二百十一話目 白皙の青年

 ザッケロー男爵領をはなれて山沿いの道を進んで四日。

 この先も男爵領や子爵領が続き、山の切れ目には王国の南西に目を光らせているデルマン侯爵領がある。王国の中央よりやや南に位置しており、その領土は王都と並ぶくらいに繁栄している。

 ハルカはコリンの広げた地図を指でなぞり、侯爵領の場所をトンとついた。


「この道沿いに十日くらい進むと、デルマン侯爵領につきます。エレクトラムという大きな都市があるそうですよ」

「へぇ……、何か珍しいものでもあるかな?」

「海の幸以外は何でもありそうですよね」

「ハルカは食べ物の話ばっかりね、年頃の女性なのに」

「そういうコリンは何があったら嬉しいんです?」

「うぅん、そう言われると……。軽くて地方でよく売れるものとか……?」

「年頃の女の子が求めるものじゃないですよ」


 二人がくだらない話をしながら地図を眺めていると、ノクトが近寄ってくる。

 ユーリのベッドを少し高く浮かべ、地図が見えるようにしてやってから、全員に聞こえるように話し始めた。


「そちらに着く前に、必要なことを話しておきましょう。ルートを決めるときにハルカさんには少し話しておきましたが、皆さんも聞いておいてくださいねぇ。モン君とアル君も、聞いておいた方がいいですよ」


 モンタナとアルベルトが、自分は関係ないというような顔をして、プラプラ歩いていたからか、わざわざノクトが声をかける。


「はい、ではお勉強です。まず初めに、デルマン侯爵は代々欲深でプライドが高く、自領を王都より発展させることに心血を注ぐ変人だというのを覚えておいてくださいねぇ。王権派、清高派で分けられないタイプの、ある意味めんどうな領主です。気質はプレイヌの商人たちに近いものがありますねぇ。立地的に王国南部へ影響力を大きく持ってはいますが、今回の私たちへの襲撃の主導はしていないでしょう。今回の主導は男爵の言っていた通り、西部海岸沿いのヴィダル伯爵によるものでしょう。あそこはプレイヌからも遠いですから、冒険者への見識が浅いんですよねぇ、と、わっ」


 指をフリフリ講釈を垂れていたノクトが、突然歩みを止めたモンタナにぶつかりそうになったのに気づいて足を止めた。


「ハルカ、八番の四です」

「はい」


 ハルカが振り返りざまに自分の左後方へウィンドカッターを放つ。魔法が木々を切り裂いて空へ抜けていく。


「逃げたです」

「そうですか、上手くいきませんね」


 最初の時に取り逃がした追跡者が、姿を見せずにずっとついてきているらしく、一日一度くらいこちらの様子を覗きに来る。これで三度目になったので、どこに魔法を撃てばいいのかモンタナと取り決めをしてみたのだが、今回もまたダメだったらしい。

 ただこうして一度追い払えば、しばらくはまた近づいてこない。実に慎重な追跡者だった。


「あと、もう一人。山の方に何かいるです」


 そう言ってモンタナはスンと鼻を鳴らしてにおいを嗅いで呟く。


「血の匂いがするですね」

「怪我人でしょうか?でも何で山の中に?」

「また山賊か何かじゃねーか?」


 モンタナとアルベルトががさがさと茂みに分け入っていく。


「ハルカさんも行っていいですよぉ。僕はコリンさんとユーリさんと待ってますからねぇ。障壁張っておくので心配しないでください」

「お願いします」


 置いて行かれないようにハルカも茂みに飛び込んで、二人の後に続く。少し先に進むと、薄灰色のもやがかかり始めて、モンタナがぴたりと動きを止めた。ハルカが追い付くと、モンタナが珍しく眉を顰めている。


「においがしなくなりました。このもやのせいで、目もあまり効いてないです。多分魔法です。魔素を濃くして、五感の邪魔をする魔法……、だと思うです。慎重に、相手が元居た場所まで進むですから、不意打ちに気を付けるですよ」


 じりじりと進むモンタナについて行くと、声が聞こえてくる。それは不思議なことに、どの方向から聞こえてくるのかがわからない。


「そのまま真っすぐ戻れば、君たちを害する気はない。ただし、これ以上進む場合はその限りではないよ」


 どこかで聞いたことのある、柔らかい声だ。ハルカが記憶の糸を辿ると一人の青年の顔が浮かんできた。方角的には、確かに出会ってもおかしくはないが、そんな偶然があるだろうかと頭をひねる。

 モンタナとアルベルトは、視線をハルカに向けて判断を待っている。剣は抜かれており、いつでも戦える姿勢だ。

 このまま引き下がるのも一つの手だが、ハルカはモンタナが言っていた血のにおいと言うのが気になって、念のため声をかけてみることにした。


「その声、まさかと思いますが、イースさんではないですか?」


 もやの中にしばらくの静寂が訪れ、ややあって返答が戻ってくる。


「……もしかしてハルカさん?冒険者だったよね。追手の任とか受けていたりしない?」

「何のことかわかりませんが、イースさんを追いかけてはいませんよ」

「そう……、悪いんだけど、ちょっと助けて貰ってもいいかな」


 もやが徐々に晴れ、後ろから強い血の匂いが漂ってくる。

 振り向くと、イーストンが剣を片手に、木に寄りかかっていた。足と左腕に布がまかれているが、それがじっとりと濡れて、血が滴っている。


「なんていうか、まさかこんなところで知り合いに会えるなんて、運がいいのか……、支払いは、あとで……」


 ただでさえ色白の肌を死人のように真っ白にしたイーストンが、口の中だけで何かを言ってその場にずるずると座り込んだ。










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