百八十九話目 涙を流すのは ※かなり暗い話です

※かなり暗い話なので気を付けてください。


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 雨が叩きつけるコンクリートに横たわって、空を見た。雲が真っ暗で、最後までこんな風に、光の当たらないところで死ぬのかと、自分のことが哀れになった。

 こんな世界大嫌いだ。

 どこかで見たことのある男が、地面に押さえつけられて、私に罵声を浴びせていた。


「俺の!俺を騙しやがって!尻軽のくそ女!しねしねしね!」


 体から熱が失われているのが分かる。そんなに喚かなくても私はじきに死ぬよ。よかったね、君の望み通りになるよ。

 男を押さえつけている人たちは、実に勇気がある。素晴らしい。この糞みたいな世界をその正義感をもって、よい方向に変えてくれ。その際私みたいなゴミは踏みにじってもいいものとする。


 思えば、よくもまぁ十六まで生きてこられたものだ。

 戸籍もなく、学校も行かず、母一人、父親らしきものが六人。関係を持ったものが五人、そのうち私をサンドバック兼ダッチワイフだと勘違いしていたものが三人、突然ぶちぎれて外で私をめった刺しにしたものが一人。


 救急車の音が近づいてくる。

 お金なんかないよ。

 助ける価値なんかないよ。

 白い服を着た人たちが、水たまりを踏みながら私の周りに集まった。

 担架のようなものが見えて、身体が揺らされる。

 誰が呼んでくれたのだろうか、そんなものは頼んでないよ。


『放っといて』と言おうとして口から出たのは、言葉ではなくて泡のように噴き出る血液だった。体から体温が急激に失せていくのが分かった。

 あぁ、痛い。

 でも終わるんだ。可哀そうな女の人生はここで終わるんだ。

 次なんて在りませんように。

 よかった、終わりだ。

 薄汚れた水たまりの中に、私の涙がこぼれた。

 泣き方なんて忘れたと思っていたのに、死ぬときには涙が流れるらしい。


 目を開けているはずなのに、あたりが徐々に薄暗くなっていく。


 男の喚く声がまだ聞こえてくる。


 そんなに喚かなくても聞こえるよ。大丈夫、今死ぬところだから。


 もしどうしてももう一度生まれなきゃいけないなら、何でも叶う魔法のある世界で、優しい人と幸せに暮らせるといいなぁ。






 魔法はある。家は裕福だ。優しい母と叔母がいる。

 ただしどうやら、父は前世とかわらない、頭のおかしい男らしい。

 そいつは赤ん坊のいる横で行為に及ぶ、汚らしい化け物だった。

 自分が成長したときの心配をしてから、今世は男だったことを思い出してホッとする。

 それから、優しい母の為に何もできない自分を恨めしく思った。


 起きてる時間に比べて、眠っている時間が圧倒的に長い。

 僅かな時間に聞き取れる情報で、父が殺されるであろうことが分かった。犯人はなんと私の母違いの兄らしい。ざまぁみろと思ったのだけれど、どうやら母と私の身も危ういらしいことが分かる。


 元気でいつも溌溂とした叔母が、私を連れて城から逃げ出すことになった。

 母と叔母は私のことを愛してくれた。望まぬ子どもであるはずの、私のことを愛してくれた。初めて人と離れがたいという感情が湧いて、母に向けて一生懸命に手を伸ばしてみたが、母は微笑み、その手を取ることはなかった。


 大切な人が死ぬ。

 クローゼットの中で布にくるまって、静かに私は考えていた。

 これから叔母も死ぬ、私もこのまま誰にも見つけられずにきっと死ぬ。

 ほんの少しの愛を知るためだけに私は生まれ変わったんだろうか。

 死ぬ前の願い事を、もっときっちり明確に要求しなきゃいけなかったのだろうか。やっぱりこれも私が悪いんだろうか。

 理不尽な前世が嫌いだった。愛を知れたこの世界は、ほんの少し前よりマシだった。

 でもやっぱり死ぬ。何もできずに死ぬ。ただ運命に流されて、ごみの様に死ぬ。死んで腐って、床のしみになる。


 泣かない子供であった私は、真っ暗闇の中で涙を流した。

 やはり死ぬ前には涙が流れるんだ。


 私は再びの終わりを前に、ただ目を閉じてその時を待った。


 ガタガタと物が動く音と、人の声がかすかに聞こえる。

 最後に襲撃してきた人たちとは違い、その声には剣呑な雰囲気があまりない。


「赤ん坊……?」


 声が聞こえて体が持ち上がり、私はゆっくりと目を開けた。

 怖いくらいに顔の整った、胸の大きな女性が、私のことを抱えていた。


 横から前世で死ぬ前の私くらいの年齢の男女が、ひょこひょこと顔を出して、私の顔を覗き込んだ。

 皆が優しそうな顔をしていて、私のことを心配しているのが分かった。

 私を抱き上げた女性は、私の目を覗き込んで、ふと遠くを見るような、優しいまなざしをした。同じ女性であるはずなのに、心がドキリと跳ねる。

 いや、今世の私は男なんだっけ。


 その女性は壊れ物を扱うかのように、優しく私を抱きしめたまま、ゆっくりと移動し始める。どうせ死ぬはずだったのだ、私の身柄はこの美人で優しそうな女性に、全て任せてしまうことにした。


 あれよあれよという間に、私は保護されることになったらしい。

 また今世は終わらない。すでに涙を流してしまったのに、まだ終わらない。

 聞こえてきた話によれば、叔母はやはり亡くなってしまったようだ。

 それがとても悲しかった。それでも涙は流れない。


 移動中ずっと、最初に会った美人な女性、ハルカさんに抱きかかえられている。

 たまに他の人も手伝ってくれるが、基本的にはハルカさんがずっと見てくれていた。

 他の人は外人さんみたいな名前なのに、この人だけは日本人みたいな名前をしている。見た目はまるで外人さんなのに、面白い。

 彼女は見た目はきりっとしているが、少し抜けていて、そこにギャップがあって、かわいらしい。母と叔母を失って、ひどく落ち込んでいたが、彼女が一生懸命に私の世話をしてたまに失敗している姿を見ると、心が温かくなった。


 結局大きな街についた後は、彼女と離れ離れになることとなったのだが、その頃には私は彼女のことを心の中でこう呼んでいた。


 ハルカママ、と。

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