった。
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