百八十六話目 師匠の企み

 分かれ道がない場所では、道先をそれほど気にする必要がない。

 行程の計画を立てるのと、依頼などの交渉や最終決定をするのが主なハルカの役割で、旅が始まってしまうとハルカの仕事はそう多くない。

 強いていうのであれば、魔法によって生活をより快適にするのが仕事だ。


 先頭にはアルベルト、その横にはモンタナがそわそわうろうろしている。そろそろ茂みに入るのかなと思ってみていたら、案の定突然道を逸れて、森の中に入っていった。

 その後ろでは相変わらずコリンが地図を見ている。躓くのでやめるよう勧めたのだが、今のところまだ痛い目にあってないせいか、やめようとしない。目を離すと、どこにいるかわからなくなりそうだというのだが、この縮尺の地図で少し目を離したくらいで、そうなるだろうか。

 もしそれが本当だとしたら、方向音痴の呪いか何かに掛かっていてもおかしくない。ハルカは毎朝地図上で自分たちの出発地点を教えているのだが、もしや本当に毎朝わからなくなっているのではないかと最近心配になってきたところだ。


 そんなコリンの後ろについて、ハルカと少し浮いたままスライド移動しているノクトがいる。尻尾の先だけ地面にずっていて、痛くないのだろうかと思ったが、そういえばいつも引きずっているような気もする。


 そんな風に周りの様子を見ているハルカだったが、ハルカだって普通に歩いているだけではない。

 自分の頭の周りにウォーターボールをいくつか浮かべ、くるくるとまわしたり、木に向けて発射してからぶつかる直前に止めたりしている。

 これはノクトによって、魔力酔いがこないのであれば、常に魔法を展開して制御力を養うべきだとアドバイスされたからだ。

 成程そういう理由でノクトは常に障壁に乗って移動しているのか、と納得しかけたが、日向ぼっこをするようにぼーっとしている様子を見ると、やっぱりただの怠惰なのではないかと思った。

 少し前から仲間たちの魔素の流れへの感知能力を鍛えるために、ウォーターボールを一つふよふよと浮かせていたのだが、それの数を増やして動かしながら歩いている形だ。


 頭の上でジャグリングの様にウォーターボールを回しながら、ハルカはノクトに話しかける。


「先ほどのオレークさんの話ですが、ちょっと妙でしたね」


 彼の話は食事をしているときにもぽつぽつと聞いていたのだが、彼が冤罪をかけられる前にも、同じように無実だと主張しながら捕まった同僚がいたという。彼はそれを見ていて、自分もそうなるのではないかと言う恐怖もあり、素早く逃げ出すことができたそうだ。その同僚が無実を主張していたときに、どうして力になってやれなかったのだろうと、オレークは下を向いて後悔していた。その同僚はやはり、オレークと同じような万年平兵士の、朴訥とした人物だったそうだ。


「まるで、その……。わざと都合のいい人に罪を擦り付けたような、そんな意図を感じました」


 ノクトは雲の流れをぼーっと見上げたまま、ハルカの言葉に応える。


「ええ、多分そうでしょうねぇ。その土地の貴族か、あるいは上役か、それともそれらにとって罪に問われたら困るものが犯した罪を、逆らいそうにないものに無理やり押し付けたに違いありません。今の女王は国内の貴族の力を掌握しようと努力はしていますがぁ、あの国は貴族の力が強すぎるのですよ。辺境や王領の傍はそうでもないのですが、他国に接していたり、中央部に近いものほど腐っています。そしてあの国に住むものは、それが当たり前の生活を送っています。行きたくなくなったでしょう?」

「行きたくないことは、ないですが……」


 ハルカは言葉を濁す。

 逃げ出してしまえばいいじゃないかと思ったが、生活を全て捨てるのは難しいのだろう。旅には危険が伴う。そもそもハルカが住んでいた元の世界の様に、民衆は外の世界を知らない。知っているのは伝聞でたまに伝え聞くものくらいだ。

 そんな僅かな情報から逃げ出そうとなんて思えるものだろうか。


 今ならともかく、少し前のハルカだったら、与えられた環境で何とか生きていこうとしか思わないだろう。たくさんの情報を与えられていたのにもかかわらず、ほんの少しの勇気も持てずに、四十数年も生きてきたのだ。無責任に行動を起こせない人を責めることはできなかった。


 ハルカが難しい顔をしていると、ノクトが人差し指を立てて、空を差してくるくるとまわしながら語り始める。


「独立商業都市国家プレイヌは、そんな国政に不満を抱く者たちが作りました。商人が金を出し、兵士が冒険者として戦い、土地を切り拓き、理想の地を作ろうともがきました。だから、王国を追われてきたものを受け入れます。情報を集め、牙を研ぎ、行動を起こせたものをプレイヌは受け入れます。王国の過半数の貴族はそんなプレイヌにいい感情を持っておらず、常に攻め込みたいと画策しているでしょうねぇ。樹立直後、およそ百年と少し前には実際に戦争になったこともあります。まぁ、色々ありまして、その戦争はプレイヌの勝利に終わります。……しかしそろそろ、その頃にいた貴族は皆死んでしまいましたねぇ。戦争を知らない世代が今のディセントで幅を利かせているはずです」

「師匠ってその戦争の関係者ですよね?」

「えぇ、そうですよぉ」

「つまりその……、角の話がなくても追われる立場なのでは?」

「はぁい、盟約上大っぴらには追われないですけどぉ、そのとおりぃ、大正解」

「師匠……」


 ハルカは言おうとしたことをぐっと飲みこんだ。言っても無駄だと確信していたからだ。ぱちぱちと手を叩く音が恨めしい。眉間の皴を撫でて、ため息に聞こえないように大きく息を吐いた。他の仲間たちに情報を共有しようと少し歩みを早くすると、後ろから「ふへへ」と笑い声が聞こえてきた。


「かわいい弟子には旅をさせましょうねぇ」


 師匠は今日もご機嫌だ。

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