二十話目 怒り方、断り方
彼女が心配してくれていたのはこういうことだったのかもしれない、と気づいたときにはかなり面倒なことになっていた。鍛えられた肉体を誇示するような装備をした男性が、ハルカの前に立っている。
「なぁ、あんたがラルフの女ってやつか?どんなもんかと思ってたけど、いい趣味してるじゃねえか」
「私はラルフさんの女ではありません」
ついでに中身はおじさんです。うちなる声はそのまま心の中にしまっておく。はっきりと返答をしたものの、ゲラゲラ笑っているその男と連れ合いは、ハルカの言葉にまったく取り合わなかった。最初から話を聞く気がないのはわかっていたが、ならばどうしろというのだろうか。
「なんだよ、依頼書なんか見つめて。冒険者の真似事でもしようってのか?」
こういった輩とまともに取り合っても何一ついいことはない。しかしすでに捕捉されてしまっているものだから、それではさようならと言って逃がしてもらえる状況ではなかった。
相手の言葉はできるだけ頭に残さないように聞き流す。この世界の会話の流儀は知らなかったが、馬鹿にされているのは間違いないだろうし、彼らがラルフに対して何かしら思うところがありそうなことにも気づいていた。
つまらない相手だと思っていなくなってくれることを信じて、怖がらず、かといって挑発的にならないように返事をしていく。
「えぇ、冒険者登録をしたところなんです」
「うははは、冒険者なんかより夜に道端にたってるほうがよっぽど金を稼げるぜ!どうせあいつにもそうやって金をせびってんだろ?」
性的な嘲りに対して気持ち悪いと思う。ただ、もともとがその辺のサラリーマンであるから、恐怖とか、憤りとかはそれほど感じていなかった。おじさん相手に何言ってるんだこいつら、という気持ち、そしてヤンキーに絡まれて嫌だという気持ちくらいだ。
相手は武器をもっているし、戦えるような装備もしている。今攻撃をされたらとても敵わないだろうとは思う。しかし、冒険者が理由もなく争い合うことはギルドのルールとして禁止されている。きっと暴力を振るうレベルの嫌がらせには至らないだろうと高をくくっていた。
「その予定はありません。明日から皆さんと同じように冒険者として働いていくつもりなので、あまりいじめないでください」
なんだかんだと立場のある人だと面倒だと考えて、ひとまず下手に出て様子を見ることにする。逆らう気はありませんよ、つまらない人間ですよ、と精一杯アピールしているつもりだ。一人になった途端に絡まれたということは、やっぱり付き添ってくれていたエリやラルフが虫よけになっていたのは間違いないだろう。改めて感謝の念を込めて遠い目をしていると、男がイラついたようにハルカの肩を強くつかんだ。
「おい、随分余裕じゃねえか、俺のこと舐めてやがんのか?」
「…いえ、決してそのようなことはありません。ただ、争いごとが得意ではないものですから」
しばらく待っても周りが介入してこないことに、あれ、おかしいぞ、とハルカは視線を巡らせた。怖がってこちらを見ないふりをしているものもいれば、面倒そうに離れていくものもいて、自分たちの周りだけぽっかり小さな空間になっている。
よく考えてみれば、どこまでが処罰の対象となるかなんてハルカは理解していなかった。当たり前に日本の法律と照らし合わせて暴力は反対だろうと思っていたが、争いの定義が自分との価値観とは異なっている可能性がでてきた。ちょっと小突いて怪我をさせるくらいはセーフ、後遺症が残るレベルだったらアウト、とかそういうレベルだと非常に困る。
頭の中で、土下座か?土下座なのか?おやじ狩り?お金は持ってないんだけど、と問題を解決できそうにない考えばかりがぐるぐると回り、何一ついい考えが浮かんでこない。
ハルカは暴力と無縁の人生を送ってきたし、どんな時どんな風に怒っていいのかすらわからない人間だった。およそ今までの人生からは解決法を導き出せない状況だ。
表情も態度も崩さないハルカに腹が立ったのか、男は肩を鷲摑みしたまま歩き出す。
「少し思い知らせてやるか」
不穏な言葉をつぶやいた男と、にやにや笑うとり巻きたち。本格的に焦り始めるハルカだったが、相変わらずの表情は変わらないままで連れていかれているせいか、周りからはそれに気づいてもらえない。正義感のありそうな人たちも怪訝そうな顔で様子を伺っている。
これはもしかして、助けを求めたら助けてくれるんじゃないかとも思ったが、知らない人たちに迷惑をかけるのはどうなのだろう、なんてことを思って声を出さずにいるうちに、どんどん引っ張られていく。
ズルズル引きずられていくと痛そうだなと思って、相手に合わせて歩いてしまっているのもよくなかった。
そのまま外へ連れていかれて、路地裏まで到着してしまう。
「あの、ホントすいません、何か悪いことがあったらなら謝りますから、許してもらえませんか?お金とかはあまり持っていなのでお支払いできませんが……」
「じゃあ体で払えよ、むしゃくしゃさせた分な」
