百四十四話目 夜の王
手首を掴まれたまま、ハルカは考える。
こんな乱暴なことをしても、相手に怪我をさせないように気を使っているイーストンは、きっといい奴だ。もしかしたら自分の身体が丈夫すぎて痛くないだけという可能性もあったが、壁に手の甲がぶつかったときに、衝撃が殆どなかった。
自分に気を使ってくれた彼の手伝いができるなら、やってみよう。
至近距離の彼の目を見つめ返して、ハルカはそう決めた。
「それはつまり、この拘束が外せれば手伝わせてくれるということですね」
「そうだけど、無理だよ。これでも僕は結構力が強い……、え?」
手首をつかまれていたことなんかなかったようにハルカの手が頭の上から、自身の横へ移動していく。
イーストンは腕に力を籠めるが、それはまるで意味をなさなかった。
「え?……え?」
「これでお手伝いさせてもらえますか?」
手を放して、首をかしげながら自分の手を握ったり開いたりしたイーストンは、ハルカの方を向いて考えがまとまらないまま頷いた。
「よろしく……?……考えてる場合じゃないから、とりあえずついてきて」
「はい、よろしくお願いします」
静かに早足で路地裏に入っていくイーストンに、二つ返事でハルカはついて行く。
路地裏暗く、視界が殆どないはずなのに、イーストンはまるですべてが見えてるかのようにスイスイと進んでいく。
小声で足元にある障害物の位置も教えてくれるので、月明りしかない中でも、ハルカは躓かずに進むことができた。
ハルカが躓くと、躓いたものを蹴り壊して大きな音を立ててしまう可能性があったので、足元には十分気を付ける必要があった。
しばらくそうして進んでいくと、ほんの少し広くなった場所で、男女が二人至近距離に立っているのが見えた。
「ハルカさんって格闘家?」
「いえ、魔法使いです」
「え?……そうなんだ」
小声で話しかけてきたイーストンに、同じように小声で返事をすると、ぐるっと振り返ったイーストンだったが、すぐに考えるのを放棄して理解を示した。細かく考えることはやめたようだ。
「じゃあもしあいつが近くに来たら逃げてね。戦いは魔法で援護してくれればいい。僕が出て行ってもここから動かないで」
「わかりました」
承諾したハルカは、暗い月明かりの下に立つ男女をじーっと見つめる。ここから見ると、仲睦まじく会話をする男女にしか見えない。
やがて男の顔が女性に近づいたところで、ハルカはこれタダの男女の逢瀬なのではないかと、首を傾げた。
いざここから、と言うタイミングでイーストンがわざと音を立てて、路地裏から歩きだした。
男が舌打ちをして少し女性から離れて、ぱたぱたとつま先で地面をたたきながらイーストンを見る。
イーストンはその横を通り過ぎながら、ちらりと二人の様子を伺い、そして男の首元めがけて剣を抜き、斬りかかった。
男は女を突き飛ばして、反対側へ飛びずさり、歯をむき出してイーストンを睨みつけた。
「貴様、突然何のつもりだ」
整った顔は歪んで敵意をむき出しにしている。眉間に入った皴の数が男の怒りを表しているように思えた。
「答える義理はないね」
言葉少なに再び斬りかかるイーストンの斬撃を、男はギリギリのところでかわす。頬をかすった剣が、男の顔に赤い血を流させた。
「ちっ、やはり銀製の武器か」
流れた血を乱暴に左手でこすり、男は腰から狩猟ナイフのようなものを抜いた。柄にごてごてと装飾をされていて、あまり実践向けではないように思える。
「変に疑われぬようまともな武器を携帯していないのも良くはなかったな。だが、これで十分」
喋っているのをすきと見たのか、イーストンがまた斬りかかると、男がナイフでそれを受け止める。そしてイーストンをはじき飛ばした。
イーストンが壁にたたきつけられると男は背中から服を突き破って、蝙蝠のような羽を生やし、地面から浮くようにそれに追撃をかける。
