特殊フィールドの死は、死となる
違うんだ。こんなの俺が望んだことじゃないのに。
そんなことを必死に叫ぶ声がした。やけに音が響くと思ったらそこはとても広い空間だ。真っ暗なので広いという事さえ認識するのに数秒かかったが、コンサートホールのように広い場所なのだろうと思う。
そのステージの上に一人の男がいた。Tシャツとハーフパンツというラフな格好だがかなり痩せこけていて不健康そうだ。年は若い、おそらく10代半ばだろう。典型的な引きこもりのタイプに見える。
まるで舞台俳優のようにステージで一人叫んで騒いで喚いている。違う、違う。こんなの俺じゃない。必死だ、誰もいないのに誰かに聞いてほしいというように。
何か声をかけた方がいいだろうかと思ったが、それは無理だとすぐに否定する。何故ならしゃべれない、動けない。口には拘束具が付いていて口を動かすことも声を出すこともできない。手足を動かそうとしたが感覚がない。ちらりと見れば、手首と足首に鎖が付いた拘束具がはめられており動かすことができない。
しかしそんな自分の様子など特に気にならず、再びステージを見た。動けず声が出ないのなら仕方ない、動かそうとせず声を出さなければ何も問題ないのだから。
叫んでいた男が何かに気づいたように声を止め一歩後ずさる。暗闇の中から現れたのは熊のぬいぐるみだ。左目が取れてしまったのか右目しかなく左腕と右足に包帯を巻いている。しかし包帯の隙間からは綿が出ているのがみえた。おそらく今にもちぎれそうなのだろう。「それ」は宙に浮いていた。
「ひ……」
少年が息をのんで震え始める。顔は血の気が引いて真っ白になっていた。
【何でそんなに嫌がるの? ちゃんと君の願いを叶えてあげたでしょ】
「違う……」
【強くなりたいって言ったじゃない。だから力を貸してあげたんだよ。ちゃんとランク上がるように勝ってきたでしょ】
「違う! あんな勝ち方も戦い方も俺のやり方じゃない!」
【自分の望んだ勝ち方しか認めたいの? 変なの。方法がどうであれ勝ちは勝ちだし負けは負けなのにね。ゲームで大事なのは経過じゃなくて結果だよ】
「強くなりたかった。でもこんなの聞いてない! なんなんだよお前、何したんだよ!?」
【えー、別に?】
ふわりと男に近づいてくる。その距離が縮まりそうになると男は必死に熊から逃げ動き回る。
【でも今回はびっくりしたなあ。まさか相手があんなに反撃してくるなんて。ま、ぽっちょがどんな奴なのかはだいたい予想ついたからいいや】
「あんな勝ち方したら普通じゃないってわかるだろ! こいつ何か変なことしてるんじゃないかって!」
【実際変な事してるんだから仕方ないよね】
「ふざけるな!」
口調は強気だが明らかに怯えている。この少年、どうやらこのクマのぬいぐるみから何かを与えられ普通ではない手段で勝ってきたようだ。つまり、そう。この状況ならもうわかってしまう。彼はAPなのだろう。ぽっちょと戦ったというような内容な時点でそれしかない。
【そんな事言ってもさ。最後僕が防御しなかったら負けてたよ?観客数8955人、起死回生が売りの君があんなところで負けたら人気なんて下がるしランクも下がるしなんかもう何の価値もないよね】
「!」
価値がない、と言葉に彼は何も言い返せないようだった。自分なりのこだわりを持って戦っていたので、単にゲームというだけでなく生き場そのものなのかもしれない。それを自分の望まぬ形で勝たされていることも不満なのにどうすることもできないという不安と恐怖がAPを苛んでいる。
【もうそのランクになったらさ、僕がいないと勝ち進むの無理だよ。君の実力じゃ本当は1個下のランクなんだから。それでも僕に文句言うの?】
「うるさい! お前なんかいなくても」
【まあ仲良くやろうよ。ここまで来たんだし。もうちょっとなんだし】
気が付けばAPの体には包帯が巻かれている。左腕と右足にぐるぐる巻きに包帯が巻かれているが、その巻き方は雑であちこち隙間が空いている。そして、その隙間から勢いよく血が噴き出した。
「ひぃああああっ!?」
突然の痛みに襲われたのだろう、APはその場に崩れ落ちてのたうち回った。右手で必死に左腕の傷を抑えようとするが痛すぎてそこに触ることができない。ビクビクと陸に放り出された魚のようにその場で痙攣しひたすら痛みに悲鳴を上げた。
そんな彼の目の前まで移動してきた熊は、先ほど巻いていた包帯がなくなっている。綿も出ていないようで、なくなっている左目だけが唯一の欠陥だ。
