二話目 おじさんの認識とファンタジーな世界について。2

 何か少しでも新たな情報をと思い、うろうろしながら辺りを見回す。すると、椅子のように加工された切り株と、焚火の跡を見つけることができた。

 そこを起点によくよく観察してみれば、あちこちに人の手が入った痕跡が見られる。


 どうやらここはまったくの秘境というわけではないようだ。ひとまずは朗報である。


 この場所で生き残ることさえできれば、いつかはきっと人が訪れるのだ。

 あとはもう、訪れた人物が私のような異世界でくのぼうに対して、親切であることを祈るばかりだろう。願わくは、最初に出会う人が心に余裕のある人物であって欲しい。

 

 誰かが用意した切り株に腰を下ろし、その辺で拾った木の棒で焚火の跡をかき回す。食べ残したものが残っていれば、それを参考にして、自分でも食料を確保したい。


 果たして私の行動は、やたらに灰を散らかすだけに終わった。こんなことになるのだったら、サバイバルについて学んでおくべきだった。こういうのを後の祭りというのだろう。


 とにかく食べるものが欲しい。

 いつか人が来る可能性にかけてここで待機するのであれば、雨風を凌げる環境と、なにより食料が必要になってくる。

 幸いぽかぽかと少し暑いくらいの陽気で、日が落ちたからといって急激に冷えこむことはない気がする。


 それにしても、推測でしか物事を判断できないというのは、とてつもなく不安なことだ。四十代の精神をもってしても、思わず涙が出そうになる。

 天気なんてスマホをほんのちょっと触るだけで分かる情報だったのに。


 私はいまにもポロリとこぼれ落ちそうになる涙を、上を向いて堪えた。


 上を向いて歩こう、涙が溢れないように、だ。名曲を思い出していたらますます日本が恋しくなってきた。


 今の容姿だったら涙も武器になりそうなものだが、おじさんであるという誇りを持って、さめざめと泣き崩れることは我慢する。矜持を失ってはならない。私の心はおじさんなのだ。


 そうだ、楽しいことを考えよう。エルフがいるということは、きっとここはファンタジーな世界なのだ。ファンタジーの世界と言えば、剣と魔法、そして冒険だろう。


 魔法、全てのファンタジー好きの憧れといっても過言ではない。幼いころに何に成りたかったかと尋ねられれば、魔法使いか正義の味方だった。


 炎の魔法とか、どうだろう。定番で、物語の最後まで役に立ってくれる実に勝手の良い魔法だ。試してみようかな。誰もいない環境を前向きにとらえるのだ。多少はしゃいだところで、それを咎めるものは誰もいない。


 実際のところ獣を避けるためにも、水を安全に飲むためにも、食事を取るためにも、火があったらとても便利なはずだ。人間は火と道具を扱うことで進化してきたのだ。そう、火の魔法が使えるか試してみる価値は、絶対にある。中二心からだけではない、これは必要な実験だ。


 見苦しく自分に言い訳をしながら、私はピンと腕を伸ばして、灰をかき回していた棒の先を湖に向けた。


 この棒はここにきてから私が最初に手に取った、杖にも火搔きにも重宝しそうないい感じの棒である。ブンと振っても折れる気配もないため、いざ野生の動物が現れたとき、頼りにしようと思っている。


「うん、では」


 喉の調整をと思い、一言発して、私は上げた腕を下ろした。口元に手を当てて考える。自分の声に違和感を覚えたのだ。体が女性のものになっているから、当然声帯も女性のものになっていたらしい。

 しかしまあ、私好みの少し低い美声であったのは嬉しい誤算だ。


 どうやら私は目が覚めてから一度も言葉を発していなかったらしい。こんなにいい声をしているのなら、もう少しひとりごとでも言っておけばよかった。少しは気がまぎれたかもしれないのに。


 あらためてマイフェイバリット棒を湖と水平に持ち上げる。それから少し考えて角度を下げ、棒の先が湖に向かうようにした。今から炎の魔法を使おうというのに、切っ先を森に向けるのは良くない。生木は燃えにくいとはいえ、水に向かって放つ方が安心感はある。


 想像するのは大きな火だ。


 昔テレビで見た巨大なキャンプファイアー。


 目を閉じて自分のイメージを明確化する。燃え上がる、高く広がる、天を焦がすほどの勢いの、すさまじい炎。シンプルに言葉は一つ。


「……燃え上がれ」


 直後、ジュッ、だか、ボッだか、表現し難い音がして、とてつもない量の水蒸気が立ち上った。想像した通りの、天を焦がすような炎が湖に立ち上る。綺麗だった湖はグツグツと煮立ち、魚が次々と浮き上がった。その光景はさながら地獄の釜の様だ。


 やった、お魚が取れた。今日の晩御飯だ。


 現実逃避をする頭の中でそんな声が響く。それどころではない。湖の水量をどんどん減らしていく炎に対して私ができることは、さっさと消えてくれるよう祈るだけだった。


 湖に浮いた炎は段々と小さくなり、やがて最初からなかったかのように音もなく消える。ただ、辺りに広がる水蒸気と、ゆだってしまったあわれな魚が、炎が確かに存在したことを強く主張していた。


 魔法だ。ファンタジーだ。素晴らしい。しかし私の手には余る力だった。


 あの炎はいったい何をエネルギーにして生じたのだろう。まさか寿命とかではないといいのだけれど。


 手をにぎにぎとしてみるが、体から何かが消えたような感覚はない。とすると、なおさら何を消費したのかが気になった。


 水蒸気が少しずつ空へのぼり、ゆっくりと広がり四散する。


 座って考えよう。


 そう思って振り返った瞬間、一人の男の姿が目に入った。口をあんぐりと開けたその男は、恐ろしいことに、その手に抜き身の剣を携えていた。

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