三話目 未知との遭遇

 ラルフ=ヴォーガンは、界隈では名のしれた冒険者だ。


 魔法が使えず、身体強化も得意でないというのに、ソロで二級冒険者になるというのは並大抵のことではない。

 下級冒険者の中には、その容姿で人に取り入っただけだと馬鹿にするものもいるが、その価値を知っているのは上級の冒険者だ。そんなことでなれるほど、二級冒険者の地位は軽いものではない。


 戦闘に関しては一歩も二歩も劣るが、それを補える能力があるからこその二級冒険者だ。弁が立ち、機転が利き、知識があり、勘が鋭く、準備を怠らない。生き残るための手段をいくつも用意している、頼りになる男。

 それがラルフだった。


 容姿は全体的に整っており、肩まで伸ばした金髪と、少し垂れた優しそうな目が特徴だ。他の高位冒険者と違って、暴力的な雰囲気を感じさせることがないためか、女性からの人気も高い。


 ラルフは自分のルーティンを大切にする冒険者だ。そのおかげで今の自分があると信じているし、ペースを他人につかまれることは命取りだと思っている。何かこだわりを持ち、日常に戻れるスイッチを持つことが、長く冒険者を続けるコツだ。


 依頼をこなし、酒を飲み、女を抱く。そうしてから町を離れて、お気に入りの湖畔で数日間静かに過ごす。英気を養ってから、また自分を必要としてくれる冒険者を探す。


 つい先日も、ギルドからの依頼を一つこなしてきたところだ。一緒に冒険した仲間と酒を飲み、夜の街で女を抱いた。

 

 今日はルーティンの最後のピースをはめるために、いつもの湖畔に鼻歌交じりにやってきたのだった。


 半日ほど森を歩いてたどりつくその場所は、ほとんど人の立ち寄らない美しい秘境だ。

 緑豊かで、草食動物が平和に暮らしている。

 人もアンデッドも魔物もあまり寄り付かない清浄な地で、もしかするとなんかしらの加護があるのかもしれないとラルフは思っているぐらいだった。


 しかし今日はいつもと少し違った。なぜだか胸がざわざわする。


 こんなざわつきはいつだって何かの始まりを示唆していた。危険の察知や罠の感知を務めとするラルフは、自分の第六感を疑わない。


 鼻歌をぴたりとやめて、そろりそろりと湖に向けて歩みを進める。


 茂みからこっそりと湖畔を窺うと、自分がいつも使っている焚火の周りに人影が見えた。この場所を共用できそうなものならよし、そうでないなら何らかの対応をしなければいけない。


 場違いな女性だ。最初はそう思った。


 美しく、凛としたダークエルフの女性だった。


 ダルっとした見たこともない服を身にまとい、ガサゴソと灰の中を漁っている。肩を落とし、涙ぐんでいるのを見ても、表情が変わらないせいか、凛としたイメージに変わりはなかった。


 ラルフの暮らす北方大陸には、エルフの森と呼ばれる地域があるのだが、彼らがそこから出てくることはほとんどない。その上そこにもダークエルフは住んでおらず、見かけるのは南方大陸の最南端でのみと聞いたことがあった。


 まさかこんなところで出会うとは夢にも思わない存在だ。


 ラルフが混乱しているうちに彼女はふらっと立ち上がり、灰のついた長い棒を湖に向けた。


 何をするつもりなのだろうと身構えた次の瞬間、ラルフの全身に鳥肌が立った。


 吐き気を催すような魔素の奔流が体の表面を吹き抜ける。


 もしこの魔法の行先が自分に向けられていたら、ラルフは迷うことなく全力で逃亡するだろう。


 ラルフは魔法使いではなかったが、長年の経験で、魔素の流れをおぼろげながら感じられるようになっている。魔素が大きな動きを見せると、ぞわりと肌の表面を何かが撫でて、鳥肌が立つのだ。

 これは能力面で他の冒険者に劣るラルフの、数少ないのアドバンテージの一つであった。


 しかし彼女が一言何かつぶやくと、その圧力が霧散する。ラルフは腰に下げた剣に、そろりと手を伸ばし、音をたてぬよう慎重に引き抜いた。


 この美しいダークエルフが自分を害する者であるのなら、抵抗しなければならないと思った。

 魔法を発動させるためには呪文が必要になる。

 いくら戦いが得意でないといえども、ラルフも二級冒険者だ。不意打ちをして接近戦に持ち込めば、さすがに魔法使いに負けたりはしない。


 この距離ならば、逃げるよりも、攻撃を仕掛ける方に勝算があると判断した。

 

 こっそりと茂みから出て一歩前へ歩き出すと、魔素の波が再びラルフを襲った。


 これまで経験した命のやり取りから、足を止めるのが愚策であるとわかっているのに、体が硬直したあげく震えはじめる。前に出た判断は間違っていた。わき目も振らずに逃げ出すのが正解だったのだと、今更ながらに後悔した。


 相手を何とかしようと思った時点で、第六感がすでに狂ってしまっていたのかもしれない。いや、きっと魔素の嵐に狂わされていたのだ。


 強く握りしめた剣を、体と共にがたがた震わせながら、ラルフはその場で立ち尽くす。

 湖を、大気を、空を焦がした炎は、流動した魔素の割に大きなものではなかった。しかし魔素を肌で感じてしまうラルフにとって、その流動した魔素こそが恐怖の対象だった。


 ダークエルフの美女は、まるでラルフがそこにいることを最初から分かっていたかのように、ゆっくりと振り返る。その紅い双眸にラルフの姿が映っても彼女の表情は何一つ変わらない。


 ラルフにとってその姿は、これまで見たことがないくらいに恐ろしいものだった。しかしそれと同時に、今まで見たどんなものより美しく、妖艶に、輝いて見えた。

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