【自分で望んだんだから、最後まで行ってみようよ】
APとぬいぐるみの距離がほぼなくなるくらいに接近した時、あの毘沙門亀甲の文様が両者を包むように円形状に現れる。ガチャガチャから出てくるカプセルのおもちゃを連想させた。文様の中に閉じ込められるようにすっぽりと収まるAPとぬいぐるみはだんだん文様が濃くなり見えなくなってくる。
―――このままいくと、APは―――
ある予感が頭をよぎったとき、バヂンと大きな音が響いた。見れば文様に3メートルはありそうな巨大な斧が突き刺さっている。そこから文様にひびが入り、ガラスが割れるような音とともに文様が粉々に砕け散った。
APは驚きに目を見開いているが、熊はくるりと斧が飛んできた方に向かい直る。すぐに文様が現れはじめるが、最初の勢いはなく形も中途半端だ。
誰かが歩いてくる足音がし、暗闇からぼんやりと姿を現したのは青年だった。ウィンタースポーツをするときに着けるような色のついたゴーグルをしていて顔はわからないが、かなり背が高くシャープな印象だ。
熊がわずかに動いたが、相手の男は小さく手で払うような動作をする。すると男の周りでパリンと割れるような音がし、きらきらと例の文様が砕けて落ちていった。熊が何かをしかけたようだが男はあっさりそれを防いだようだ。防いだ、というより砕いていたので無効にでもしたのだろうが。
何が起きているのかはわからないが、なんとなく今熊の方が劣勢で男の方が優勢なのはわかった。おそらく多少の違いではなく決定的な違いだ。何も会話がないまま何かが始まっている。
男の周囲に複雑な光の文様が現れる。それは細かくち密に重なり合い立体的な一つの図形を作り出した。それは系統樹のような、都心の路線図のような、外に向かっていくほど道筋が枝分かれしていくものだ。もしかしたら一番似ているのは人間の毛細血管の全体図かもしれない。どこにつながっているのかわからないが、かといって途切れているというわけでもなくすべてつながっているようにも見える。
―――ああ、そうか。これがこいつの作った戦略図―――
すとん、とそんな考えが思い浮かび妙に納得がいった。
この男がぽっちょのユーザーなのは間違いない。今男の周囲に広大に広がっているのはバトルの戦略だ。何かが起きても違う行動でカバーができる、完璧な道筋。一体何百パターンがあるのだろうか?これを一人で考えて作ったのだとしたらもはや正気の沙汰とは思えない。たった一戦の為にすさまじい数のシュミレートをして作り出している。普通の人間では無理だ。
そうなると最早導き出される答えは一つしかない。ぽっちょは人ではない。人工知能だ。
現在の人工知能はあらかじめ設定されたプログラムに従い様々な事を学んでいくのが一般的だ。学ぶとは過去にない事例をパターンとして記録する事。感情や性格など人間を思わせる部分はだいぶ発達したが、それらはすべて設計されたプログラムのもとで行っている。決して人工知能が自ら知性を持ち、自分で何かを作り出すということはしない。いや、できないようになっている。
そうなってしまえば人が管理できなくなるからだ。そうならないようにセーブされる設定は必ずつけられている。将棋やチェスなど人工知能が人と対戦して勝てるのは、人工知能が自分で考えているのではなくあくまで用意された選択肢の中から最善策を選んでいるに過ぎない。人の能力では100の選択しか用意できずその中からいくつかしか選ぶことができないとすれば、人工知能は1万以上の選択肢を用意しいくらでも選べるだけの事だ。
今彼の持っている戦略も自分で考えたのではないのかもしれないが、あの選択肢の多さは人では無理だ。どれだけ事前情報を集めても相手の持つスキルなどその時にならないとわからない。それらすべてを予測して取り入れようとすると必ずどこかで破綻する。それを破綻させず取り入れられるのは演算が得意な人工知能だけだ。
彼はプログラム通りに動いているだけなのだろうか。あらかじめ考えられる選択肢をすべてつなげ、最善の対応で戦っていただけなのだろうか。誰かがアンリーシュの戦いに特化した人工知能を試験的に運用しているのだろうか。
―――本当に? そうだろうか。―――
熊の周りにも複雑に光が絡み合い文様が現れる。APを包んだのとは比べ物にならないほど大きな毘沙門亀甲だが、目の前の男の物に比べればはるかに小さい。この時点で両者の実力差がはっきりしている。
