百四十三話目 夜の広場

 ハルカは今日もコリンのためにタライにお湯を張ってから、宿の外へ出て広場のベンチに座っていた。

 沢山のたいまつに照らされた広場は、ぼんやりと明るく、人々の影が地面に揺れている。

 昼間に一人では危ないと注意されたことを忘れたわけではなかったが、たくさんの人がいるこの広場であれば、一人だけ襲われることはないだろうと思っていた。


 また、もしそれでも殺人犯、イーストンの話によれば吸血鬼が出てくるのであれば、自分がそれと戦ってあげられれば、ここの人たちを守ることができるかもしれないと思っていた。

 まさか出てくるはずもないと思っているからこそ、行動に移せたというところはある。しかしそんなヒーローみたいな行動に、憧れがあったのも確かだ。


 殺人事件を受けてか、広場に立つ警備兵の数は昨日の倍くらいになっている。夜までご苦労なことである。

 こうなるとハルカが戦わなくたって、彼らで頑張ってくれそうな気はしていた。


 広場から伸びる大きな通りに立つ兵士をぼーっと眺めながらハルカはイーストンのことを考えていた。


 彼の言う、犯人を追うためのちょっとした事情が気になったのだ。

 彼は旅人を自称していたから、きっと冒険者ではないはずだ。ただ、この世界に冒険者にならない旅人と言うのは珍しい。一体どこから資金を出して暮らしているのだろうかと思う。

 そう思うともしかしたら高貴な身分の人がお忍びで旅をしているというのが考えられた。水戸黄門みたいで中々かっこいい。

 市中の民の平和を守るために、凶悪な殺人犯を追っているというのはいかにもな気がした。


 考えていると視線の先の兵士が、こちらを指さしてデレっとした顔をして手を振っているのが見える。誰か後ろにいるのかと思って振り返ると、遠くからイーストンが歩いてきているのが見えた。

 イーストンの知り合いなのかと思って、前を向き直ると、まだこちらを見ていたので、念のため、小さく頭を下げておいた。

 その兵士が隣の兵士の肩を小突いて何かを話し始める。もしかしたら自分に向けて手を振っていたのかもしれないとハルカは怪訝な表情を浮かべた。


「ハルカさん、僕一人でいると危ないよって注意したつもりだったんだけど」

「……こんばんは、イースさん」


 今日もまた、一人分真ん中にスペースをあけてベンチに座ったイーストンに夜の挨拶をする。注意を守っていなかったことが少し気まずかった。

 ハルカの隣に男性が座ったのを見て、遠くで兵士がショックを受けた顔をしていたが、二人ともそれには気づかない。


 イーストンはベンチに座ると、話し始めるでもなく、広場の様子を見まわしている。


「これだけ人がいて、兵士もいるから大丈夫じゃないでしょうか」

「どうかな、吸血鬼は闇魔法の魅了を使うから」

「それってどんな魔法ですか?」

「異性に自分を魅力的に見せる魔法だよ。意志の強い人とか、魔法が得意な人には効き辛いけどね」

「詳しいですね」

「……吸血鬼を追いかけてるからね。そんなことより宿まで送って行こうか?」

「いえ、もう少しここで様子を見ています」


 まだ眠くなる時間でもないし、一応自分も広場の警備のつもりで来ていたのを思い出して、ハルカは申し出を断った。顔を上げて、イーストンと共に広場を見回し始める。


「危ないって言ってるのに聞かない人だね」

「私一応冒険者ですから。皆の安全を見守ろうかなと」

「それは冒険者じゃなくて、兵士の仕事だよ。吸血鬼と戦う自信があるならいいけどさ」


 確かにそうかもしれないが、ハルカはヒーローみたいなことがしたいのだ。折角戦える力があるなら、人の役に立ちたいと思っていた。冒険者は自由に生きるべきだという、先輩冒険者たちの思想が、ハルカの背中を押していた。


 ただイーストンの指摘はもっともすぎて、ぐうの音も出なかったのだけれど。


 しばらく黙って広場を見ていたが、十分ほどしたとき、イーストンが立ち上がる。


「どこへ?」

「ちょっとね」


 目を細め鋭い目つきをして歩き出したのを見て、ハルカもその後を追う。それを一瞬見たイーストンだったが、何かを追いかけるようにそのままどんどん歩いていく。

 昼間と違って、ダルそうな様子がまるでなく、その動きはきびきびとしている。

 裏路地の前についたときに、イーストンは一度足を止めて、そこを覗き込むようにしながらハルカに話しかける。


「危ないから宿に帰りなよ」

「犯人がいましたか?」

「……帰ったほうがいい」

「手伝います」

「はぁ……」


 突然イーストンが素早く動いて、ハルカの手首をつかんで、壁に押さえつけた。スマートで、叩きつけられるような痛みはなかったが、ハルカは驚いて目を見開く。


「僕の拘束も振り払えないような女性は足手まといだって言ってるんだけど。言うこと聞いて帰ってくれない?」


 イーストンの赤い瞳が怪しく光って、ハルカを見つめていた。


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