三十話目 アルが見るハルカ
俺たちは仕事が終わったら、今日どんなことをしたとか、他の冒険者のこんな話を聞いたとか、依頼ボードにこんな依頼があった、とかそんな話を毎日食事をしながらすることにしていた。
そんな時、主に喋っているのは俺とコリンで、モンタナは極々稀に、ぽつりと何かを語る。
ハルカはいつも、楽しいのか楽しくないのかわからない表情で、俺たちの話にうなづいたり相槌を打ったりしていた。
たまに昔の話をしたり、家族の話をしたり、未来の話をしたりすることもあったが、そんな時もやっぱりハルカは自分のことを積極的に語ろうとしなかった。コリンがたまに話を振ったりすることもあったが、するっと上手いこと躱して、ほかの話にすり替えているのを俺は気づいていた。いつもはしつこいコリンも追求することがなかったので、そのことには気付いてるのかもしれない。
仕事の現場が同じになった時に、モンタナと話すことがあった。
「ハルカさ、あいつ、俺たちのこと信用してないのかな」
モンタナが怪訝そうな顔をして俺のことを見つめた。こいつはいつも寡黙で、たまに喋ってもあまりたくさんは話さない。でも聞いているらしいことはわかっていたので、そのまま話を続ける。
「ほら、お前だって俺だって、昔のこととかたまに話すじゃん。でもあいつって何も教えてくれないんだよな」
こんなふうに愚痴を言うことはカッコ悪いことだと思っていたけれど、なんだかどこかに吐き出してしまいたかった。
「…でも、いつも一緒にいて楽しそうですよ」
モンタナはぽつりとそう言って、自分の作業に戻った。しばらく待ってもその後には何も言葉は聞こえてこなかった。こいつはいつもそんな感じなので、あまり気にしたりすることなく、独り言のように呟いた。
「あいつのどこが楽しそうなんだよ」
コリンと一緒の仕事場になった時に、コリンがあいつの話ばかりをする。コリンは商人の娘で、計算やある程度の商売の知識を叩き込まれている。ハルカはそれより随分と優秀な結果を出して商人達に信用されているらしい。ハルカはすごいやつだ。みたいな話を延々と繰り返す。
俺は面白くなかった。
面白くなかったから返事をしなかったら、しばらくするとコリンは俺に話しかけるのをやめた。
「何よ感じ悪い」
その呟きと共に、俺たちは話すのをやめて仕事に集中した。うるさい声がなくなって集中出来るはずなのに、どうもその日は仕事が捗らなかった。
ハルカが七級に昇級した。コリンとモンタナが、八級になって、俺は九級のままだった。悔しさがイライラに変わり、その日の食事で俺はついに鬱々とした思いを爆発させてしまった。
「アルだけ置いてけぼりね」
そうコリンがいった。そこまではまだ我慢ができた、コリンが減らず口を叩くのはいつものことだし、腹はたったがそれだけだった。
「コリン、そう言うのはよくないと思いますよ」
ハルカがそう言った時、なんだかプツンと何かが切れた気がして、俺は大きな音を立てて、テーブルを叩いて立ち上がった。
「ムカつく。そうやって俺のことガキ扱いして、馬鹿にしてるんだろ!」
そう言い残して食堂を後にした時、後ろからコリンの声が聞こえてくる。
「何よあいつ、あんなのほっとけばいいのよ」
立ち去りぎわにみたハルカの顔を思い出す。目を丸くして驚いているようで、今までで一番表情の変化がよくわかった。去り際にその目がすーっと細くなった時、なんだかそれがすごく寂しそうに見えて、急にギュッと心が締め付けられたような気がした。
次の日の仕事で、コリンとモンタナと一緒の現場になった。ハルカは今日は買い物に出掛けているらしい。
むすっとした表情をしていたコリンだったが、仕事が始まった頃に俺に話しかけてくる。
「あんた、ハルカに謝りなさいよ」
「なんでだよ」
謝ったほうがいいかなと思っていたが、他人からそう言われるとむくむくと必要のない反抗心が湧き上がってくる。
「あいつ、いつもすました顔して、何にも喋んねーじゃん。きっと俺たちのこと仕事のできないやつって馬鹿にしてるから、何にも言わねえんだよ」