男の戦略図が光る。夜空に放射状に走る稲妻のように数十か所が同時に光る。
―――1,2,3……今使った戦略だけで29パターン。何か一つしくじっても28種類のリカバリーができる。こいつが戦ったらほぼ失敗がないって事か―――
ブオン、と空気が鳴った。暗闇の中から何かが回転しながら飛んでくる。高速で回っているがそれは斧だった。確か近距離攻撃のスキルにそんなものがあった気がする。回転させて投げつけるのは初めて見たが。
熊はふわふわと浮きながら器用によけて見せたが、飛んで行った斧は途中で弧を描いて再び熊めがけて飛んでくる。その間にも斧はどんどん数が増え、避けるたびに複雑な軌道をして不規則な動きで戻ってくる。あの斧の動きも、すべて彼が作り出しているのだとしたら。
次々と斧が増えて最早肉眼で追うのは難しくなるくらい高速で飛び回っている。斧の速度も上がっていき、文字通り目にもとまらぬ速さになっていた。
時速何十キロなのかわからない速度の中、とうとう斧の一つが当たった。ただし、熊にではなくAPにだ。文様に包まれていたが斧が当たるとわずかに残っていた文様があっさりと砕け散った。うっすらとAPが眼を開け、そして驚愕の表情とともに目を見開く。それはそうだろう、突然目の前に斧が迫っているのだから。
斧が3本同時に突き刺さる。悲鳴を上げる暇もなかっただろう。そして飛び回っていた斧が大量にAPに降り注いだ。まるで強力な磁石がそこにあるかのように、面白いように一直線に斧が四方八方から飛んでくる。明らかに人ひとりに対する量ではない。不死の生命体でも倒そうとしているのかと思うほど、何本も何十本も次々と降りそそいだ。
いつの間にか熊は地面に落ちていて時折ノイズが走っている。ビクビクと痙攣し自力では起き上がれないらしい。
男は無言で熊をつまみ上げる。大量にあった斧はすべて消え、人間なんだかそうではないんだかよくわからない物体がそこに転がっていた。道路で猫が轢かれて死んでいて、車が何台も通った後のように「割と平らになっているな」という印象だ。
―――アレ、生きてんのかな―――
ぼんやりと考えていると男が熊を掴んだままステージから降りた。どこかに向かって歩いていく中、ひらひらといびつな形をした蝶が舞っている。あれは地下で見た、あの時の蝶だ。
暗闇の中へと歩いていく男を見送りながら、あの熊はどうなるんだろうと思っていると急に眠くなり目を開けてられなくなる。男が去るとステージも暗くなり、APだったモノも見えなくなり、静かに目を閉じた。
静かに目を開く。妙に首が痛いと思ったらヘッドセットをつけたまま眠っていた。手足もコンタクトパーツをつけっぱなしだ。シーナは待機モードになっている。
ヘッドセットを外そうとしたが、ふと気になることがあったのでそのままネットにつなぐ。調べるのはAPの個人情報だ。バイト先から持ち帰ったデータにはAPの個人情報がいくつかある。住所などは適当だろうが電話番号などの直接繋がる連絡先は本当に使っているものだろう。個人の体内チップを調べることは不可能だが、連絡先が分かればアドレスから様々なログインパスワードまで拾うことができる。自動解析のプログラムも走らせしばらく情報を探った結果、APの住まいと本名など突き止めることができた。住所を確認し念の為それらの内容を手書きでメモに残しておく。
それを静かに見つめた。これ以上何か行動を起こすことはしない、あとは数日待つだけだ。彼がその後店に来るのか、それとも違う形で名前を聞くのか。おそらく今考えている予想通りの事にはなると思うが。
その数日後、自宅で変死体が見つかったとニュースで流れているのを穹はバイト先のテレビで見た。未成年なので名前は出なかったが、ニュースで伝えていた情報は穹が知っている個人情報といくつか合致する。
変死の内容は「全身を強く打った状態」で見つかったというもの。バイト仲間たちが家の中で全身を強く打つって階段から落っこちたんですかね? と呑気に会話している。
ニュースで言う「全身を強く打って」、というのは原形をとどめていない、という意味だと知ったら彼らはどういうリアクションをするだろうかと考えながら穹はお先に失礼します、とバイトを上がった。
その後、APと思われる客が店に来ることも、APが公式戦に現れることもなかった。
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