そういうと男に胸を普通に揉まれて、最初に感じたのは困惑だった。
男の胸触って楽しいか?この人たちホモなのかな?だとしたら身の危険だ。
それから現実逃避のように、今日はよく胸を触られるなと思い、その先にようやく危機感を覚えた。
あ、ダメだこれは、そういえば自分は女性の身体で、どうやらかなり美人だから、これから起こることは想像もしたくないようなことだと気づいた。
それに気づいた瞬間、ハルカは手を払ったりせずに、自身の腕を真上に上げて挙手をして、こういった。
「あの、すいません。ホントにやめてもらわないと私も抵抗します」
男と取り巻きたちは目を見合わせたあと、どっと笑いだした。
やれるものならやってみろ、新人冒険者に何ができるんだ、と彼らは馬鹿にして笑った。
確かに新人冒険者なんていくら腕に自信があっても、日常的に戦いに出ているベテランの冒険者からしたら子供のようなものだろう。まして人数差もあるし、当然の反応だった。男一人に取り巻き三人、誰もがしっかりとした体つきをした立派な大人だった。
全員が笑いながら、やってみろとはやし立てる。
ハルカは考えていたことがあった。ウォーターボールって、ぶつけても大した威力出ないし、微妙だな、と。炎をまとうタイプの敵や、水で溶けてしまうような敵に有効らしいのだが、それだとあまりに用途が少なかった。
もうちょっと何かの役に立てないかな、と考えた結果思いついたことだ。これがうまくいけば、比較的平和にことが解決するはずだった。
「水の弾、
ウォーターボールの詠唱を始めたハルカに、男たちの笑いはさらに広がる。おかしくて仕方ないようで腹を抱えているものもいた。
「うひひっひ、水をあてて風邪をひかせようってのかよ、こええこええ!」
「いくらでも撃ってみろよ、はははは」
ハルカは詠唱を続ける。
「飛び、
ぶよぶよとハルカの視線の先に水の塊が漂う。その数は4つ、全てが人の頭より少し大きい。笑い続ける男たちへ向けて、ハルカは水を払うように手を振った。
「いけ、ウォーターボール」
男たちが魔法の数に気づいたときには、その水の塊は彼らの顔面の前まで迫っていた。数が増えたことに一同は驚いてはいたが、しょせんウォーターボール、目くらましぐらいにならないと思っていたし、生意気なその態度に、ひどい目に合わせてやろうと意気込んでいた。ただ、次の一言が彼らから発されることはなかった。
水の塊は彼らの顔全体を包み込むと、爆ぜることなく、その場にとどまった。男たちが一様に、顔にへばりつく水と払い落とそうと手を持っていった瞬間に、ハルカは身をかわして少しその場から離れて様子を観察する。
魔法はぶつかって何かしらの効果を発揮して、すぐに消えてしまう。では詠唱を変えてみてはどうだろうかと思ったのだ。自分は詠唱する必要はなく、思うだけ感覚的にで魔法を発動できるのは理解していた。ただイメージが難しいので、詠唱をしたほうが楽だというのは確かであったので、それをほんの少しだけ変えてみる。
途中に数を増やすイメージを入れた、そして爆ぜずに留まるように命じた。
不意に水の中に落ちたとき、人間はどれだけの間呼吸を我慢できるだろうか。
ほんの三十秒ほどで、男たちは地面に転がり、バタバタと顔の周りをかきむしり、やがて動かなくなった。
それ以上長く水をとどめていると殺してしまうのではないかという恐怖にかられたハルカは、すぐに魔法を解除する。
それから、自分の行動を振り返り、じわじわとした焦燥感に襲われた。
自分の匙加減次第で、人を四人殺してしまうことができたのだ。
車の乗っているときに人が飛び出してきて急ブレーキをかけたときのような、それの何倍もの緊張と、恐怖心がハルカを襲っていた。
ちょっと魔法の実験、嫌なことをされたからやる、みたいな気持ちでやっていいことではなかったのではないか、という自己嫌悪が止まらない。
「ちょっと、ハルカ、大丈夫?って、何?返り討ちにしたの?」
エリの声が後ろから響くが、それが遠くどこかすごく遠くでラジオが鳴っているような、そんな風にしか耳に入ってこない。緊張したり怒られたときはいつだってこんな風だった。見えるものが小さくなり、聞こえる音が遠くなっていく。
「ちょ、ちょっと、どうしたの?なんか変よ、ハルカ!なんかこいつらにされたの?!私が来るのちょっと遅かった?!」
ハルカの両方の肩をもって、エリはその身体を揺さぶった。
ハルカは少し手を震わせながら、倒れている男たちを指さす。
「あ、あの、あの人たち、生きてます、よね?私、殺してませんよね?」
「え?大丈夫よ、別に、遠くから見てたけど、気絶しただけでしょ。そんなことよりハルカ、いいからあんたちょっとこっちにきなさい!」
ハルカはまたも人に引っ張られながら歩き出す。口元を抑えたまま、さっきと違ってよろよろと、下を向いたままエリのあとをただついて行った。
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