心の奥底にしまってあった思いが、嫌な言葉になって漏れ出した。コリンは目一杯顔を顰めて俺の脛を蹴飛ばした。
「ってーな!なんだよ!!」
「あんた、さいってー。ハルカがあんまり喋らないのは昔の記憶がないからでしょ」
「は?」
コリンのよくわからない話に、思考が停止した。そんな話は聞いたことがない。
「そんなわけねえじゃん、だってあいつこの街に知り合いいっぱいいるし、姐さんとか呼ばれてただろ?」
「そんなの知らない。でもハルカはわたしたちと会う前日にラルフさんに保護されて、それより前の記憶はほとんどないって言ってたわよ。私だってあんまり昔の話してくれないなー、って思ってた。でもなんでなのって聞いたらすぐ教えてくれた。みんなで楽しい話をしてる時にする話題じゃないでしょって言ってたの!デリカシーのないあんたとは大違いね」
とにかくあんた謝りなさいよ、という言葉が真っ白になった頭の中に響く。横合いから意味のない「です」というモンタナの相槌が聞こえてくる。相変わらずこいつは何を考えてるのか分かりづらい。その日の仕事はミスが多くて、あんまり上手いこといかなかった。
夜になったら謝ろう、食事の時になったら謝ろう。そう思って重い足取りでたどり着いた食堂にハルカはいなかった。ハルカは仕事が早いから、いつも大抵一番最初に来て、席を取っていてくれる。じーっと食堂の入り口を見ていて、俺がくるとわかりやすいように手を上げて、ふりふりと手招きをしてくれるのだ。その光景を思い出してみれば、確かに俺を見つけたときのその顔は、いつもより少しだけ嬉しそうだったような気もする。ずきりとまた胸が痛んだ。
今日はその姿がない。
キョロキョロと見回すと、コリンとモンタナが二人で4人掛けのテーブルに座っている。近寄ると、コリンが険しい表情で、俺を睨みつけた。
「あんた、まだ謝ってないの?」
「…来たら謝る」
コリンは大げさにため息をつくと、立ち上がって俺の肩を乱暴に押した。
「来ないわよ、早く謝ってきて!」
よくわからないことを言われて、食堂を追い出される。抵抗する気力も起きずに、押し出されるがままになってしまう。本当は自分でも悪いのがだれかわかっているからだ。コリンはめちゃくちゃ怒っていたが、ハルカはどうやら野外の訓練場にいるらしいということだけは教えてくれた。
日が落ちて、月が昇る時間になると、訓練場は無人と言っていいくらいに人がいなくなる。
その端っこの地面に座って、小さくなっている人影を見つけた。フードを深く被り込んでいるけど、そこからはみ出す長い銀の髪が月明かりにキラキラと輝いている。
ハルカはぼんやりと夜空を見上げているようだった。ひどく寂しそうに見えるのは、俺の罪悪感のせいなのか。見た目は全然いつもと変わらないはずなのに。
近付いていくと、俺の足音に気付いたのか、ハルカが顔を上げた。俺の顔を見ると、「あー……」とかよくわからない不明瞭なことを言って、顔を伏せて一言「すいません、ごめんなさい」と謝った。
謝るのは俺の方だとか、こっち見て言えとか、色々言いたいことはあったが、うまく言葉にならずに立ち尽くす。
「私、嫌なやつでしたね。君たちに誘ってもらえて、嬉しかったんです。色々できて、嬉しかったんです。別に、馬鹿にしてなんていなかったんです。頑張ったら、君たちも喜んでくれると思っただけなんです。でも、うまくいきませんでした。ごめんなさい」
「ごめんなさい」とまた謝罪して、ハルカは立ち上がった。誰に謝っているのかもわからない。繰り返し謝ることで、ただ自分のことを否定しているだけにも見えた。
「あんまり話さなかったのも、私に話すような大したことが何もなかったからです。私は、君たちみたいな素敵な未来を想像するのもあまり得意ではありません。君たちの夢や未来にただのりしてるみたいで、きっと不快だったでしょう」
見当違いのことをいいながら、空を見上げながら、一歩一歩俺からハルカが離れていく。月明りで表情が見えないのに、こんなに悲しそうに見えるのはなんでなんだろうか。
