百九十話目 分厚い愛情
昨晩は、それぞれ個室を与えられて休んだ。
個人の邸宅でこれだけたくさんの客室があるというのは、相当の金持ちだ。普段から人を家に泊めるようなことをしているのだろう。
昨日ノクトがコーディのことを、オラクル教でも身分のある人、と評していたが、一体どのくらいの位置にいる人なのだろうかと考えた。
以前からそれなりの立場にあるのだろうとは思っていたが、大事な駒を誰に預けるのかを、個人の判断で優先的に選ぶことができる、と言うのはそれなりどころではない気がする。
課長クラスの相手と思っていたが、もしかしたら取締役クラスなのかもしれない。
今更態度を変えるつもりもなかったが、そういう細かな部分の情報収集をするのも、実はパーティ内では自分の仕事のような気がしていた。交渉をするのだから、知っていないと不利になることも出てくるだろう。
もう少しアンテナを張り巡らさなければならないな、とハルカはローブを羽織りながら思っていた。
朝食の場にはコーディ夫妻と、その妻に抱かれたユーリが同席することになった。奥さんに抱かれて部屋に入ってきたユーリは、ハルカ達の方を見て、少し目を大きく開けたように見えた。覚えてくれていたら嬉しいと言う希望のせいで、そう見えただけかもしれないとは思ったが、ハルカは目が合ったときにユーリに向けて微笑んでいた。
二か月離れていただけでも、赤ん坊と言うのは目に見えて大きくなるらしい。その成長を傍で見守ることができるというのは、とても素敵なことのように思えた。
全員が席について、奥さんの紹介をしてもらった後に食事が運ばれてくる。
コーディと同い年だというその女性は、おっとりとした話し方をする、優しそうな女性だった。ユーリの世話を焼くのが楽しいのか、挨拶をした後、隙を見ては話しかけている。返事が戻ってくるわけじゃなくても楽しそうだ。
「うちの子たちは皆立派に育ってしまったからね。妻も久しぶりの子供に夢中なんだ」
コーディは隣の妻を愛おしそうに見つめながら笑った。
穏やかな雰囲気で食事が終わり、一息ついたところで、仕事の話が始まる。ユーリの世話をするためなのか、奥さんもその場に残っていた。この雰囲気を見る限り、コーディも本当はユーリのことを手放したくなかったのだろうというのが伝わってくる。
「さて、昨日の話だけれどねぇ」
「前置きはなしだ。受けるぜ、誰も反対しなかった」
「おっと、そうかい、そう言ってくれると思っていたよ」
「ちょっと、何であんたが答えてるのよ」
てっきり自分が答えるものだと思っていたハルカも、面食らう。コリンの突っ込みに、アルベルトは鼻を鳴らした。
「こいつ賢いんだろ。目の前で交渉とかされてたら気分悪いじゃねーか。ホントにわかってるか知らねーけど」
「別に交渉なんてするつもりはありませんでしたよ。元々、ユーリに関して私にできることがあれば、なんでもやりますと言ってましたから」
「ハルカはそうでも、色々言いそうな奴がいるだろ」
「……誰のことかしら」
「お前のことだよ」
「私はね!みんなのために金銭の交渉してるの!いっぱい貰ったほうがこの子にも後々お金をたくさん使えるでしょ!」
「はいはい、そっちに避けて喧嘩しててくださいね」
アルベルトと、コリンを椅子ごと端に運んで、ハルカは元の席に戻ってくる。落ちそうで怖かったのか、運んでいる間は二人とも大人しくしてたが、部屋の端に行くとまた小さな声で言い争いを始めた。
「……お騒がせしました。アルの言う通りです。危険な旅になる可能性もありますが、精一杯ユーリ君のことを守って育んでいければと思います。もしこの子が大きくなったときに、こちらの教育機関で学ぶことを希望するなら、もちろん叶えていただけるんですよね?」
「ああ、その時は髪を染めて貰ったりするかもしれないけれどね。とにかく、数年は一緒に過ごして、帝国の目に届かないようにしてもらえると助かる。新たな皇帝の地盤さえ固まってしまえば、あまりしつこい追跡もしなくなるはずだからね。よし、それじゃあ、細かい話を詰めていこうか。エステル、ハルカさんに用意したものを」
コーディがそう言うと、奥さん、エステルはユーリをコーディに預けて、本を一冊取り出した。テーブルの上にのせたそれを、ハルカの方へ差し出して言う。
「ユーリ君の、今の状態と、これからどういった食生活を送るべきか、それにどんな風に世話をしてあげればいいかが書かれています。これから先、私の目が届かなくなってから、この子がどんな風に成長していくのかはわかりません。今でも普通の子より、賢くて成長も早いのですから。ですので、一般的なことしか書いておりません。ユーリ君のその時の状態と照らし合わせながら、考えて対応していただけると嬉しいですわ」
「……ありがとうございます。どうしたらいいのか分からなかったものですから、助かります。じっくり読ませていただきます」
気合を入れて書かれたであろうそれは、彼女が自分で書いたこの世に一つしかないユーリの為の養育本だったらしい。これだけでも、彼女がどれだけユーリに夢中になっているのかが分かった。
受け取ったその本はずっしり重く、全てに目を通すだけでも結構な時間がかかりそうだ。しかし、子を持ったことも、世話をしたこともないハルカ達からすれば、値千金の一冊になるはずだ。
それからしばらくの間、エステルからユーリの話を聞き、そのかわいらしさや賢さをさんざん伝えられた。その話は使用人が昼の用意をどうするか尋ねてくるまで続いた。
時間になってしまったこともあり、結局昼食をヘッドナート邸で食べてからの出発となった。
エステルは最後の最後までユーリとの別れを惜しんで、手を振って見送ってくれた。そしてユーリもハルカに抱き上げられながら、最後まで彼女の手を振る姿を眺めていた。
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