立ち上がったものの、体勢が十分ではないイーストンを見て、ハルカはとっさに障壁の魔法を使う。昼間にノクトのものをさんざん見た後だから、展開のイメージはそう難しくなかった。
勢いよく飛んで接近した男が、不可視の壁に跳ね返されて無様に地面に転がった。
「障壁は消しました!」
「助かる!」
立ち上がろうとする男に向けてイーストンが剣を振り下ろす。男の姿が崩れて、大量の蝙蝠が空に舞う。
その蝙蝠は離れた場所で再び集まり、人の形を形成して、元の男の姿に戻った。しかし、その男には左腕がない。
イーストンの足元に、切り落とした男の腕が無造作に転がっていた。
「魔法を使う仲間がいたか……!」
ぎりっと歯ぎしりをして、ハルカを睨みつけた男が、今度はハルカに向けて、土ぼこりを舞わせながら低空飛行して突っ込んでくる。
ハルカはとっさにファイアアローを放つが、着弾の直前で蝙蝠になった男はその一撃をすかした。
間に割り込むようにイーストンが走ってきているが、ほんの一歩間に合わない。ハルカの首元には、男の鋭くとがった爪が突きつけられていた。
「動くな、こいつを殺すぞ!」
斬りかかろうとしていたイーストンに男が一喝する。
イーストンは悔し気に剣を振り上げたまま、あと数歩のところで動きを止めた。
「ふむ、ふむふむ、これは、随分な美女ではないか。しかしまぁ、どこかで見たことのあるような、いや、気のせいか?どちらにせよ、美女であるのは良いことだ」
にやぁっと笑った男には鋭い犬歯が生えている。ハルカは恐ろしさと気持ち悪さを感じていたが、男の様子を冷静に観察していた。
まだやりようはある。魔法を放つと余波で、イーストンにも被害が及びそうだったから、こっそりと男の爪と自分の間に障壁魔法を展開する。詠唱をする必要がないのはこういう時に素晴らしい。
「馬鹿が!」
ハルカが右こぶしを振り上げた瞬間に、男の爪が突き出される。
しかしそれは障壁によって阻まれ、手ごたえのなさに男が目を見開いた。
直後男の顔面にハルカの遠慮のない拳が突き刺さる。
男の顔面がはじけ飛び、身体がびたんびたんと地面を転がり、壁にぶつかって止まった。
「え?」
「あ……」
吹き飛ぶからだを目で追ったイーストンがまた間抜けな声を上げ、衝撃の光景にハルカも小さな声を出してかたまる。
小さな広場に路地裏から吹いてくる風が吹き抜けて、時間が止まったように誰もが動きを止めた。
最初に動きを見せたのは、男のぐちゃぐちゃにねじ曲がった体だった。
それがゆっくり分解されて、蝙蝠が宙を舞う。
屋根の上まで上がったその影は、男の身体を再び形成した。
男はそこで、二人を見下ろして、口を開く。
「今日のところはこの辺にしておいてやる。私の食事を邪魔した罪は必ず償わせてやるからな」
声と足を震わせながらそう言う男は、ゆっくりと蝙蝠に姿を変えていきながら、その場に滞空する。
「つ、追撃します」
ハルカが指先で照準を定め、それにウィンドカッターを三本放つと、余裕を持って飛んでいた蝙蝠が、慌てたように散り散りになりながら、全力で空の彼方へと消えて行ってしまった。
暗い空に消えていく黒い小さな生き物を追跡するのはあまりに難しい。
暗闇に掲げられた腕を下ろして、ハルカは大きく息を吐いた。
それから突き飛ばされた女性のことを思い出して、慌てて駆け寄り、地面にこすってできてしまった傷を治癒魔法で癒す。
後ろからゆっくりと歩いてきたイーストンは、複雑な面持ちで、ハルカに話しかける。
「ハルカさん、怪我は?」
「ありません、それよりこの女性を広場に戻してあげましょう」
「あ、そう。うん、そうだよね」
イーストンは何一つ納得できないまま、女性を抱き上げて路地裏へ戻っていくハルカの後を追いかけた。
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