「私、やっぱり一人でやっていきます。少し寂しいですけど、みんなの邪魔はしたくありません。本当にすいませんでした。できれば、どこかでまた会ったときは避けないでいただければ嬉しいです」
立ち去ろうとするハルカのローブを俺は掴む。コリンの言っていた、来ないというのはきっとこう言うことだったんだ。ここで黙って帰したら、本当にハルカが次の日から俺たちの前に現れない気がして、何も思いつかないままローブを鷲掴みにした。
「…勝手に決めんな」
謝るつもりだったのに、口に出たのは生意気な言葉だった。うまくいかない、と唇を強く噛んでから、回らない頭を一生懸命回して言葉を続けた。
「俺は、ハルカが凄いやつだと思って、だから、でも、俺だって色々できるんだ。まだ新人で、ハルカみたいに大人じゃないから、今はうまくいかないけど、もっともっと色々できるはずなんだ。俺が頼りなくても、俺は、ハルカのこともっと知りたかったし、凄いやつだって思われたいのに、うまくいかなくて、だから悔しくて、本当はムカつくのは自分のことで、だから、俺は、だから……」
話しながら段々と下を向いてしまう。真っ直ぐ前を向けなかった。俺はただ、凄いやつだと思ったハルカに認めて欲しくて、仲間だと思って頼ってほしくて、そうしてもらえない自分にむかついてたんだ。なのに、ハルカが悪いって思い込んであんな態度を取っていた。冒険者になったのに、ただの子供みたいで、話せば話すほど恥ずかしくて、とても顔を上げられなかった。
ハルカが振り返って、フードを外したようだった。何を言われるんだろう。
やっぱり幻滅されたんだろう、と思いぎゅっと目を瞑った。所詮俺たちが自分勝手に誘ったパーティに仕方なく参加してくれただけなのだ。もしかしたら、これが離れるいい機会だと思っているかもしれない。そう思うと、悔しくて、悲しくて、涙が溢れてきそうになった。
何をしようとしているのかわからないが、ハルカが腕を動かして、あげたり下げたりしてる。
ハルカの顔を見るのが怖かった。あの無表情で今も俺のことを見下ろしているのかもしれないと思うと、体が震えそうになった。もうダメなんだろうと思い、ローブを掴んでいた手を緩めた時、ハルカの腕が俺の顔の辺りまで上がった。
勝手なことばっかり言ったから、叩かれるのかもしれない、そんな覚悟をした。目を閉じたままじっとしていると、頭にぽん、とやわらかいものがのった。それはぎこちなく行き来し、俺の髪を撫で付ける。
「ごめんなさい、誤解させていたみたいですね。私も思っていたんです、アルはすごいなって。何かになりたいなんて口に出すことは、私は怖くてできませんから。楽だったり、無難だったりする選択ばかりしてしまいます。私は、多分、君みたいになりたかったんですよ」
黙って撫でられていると、静かにポツリポツリとハルカが話をする。
「だから本当は、まだアルと一緒に冒険者をしてみたいと思っているんです。ほら、私たち、まだろくに冒険もできていないでしょう?」
撫でられたまま、自分の目元をぐいっと袖で拭った。ハルカがどんな顔をしてこう言っているのかを見てみたかった。
「だから、ええ、明日からまた一緒にご飯を食べていいですか?実は私、パーティから外れようと思うって、コリンに相談してしまったんです。一緒に言い訳してくれませんか?実はそんなの嘘だったんです、って」
俺は大きくうなづいて、顔を上げた。そのひょうしに頭から手が落ちて、所在なさげに動いた後、いつもの位置に戻されるのが見えて、少し寂しく思う。
拭い切れずに残った涙のせいか、さっきよりも銀の髪がきらきらと輝いて見える。月を背中にしているせいで、ハルカの顔ははっきりと見えなかったが、なんだかそれは、きっと多分、母がいたらこんな風だったんじゃないかって思えるような、優しい表情だった。
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