百二十六話目 街の日陰

 ようやく人が疎らになったのは、一時間以上たってからのことだった。


 その間にハルカは一度屋台に戻ってクレープのようなものを買ってきたが、それを羨ましがったヘルマが、イーストンを連れて屋台の方へ去って行った。

 イーストンは一度は自分は行かないと言ったが、ヘルマに「私よりハルカさんと一緒にいたいということですか?」と尋ねられて、諦めて付いて行った。ハルカに迷惑が掛からないように気を使ったようだ。


 彼は冒険者という訳でもないから、彼女に付き合ってあげているのは完全に善意によるものだ。

 少女の心を傷つけまいという優しさなのだろう。

 いくら貴族と言っても、娘の我がままで一般市民に罰を与えたりはしないはずだ。

 旅人と名乗っていた彼が、一体どこの国籍を持っていて、どういった立場の人間かがわからないが、国元に戻ればそこの責任者が守ってくれるはずだ。

 何より彼は余裕をもって武闘祭の予選を突破できるくらいには強い。彼のことを囲いたいと思う権力者もいるはずだ。

 本気で彼女からはなれたいとイーストンが思ったのであれば、即日姿を消すことができるはずだった。

 十代そこそこの少女のお願いくらいなら、この街にいる間は聞いてあげようと思っているのかもしれない。


 イーストンの顔色が少し悪かったのが気になったが、余計なお世話かもしれないと思い、ハルカは黙って彼らが屋台へ向かうのを見送った。


 貼りだされたトーナメント表を見に行く。

 一つ名前の入っていない枠があるが、あれは三人しか残らなかったブロックがあったせいだろう。

 名無しの相手になっている実質シード枠には、幸か不幸かイースの名前が入っていた。さっさと終わりにしたいだろうに運の悪い青年だ。


 アルベルトの名前を探して一番上を見ると、第一試合にその名前を見つけてしまった。

 相手はエレオノーラ=ペルレ。

 これは偶然なのだろうか。

 流石にギーツにこんなことを仕組む力はないはずだが。

 相手が彼女であることが悪いわけではないが、ギーツに言われたことのせいでアルベルトが変に緊張しないかが心配だった。いつも通りの力が出せずに負けたりしたらきっと悔いが残る。

 コリンは気にするなと言っていたが、ギーツの頼みを意識しないで戦うのは難しいと思う。


 ハルカは自分の考えすぎであることを祈りながら、他の組み合わせをざっと眺めた。

 誰がどれくらい強いのかを理解していないから、見たところで勝ち上がりの予測ができるわけでもなく、ハルカは名前だけを確認した。

 貼りだされた大きな表の下に置いてある、小さな配布用の表を二枚手に取り、ポケットに畳んでしまい込む。


 結局イーストン達は戻ってこなかったが、待ち合わせをしていたわけでもないので、ハルカはその場を後にして屋台が多く並ぶ通りへと戻ることにした。




 屋台に戻るとまた試食攻撃をあちこちから受ける。

 午前中に比べてもそれは過酷で、無理やり手に商品を渡してくる人もいるくらいだ。ハルカはどうしてこんなことになってしまっているのか分からずに、目を白黒させた。


 午前中に広がったハルカが審査員ではないかと言う疑惑は、あっという間に屋台の間に広まっていた。フードを外したまま被りなおしていなかったせいもあって、顔が見えやすくなったハルカの姿は人ごみでも目立つ。

 審査員は銀髪褐色巨乳美女、それにダークエルフだという情報も追加される。


「あ、あの、お支払いを……」

「いいからいいから、持って行ってくれよ!頼んだぜ!」


 何を頼まれたのだろうか。先ほどから同じようなやり取りを繰り返されてハルカは混乱していた。

 宣伝でもしたらいいのだろうかと思うが、そんな販促活動などしたことがない。

 人がたくさんいる中で止まってばかりいると迷惑だと思い、歩くと、歩いた先でまた食べ物を渡される。

 下げた手提げが二つに増えて、これ以上はもう持てない。

 のんびり屋台のご飯を楽しみたかったのに、どうしてこんなことになってしまったのか。

 ハルカは困惑したまま、ひとまず少しでも持つものを減らそうと路地裏に入りこんだ。

 普段は路地裏に行くと絡まれることが多いので、立ち寄らないようにしていたのだが、混乱して頭からそれが抜け落ちていた。


 路地裏で貰ったものを広げる。

 その中に粒が細いものの米のようなものがあるのをハルカは見逃していなかった。スプーンがつけられているそれを見つけてハルカはにへらと笑う。

 一口食べて、噛みしめると強い香辛料の匂いが最初に鼻に抜けて、それから米独特のでんぷんの甘さが口の中に広がった。思ったよりパサついていたが、そういう品種の米なのだろう。

 ここで食べられたということは、何処かでこれを主食にしている地域があってもおかしくない。

 世界を回る理由が一つ増えてしまった。


 気の抜けた顔でもくもくと食べていたハルカは、周囲に見すぼらしい恰好をした子供たちが集まってきていることに気づかない。

 そのうちの一人が食べ物の一つに手を伸ばす。

 視界の端にそれがうつり顔を上げたハルカと、食べ物を盗ろうとしていた少年の目が合った。


 少年が慌てて身を翻そうとすると、ハルカのあまり抑揚はないが、気の抜けた声が路地裏に響く。


「あ、お腹空いてるならどうぞ。もらい物なんですが、食べきれないので」


 一定の距離を取って自分の方を見る少年に、ハルカはできるだけ柔らかい表情を作るように努力して話しかける。やはりどこの国にも貧しい子供たちはいるようだ。


 ここで食べ物を上げて彼らのことを助けてやったと思うつもりはない。むしろ中途半端なことはしない方がいいのかもしれないとも思った。

 それでも罪悪感を覚えながら慌てて食べるより、のんびり食事ができるほうがいいはずだ。目の前にいる瘦せた子供たちを見ていると悲しくなる。


 ハルカは立ち上がって広げた食べ物から距離を取った。

 そうしてまた座り込んで、さっきの米料理の続きを食べる。


「急に襲い掛かったりしないから、皆で持って行っていいですよ」


 少年たちはハルカの方を警戒しながら、奪い合うように食べ物をもって去って行った。

 特別小さな男の子が出遅れたようで、何もなくなってしまった空間を切なげに見つめている。


 手提げの中を見ると、後で食べようと思っていたカステラのようなものがまだ残っていた。ハルカはその子に手招きをする。

 少年はどうしようか迷った末に、腰が引けたままハルカに近づいてきた。

 包みに入ったそれを、相手に向かって差し出すが、届くほどの距離には近づいてこない。

 ハルカは頭を掻いて、腕を伸ばして自分から離れたところにそれを置いた。


「どうぞ」


 少年は慌ててかがみ、それを手にとるとすぐに遠くへ離れていく。そんなに自分は怖いだろうかとハルカは首を捻った。

 遠くに離れた少年は、路地に消えていく前に振り返る。


「ありがとう、姉ちゃん」


 少年の消えていった路地を見ながらハルカは笑う。


「どういたしまして。おじさんですけどね」





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