二十一話目 それぞれの恐怖

 トットはここ最近むしゃくしゃしていた。幼馴染の、密かに恋心を抱いていた食事処の看板娘が、ことあるごとに、ある冒険者の話ばかりするからだ。素朴なところが気に入っていたのに、ばっちりと化粧をして、そいつの話ばかりする。

 そんなやつより俺の方が強いぜ、とアピールしてみても、冗談は彼の等級を越えてから言って、と笑って返事をされるばかりだった。

 そいつ、ラルフは戦闘力で言えば自分と大差がないはずなのだ。これはたまたま飲み屋で一緒になった一級冒険者の男が言っていたから間違いなかった。

 ただ、本当は男がその後に続けた言葉があった。


「それでもお前より階級が高いってことは、見習うべき部分があるってことだからな」


 トットは耳障りだったその言葉のことは、その時に一気に飲み干した酒と一緒に忘れてしまっていた。都合の悪いことはいつだって酒を飲んで忘れてしまう。トットの悪い癖だった。


 しかしトットだって4級冒険者だ。見た目は三十過ぎに見られるが、実際はまだ二十歳だし、これから未来がある冒険者なのだ。バカにされてたまるか、見返してやると言う気持ちで毎日冒険者活動に勤しんでいる。

 それでも幼馴染のあの娘から出てくる話は気に食わない奴の話で、自分は鼻で笑われるばかりだった。


 その日もトットはよく選びもせずに依頼を受けて、がむしゃらにこなし、冒険者ギルドへ戻ってきた。それでなんとかなっている時点で、十分優秀な冒険者なのであるが、肝心の人には評価をしてもらえない。


 そこへたまに一緒に依頼を受ける気の合う奴らがやってきて、ムカつくあいつの話をしはじめた。

 最初はまともに聞く気もなかったが、どうやら女絡みの話で、ダークエルフの女を連れて、親しそうに話していたと言うのだ。そしてその女が今日冒険者登録をしていたらしい。

 なんであいつばかり、と言う気持ちが募ってきたところで、仲間の一人が依頼ボードの方を指さした。


 そこには一人の美しいダークエルフが立っていた。一つ嫌がらせをしてやろう、とトットは肩を怒らせて彼女の元へのしのしと歩いた。




 少し怖がらせてやろうと思ったその女は、自分を前にしても少しも動じた様子もなく、淡々と返事を繰り返してきた。ムカつくあいつと比べられて、見くびられている気がしてトットは後に引けなくなった。

 外へ連れ出そうとすれば流石に抵抗するか、助けの一つでも呼ぶだろうと思っていたのに、なんと引きずられるでもなく、一緒に歩いてくるではないか。やっぱりこの女は俺のことはバカにしているに違いない、とトットはますます怒りを募らせた。



 ウォーターボールの魔法詠唱を始めた時、周りにいる奴らはけらけらと笑ったが、トットは油断していなかった。むしろ、しまった、危ないかもしれないと危機感を募らせていた。

 他の3人はまだ6級冒険者で、ベテランの魔法使いの魔法を見たことがなかったが、トットは数度、魔法使いや魔法師の使う魔法を間近で見たことがあった。彼らの放つ魔法はただのウォーターボールであっても、岩を削るような威力を持っていることがある。まさかそこまでではないだろうと思っていたが、ほんの少し、嫌な予感がしていた。


 そうしてその女の発動した魔法を見た時、トットは戦慄した。その女は魔法を同時に4つ中空に浮かべ、腕を振るったのだ。

 トットは知っていた。

 魔法使いは基本的に1度に一つの魔法しか発動しない。同じ種類の魔法でも同時に複数発動できるものは、相当な熟練者だ。冒険者の中には3種類の魔法を同時に発動できる者がいるが、その人物は【三連魔導】と呼ばれる特級冒険者である。


 トットは目の前の水に溺れながら、ぼやけた視界の中、女の方をみていた。女はなんでもないような表情のまま、実験動物でも見るかのように自分たちのことを見下ろしていた。がぼがぼと肺の中に水が入っていくのがわかる。薄れゆく意識の中、トットは手を出してはいけない相手に手を出してしまったことを酷く後悔した。







