百八十四話目 変わるとき

「熱ですか、えーっと……お父さん、場所の案内を」

「案内……?熱覚ましとかを分けてもらえれば、あと悪いのだけれど栄養のあるものを……」


 ハルカは一瞬この男が何を言っているのか分からなかった。ノクトの知り合いであるのに、治癒魔法を求めないことに首をかしげる。


「ハルカさん、この人はねぇ、ただの獣人の僕に優しくしてくれた人なんですよ。さ、案内してください。実は僕もそこのハルカさんも、治癒魔法が得意なんですよ」


 ウィンクするノクトを見て男は立ち上がり、顔をぬぐうこともせずにハルカ達を先導する。疑うこと一つせずに動き出したのは、この男がよほど追い詰められていたのか、それとも根が素直な人物なのか、ハルカにはわからなかった。


「こっちです、着いてきてください!」


 茂みに体が傷つくのも厭わず、男はどんどん進んでいく。


「一応俺が先に行く」


 ハルカがついて行こうとするのを遮って、アルベルトが先に茂みに入っていく。


「次僕です」


 そのすぐ後にモンタナが続き、それからハルカがそれを追いかける。

 ハルカはすっかりこの男を信用していたが、彼ら、特にアルベルトはまだ疑いを持っているようだった。それをモンタナが追った形になる。

 山で会った不審な人物への対応としては、二人が正しい。


 ハルカがいくら強く頑丈だとわかっていても、アルベルトは自分の役目が前衛だと認識しており、その役割を守ろうとしている。ハルカは自分の行動がパーティの立ち位置を崩しかけていることを思い、反省しながら後に続いた。


 後ろからは枝が体に当たるのが嫌なのか、障壁を自分の前に動かしながら、それについて行くノクト、そしてちゃっかりその陰に隠れて付いてくるコリンがいる。


 そう長く歩かずに目的地へたどり着く。

 勢いよく姿を現した男に、女性が子供を隠すように抱きかかえ、姿を確認してほっと息を吐いた。

 後ろから姿を現した険しい顔をしたアルベルトに、また体を緊張させたが、男が事情を説明すると、身体の力を抜いて抱きしめていた娘の頭を優しくなでた。


「助けて貰えるのね」

「ああ、……治癒魔法が得意な、昔の知り合いなんだ」

「あなたにそんな知人がいたのね。ここで会えたことを神様に感謝しなければいけないわ」

「失礼します。まずは魔法を」


 女の子の容態を見たノクトは、いつもと違いてきぱきとした動きでその子に近寄ると、そのまま手をかざして治癒魔法をかける。

 女の子は苦しそうに呼吸をしていたが、手をかざしてしばらくすると、すぐにそれも落ち着いた。表情も穏やかにかわり、静かに寝息を立て始めたのを見て、男はこぶしを握り、わずかに上を向いた。

 先ほどは思わず涙をこぼしてしまったが、妻の前でそれを見せたくなかった。


「話はあちらで聞きましょう。あなた達も食事をしたほうがいいでしょう。アル君、先導をお願いします」

「お、おう」


 いつになくテキパキと指示を出すノクトに面を喰らいながらも、アルベルトが先導する。モンタナと一緒に藪を払い、雑ではあるがけもの道のようにしていく。その後ろをハルカが歩いて、肌に当たりそうなものは手で折りながら歩いた。


 焚火の傍にたどり着くと、ノクトが夫婦にも治癒魔法をかける。明らかに二人の顔色が良くなるが、疲れからひどく眠たそうにしていた。


「一度休んでください。目が覚めた時に話は伺います。夜間はこちらで見張っているので、心配しないで休むことを優先しましょう」

「いえ、オレも見張りに……」

「いいえ、あなたは休めるときに休むべきです。これ以上問答はしません」


 ノクトが火の傍に所在なく立っていた四人の元へ戻ってくる。


「皆さんも順番に休みましょうねぇ」


 いつものにこやかなノクトに戻って、アルベルトが息を吐いてドカッと座った。それを見て、他の三人も火を囲って腰を下ろす。


「あいつのことは警戒しなくていいんだな?」

「いいと思いますねぇ……。娘さんもいますし、何より私たちを襲う理由もありませんから」


 ノクトの返答に、アルベルトは自分の荷物を手元に引き寄せ、それを枕にして寝転がった。


「わかった、じゃあいつも通りだな。俺先に寝ていいか?なんか疲れたぜ」

「いいですよ、私は後で寝ます。モンタナもお先にどうぞ」

「ですね、じゃあお先です」


 モンタナは先に休んでいる親子の方をちらっと見てから、アルベルトの傍で丸くなった。火を焚いて、温かい服装をしているとはいえ夜は冷える。眠るとき皆傍にくっついて寝ることが多い。


 いつもはすぐにそれに混ざるノクトが、火にあたりながらハルカに話しかける。


「あの人は元々王国の兵士の一人でした。王国では他の国だったら冒険者になるような人たちが兵士になります。そしてその多くは、代わりの利く存在です。何かあったときには、いの一番に切り捨てられます。あの国にはそういう領地が多いです」

「だから師匠はその国を周るんですか?」

「たまにですけれどね。何かあったときの逃げ先になれるなら、何もしないよりはいいかと。人の意識を変えるのって難しいですよ。それが当たり前だと思って育った人が、その全てを覆すには、それまでの世界がひっくり返るような何かが必要です。僕にはその方法が思いつきません。ひっくり返されてしまった人に偶々出会えた時に、少し手を貸すことくらいしかできていません。ハルカさんはもしかしたら何かもっと有効な何かをしてくれるんじゃないかって、僕はそんな期待を少ししています。……意識する必要はないですけれどね。押し付けるつもりもないです。あなたはあなたの好きなように生きて、どこかで勝手にそんなことが起きるんじゃないかって、僕が勝手に思っているだけですよぉ」


 ハルカは何かを返事しようとして、口を開きかけて、考える。

 何と答えるべきか。ノクトが求めている返答は何か、と考えてから、それは違うと首を振った。


「私にはまだわかりませんし、何も思いつきません。でも師匠と一緒に王国を巡っているうちに、何か思いつくかもしれません」

「……おや、前より少し流され辛くなりましたねぇ」


 ノクトが立ち上がって笑う。


「そう、それでいいと思いますよぉ。ハルカさんは、ハルカさんが思うように生きるんです。冒険者はそれでいいんですからねぇ」


 ハルカの横をゆっくり歩き、その頭を優しく一度撫でて、ノクトはアルベルトとモンタナの間に無理やり入っていき、そこで尻尾を抱きしめるようにして寝転がった。

 モンタナはそのままずりずりとずれただけだったが、アルベルトは一度目を開けてノクトを睨みつけてから「この野郎」と小さく呟いて、また目を閉じた。


 ハルカは火を見つめながら思う。

 理解もせず、相手の望むことだけを考えて返事をすることだけが人との付き合い方じゃない。怖くたって、自分に正直に答えて、互いの本当の気持ちを知ることだって必要だ。

 ハルカはもう、大事にしたい相手に対して、お為ごかしの返事をしたくはなかった。


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