百六十話目 人の範疇
「あら、おはようございます。今日は決勝戦見てきたほうがいいんじゃないですかぁ?」
治療室に入ってきたハルカにノクトが告げる。
「いえ、武闘祭が終わったら、私たちも一度オランズに戻る予定ですし、少ない機会を無駄にするのもどうかと思いまして」
「なるほど……。あのぉ、私、武闘祭の後特に予定がないのでぇ、王国を回って獣人の国へ一度顔を出す予定なんです。なので、別にオランズについて行っても構いませんよぉ」
「……だいぶルートが変わりませんか?」
北方大陸の地図を頭に思い浮かべると、ぐるっと迂回して王国へ入っていくことになることが分かる。明らかにする必要のない寄り道を、自分のためにしてくれるのかと思うと申し訳ない気持ちになった。
「元々予定なんて在ってないようなものですからねぇ。ここに来たのだって、たまにはクダンさんのお誘いを受けてみようかと思ったからです。いいんですよぉ、冒険者なんて、気の向くまま、風の吹く方へ向かえばねぇ。……たぶん風は今あなたの方へ吹いています」
「はぁ、そう……ですか?」
「そうですよぉ、だから今日は決勝戦を見てきましょうねぇ。当たり前のレベルの頂点、あるいは人の外へ出始めた者たちの戦いを、あなたは見ておいた方がいいです」
今日のノクトはやけに難しいことを言う。言葉をかみ砕きながら聞いているが、反応に少しタイムラグが生じるぐらいだ。
ノクトは指をフリフリとしながら続ける。
「傷つかずに聞いてほしいですが、市井に生きる人たちからしたら、私たちは化け物です。人と化け物の境目にいるのが上位の二級冒険者ですからねぇ。人のふりを見るのは大切ですよ」
「化け物、ですか?」
「はい。手をほんのひと振りしただけで人を殺せるものを、化け物と呼ばずに何と呼ぶのでしょう?」
はっきりと笑顔で厳しい言葉を投げるノクトは、今までそう呼ばれた経験があって、そう呼ばれるものをたくさん見てきたのだろうと思う。
ハルカにはその自覚がまだなかったが、ノクトが言うのであれば間違いないのだろうと唾をのんだ。
「ですから、それらが人からどう見られるのか、その片鱗が見える決勝は見ておいた方がいいでしょうねぇ」
ノクトが立ち上がってゆっくりとハルカに近寄って、ドアを開けた。
「大丈夫、私は師匠なのでハルカさんが化け物だと恐れられても仲間ですからねぇ」
「どうして突然そんな話をしたのですか?」
「……そろそろ、そういうことがあってもおかしくないと思いましてぇ。あなたが傷つきやすそうなので、予め教えておいてあげたほうがいいかなぁと、昨日の夜思ったんですよぉ」
「ありがとうございます。……でも多分、仲間もいるから、そんなに傷ついたりしないと思いますよ」
「…………そうですねぇ。でも、決勝は見たほうがいいでしょう。仲間がいるなら、なおさら彼らといろんなことを共有するべきですよぉ。ほらぁ、いってらっしゃい。それともお小遣いがいりますかぁ?」
「え、あ、大丈夫です、お小遣いは」
ぺたぺたと歩いてカバンを漁りに行ったノクトを、慌てて止めて、ハルカはドアの外に出る。
「あの、そうしたら明日以降はどうしたらいいでしょう?」
「先日あなたの宿は教えてもらってますから、私がそちらへ行きますよ」
「わかりました!お手数をおかけいたしますが、よろしくお願いします」
「あ、お財布あったぁ」
子供用にも見える、かわいい竜のポシェットを掲げたノクトを見て、ハルカは部屋の外へそーっと出て行く。このままいると、本当にお小遣いを渡されそうだったので、そのまま早々と退散した。
「ハルカさん、お小遣い……、あれ、いない」
ぴかぴかと輝く金貨を取り出したノクトは、ハルカがいないのを見て、それをポシェットへそっと戻した。
「ハルカさんは、見た目もちょっと美人過ぎて怖いですからねぇ……。うまくやってほしいものです」
昨日ハルカに削ってもらった角の先を手のひらでさすりながら、ノクトはぼんやりと天井を見上げた。
観客席につくと、試合が始まったところだった。
大槌を持った男とナーイルが数メートルの距離を置いて対峙している。
じりじりと円を描くように動いているが、よく見ているとその円は徐々に縮まって行っていることが分かる。
舞台の方がきになって、よそ見をしながら歩いていると、何かにぶつかる。
びくともしなかったので、壁にでもあたったのかと思って前を見ると、視線だけで人を殺しそうな顔をしたクダンが、ハルカを見下ろしていた。
ハルカがぶつかったことで周囲の人間は、突然クダンがそこにいることに気が付いたようで、数人が息をのみ、小さく悲鳴を上げる。
誰もが美人がどうにかされてしまうのではないかと、凄惨な予想をしたのだが、それはあっさりと裏切られた。
「おい、後ろ向き歩きの後はよそ見かよ」
「あ、すいません。試合が気になったもので」
「まぁ、悪くねぇな。特にあのでかい奴。体が強いわりに、距離の詰め方が慎重だ。自分より強い奴との命のやり取りをしたことがあるんだろうぜ」
「はぁ、これを見ただけでそんなことが分かるんですね」
「お前は強さと経験がかみ合ってなさすぎんだよ。もっといろんな奴と戦え」
「いやぁ……、最近はちょっと頑張っているんですが……。ところで私の仲間を見ませんでしたか?」
「ん?ちょっと待てよ」
クダンが目を細めてぐるりと観客席を眺めまわして、指さした。
「あそこだな」
割と前の方に座っている三人が小さく見える。アルベルトが特に身を乗り出しているので、見つけてしまえば割と目立っていた。コリンが横にカバンを置いて寄りかかっているので、合流すれば座ることはできそうだ。
それにしてもこの混雑した会場から、こんな一瞬でよく見つけられるものだ。
どんな視力をしているのかと、クダンの目を見る。
「人一人を見るんじゃなくて全体を見るんだよ、こういう時は。慣れだ」
考えていることがお見通しなのか、説明までしてくれる。
しっしと手を振ってハルカを追い払うようにして、クダンも歩きだす。
「さっさと行けよ、俺がお前のこといじめてるみたいに見られてるだろうが」
「ありがとうございました、それでは」
しばらくの間視線をずっと背中に感じていたが、その観戦席のブロックを抜ける頃にはそれもなくなる。
トントンとリズムよく階段を下りて、コリンの横までたどり着いて声をかけた。
「ノクトさんが決勝は見たほうがいいというので、来てしまいました」
「あ、ハルカだー、そういうこともあろうかと、席をとっておいたよー。有能なコリンさんを褒めてもいいんだよー」
首をグーッとのけぞらせてハルカを見上げ、コリンはカバンを避ける。
ハルカはポンと一度コリンの頭の手をのせて、礼を言う。
「はい、流石コリンですね」
「でしょうでしょう。さ、今いいとこだよ」
舞台を見れば円がだいぶ縮まって、一歩踏み込めば武器が届きそうな距離まできている。
アルベルト程ではなかったが、ハルカも自分の膝の上でぎゅっと拳を握って、上半身を少し前に傾けて二人に注目した。
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