 しばらくの間ハルカはエリに引きずられるように歩いていたが、ハッと我に帰り歩みを止めた。先に進んでいたエリがのけぞるようにしてとまり、ハルカを振り返った。


「ちょっと、なんで急に止まるのよ!」


「あの人たち、水飲んじゃってるかもしれません……、死んでしまうかもしれない……。戻ります!」


 もし水が気管に入り込んで、その後の呼吸を阻害していれば死に至るかもしれない。溺れたものをどうやって助けたらいいのか分からなかったが、漠然とした知識でハルカはそう思った。

 気が動転したままだったのか、戻りますと言った直後、今度はエリを引きずってハルカが今来た道を急ぎ足で戻っていく。


「ちょっと、あんなのほっとけばいいじゃない、ハルカ!もう、え、なに、力つよっ!」


 ワーワー騒いでいるエリを意に介さず引きずり続けながらハルカは現場に戻る。

 転がっている4人を見つけると、そのうちの自分に話しかけていた男の体を横に向けて、背中をバンバンと叩き始めた。それが正解かは知らなかったが、何かしなければと思ったからだ。

 少し離れたところでは、呆れたような表情でエリがそれを眺めている。先ほど引きずられたのでわかったのだが、ハルカの力はその体からは想像できないくらい強い。背中を叩くときに出る音が尋常じゃなく、絶対に痣になっているだろうなぁとエリは思っていた。


 やがて男が咳をして、水を吐き出し、ぼんやりと目を開けた。エリのいう通り、さほど大事にはなっていないらしかった。


 ハルカは男を壁に寄り掛からせるように座らせると

 、ほかの男たちも同じように介抱する。


 全員がしっかりと水を吐いて呼吸し始めたのを確認して、ハルカは最初の男の頬をぺちぺちと叩いた。


「すいません、大丈夫ですか?」


 男は、ぼんやりと唸っていたが、しばらくすると視点があって、ようやくハルカと目があった。


「やりすぎました、すいません。何かあれば伺います」


 抵抗にしてはやりすぎたと思ったハルカは、謝罪の気持ちを込めて男にそう伝えた。もし男たちが怒っているようだったら、少しくらいの賠償はするつもりだった。






 トットは目を覚ます。

 覚醒しきらない意識の中、ただめちゃくちゃ背中が痛いと感じていた。背中に焼き鏝でも押し付けられているのだろうか。

 頬をぺちぺちと叩かれて、焦点が定まった時、目の前にはさっきのダークエルフの女がいた。女は相変わらず無表情にトットを見つめると、言いたいことがあるなら聞いてやる、とそういったニュアンスのことを言い出した。

 トットは体をブルリと震わせる。蛇に睨まれた蛙というのはこんな気分なのだろうか?彼にはそれが、まだなんか文句あっか?という脅しにしか聞こえなかったのだ。

 体の震えを隠すこともせずに、トットは地面に身を投げ出した。一刻も早い謝罪が必要だとトットの冒険者としての勘が警鐘を鳴らしていたからだ。


「ごめんなさい、俺が悪かったです、何でもするので許してください」








「ハルの姐さんまじで冒険者登録1日目なんすか?まじぱねえっす」

「俺たち魔法使いなめてました、ほんと、最強っすわ」

「いやいや、好きなだけ食ってくださいよ、ここは俺の奢りっすから!!」

「このこの、たりめえだろ、トットぉ、一人だけ姐さんの胸揉みやがって、このこの」

「ばっ、やめろ、殺されたらどうすんだ!!余計なこと言うな!!!」



 ハルカは別にそんなもの欲しいと思ったことも、必要だったこともなかったが、冒険者登録1日目にして舎弟が4人できた。

 周囲がやかましく無駄に目立つし、奇異の目で見られて恥ずかしいので、できれば今すぐ解散して欲しかった。


 あと、やっぱり助けに戻らなきゃよかったな、とちょっと思っていた。

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