登録解除不可

 憂鬱な気分でタオルケットとシーツを風呂場で洗う。シーナは洗濯機にアクセスし電源を入れておいてくれた。今家電はすべてパートナーと繋がっているので電源の起動からスタート、完了後の電源オフまでできるようになっている。


「一人暮らしって何が嫌ってゲロだろーが漏らそうが自分でなんとかしなきゃいけないとこだよなあ、漏らしたことはねえけど」

【私に介護機能をつければ簡単なシモの世話はできますが】

「それつけたら健全な19歳として何かが終わる気がするからいい」

【まあ吐いたのが明け方でよかったじゃないですか。夕べ食べたものは消化されているので胃液だけでしたね】


 確かに、盛大にえずいた割に吐き出した量は大したことなかった。ベッドの上でぶちまけたことには違いないのだが。


【その嘔吐は体調不良によるものですか、それとも夢の内容を思い出したからですか】

「後者」

【今なら吐いても問題ない場所ですのでもう一度問います。どのような夢でしたか】

「えー……人が踊り食いされてる夢?」


 げんなりしながら答えると夢の内容を思い出してしまう。腕を、足を、腹を、頭を、体のあちこちを食いちぎられていった。特に腹を食われているときなど最悪で、血だけじゃなく臓器が飛び散りながらだったのだ。腕や足だって肉のほかに骨も見えていたし、頭を半分かじられた後は頭部の断面を見るハメにあった。あのロボットも飲み込むことはせずにせっせと吐き出すものだからすべて見届けてしまった。


「夢の中じゃその様子を平然と見てたんだけど、今こうして起きて思い出すとグロイなんてもんじゃねーよ。軽くトラウマもんだ」

【しばらく肉はやめますか】

「あ、それは俺平気」


 別に自分で肉をさばくわけではないので問題ないし、穹の精神はそこまでデリケートにできていない。先ほどトラウマにでもなりそうだと言ったが、実際はたぶん大丈夫だろうと思っている。忘れられない強烈なインパクトはあったが。


【ところで叫んでいた、名前がばれているとは?】

「ああ、そうだった。夜ってやついただろ、ロボ使いの。あれが夢に出てきて俺の名前呼んだから。シーナ、一応確認するけどオンライン映像が夢として出てくることってあるのか」

【寝ている間に不正アクセスを受ければそうなる可能性はありますが、確率で言うと現実的ではありません。穹のチップに侵入された形跡はありません】


 夕べは確かにアンリーシュを完全にログアウトしてから寝た。体内チップをハッキングされたとも思えない。そもそもゲームをしながらヘッドセットをつけて寝てしまったとしても、例えハッキングされてもそんなことが起きることはない。それが成立するには相当の凄腕と奇跡に近い条件が整わないと不可能だ。

 機械のハッキングだけならハッカーは誰でもできるが、仮想空間における体内チップへのハッキングは自分と相手だけでなくサーバーや幾重にも重なった不正防止プログラムをかいくぐり、相手の精神状態が寝ている時並に静止していないといけない。

 最初のハッカーに引きずり込まれたときも本来は管理会社に通報するレベルで起きてはならない事態だ。ログインしている状態でアカウントを乗っ取られるのならまだしも、穹はログアウトしていたのだから。

 実はあんな詰めの甘い奴でも天才的だったのだろうか、とやや疑問が残るがそこを考えてもおそらく答えでない。


「まあ、今のところやるべきことはもう全力で本気出して、夜をブロックだな」

【現状できる最高レベルで、ですか】

「あんなサイコパスと呑気に殴り合いした自分が憎い。あとアンリーシュは登録解除したほうがいいかも」


 ざっと洗い終わったものを洗濯機に放り込むと自動で蓋が閉まり洗浄が始まる。一人暮らしにおいて余計なものは置いておけないので予備のタオルケットなどない。どうせもうすぐ夜明けなので二度寝せずにこのまま起きていればいいかと腹をくくって顔を洗った。

 まだ早朝という時間だがたまにはまともな朝食でも作ってみようかと残っていた野菜の切れ端などをすべてブレンダーに放り込みスイッチをオンにする。

 あの夢が結局ただの夢としての何の害もない映像なのか、それとも実際に起きたことなのかはわからない。そもそも公式であんな倫理観にひっかかるような演出できるわけないので、ただの夢だったのではないかという思いが強い。夜が穹の名を知っていたのもそういう夢だと言われればそれだけだ。

 しかし、もしも。万が一、あれが体内チップを通してログインしてしまっていて、実際起きていたことを見てしまったのだとしたら。


 あんな目にあったら穹は間違いなくショック死している。穹、という名前がばれているという事は間違いなく個人情報がすべて夜に知られている。体内チップに住所など入れていないが、どこで何を買ったなどのクレジット履歴やGPS機能などを調べられたら穹がどこの誰なのかなどすぐにわかる。

 頭の痛い問題ではあるが、別に追いつめられているわけではない。夜が頭のイカレた殺人鬼なら警察に相談するし、ネットワーク上にも警察のような組織があるので情報提供してすべてのオンライン情報の書き換えもできる。できることはまだたくさんある。

 一昔前の漫画じゃあるまいし、考えすぎ、などと思う事はできない。そんな事を考えていられるほど平和ボケした考えが持てていたらどれだけいいか。脳内で起きたことが体で再現されると分かったとき一度死にかけているのだ。


「脳内錯覚だとしても食われるとか冗談じゃねーぞ」

【穹、それは精神汚染されるという意味ですか、食事という意味ですか、性的な意味ですか】

「最後の一個いらねえだろ。最近思ったんだけどな、本当に頭が疲れてる時あの雑音聞いたり寝たりするよりも、お前とくだらないかけ合いのノリ突っ込みしてた方がすっきりするって気づいた」

【お役に立てて何よりです。ところで穹、一つ残念なお知らせがありますが聞きますか】

「聞かないわけにはいかないだろ、何」


 できあがった野菜ジュースをコップに移して飲み始めた穹に、シーナはアンリーシュのログイン画面を表示した。


【先ほどからアンリーシュの登録抹消を試みていますが原因不明の症状により拒否されます】

「ぶはっ!?」


 見事に口に入れていた飲み物を吹き出す穹にシーナは足でつまんでいたタオルを放り投げた。何も口に含んだ瞬間に言わなくてもいいだろう、というような内容に思い切りむせる。


【どうやら登録除去自体がロックされているようです。運営に通知がいかないように細工されたのでしょう】

「一応聞くけど俺だけか」

【おそらく。システムエラーの通知はありませんし運営に混乱はありません】

「絶対あいつだろ……クッソ、先手打たれた」


 またな、と言っていた。すでにあの時ロックされていたに違いない。やはりあれは夢などではないのだ。何らかの理由で、体内チップかアンリーシュのパーツかシーナ経由かわからないが強制的にログインさせられていたのだ。


「こんなことで諦めると思うなよ、絶対解除……ん?ちょっと待て、シーナ!」

【はい】

「俺の戦績どうなってる!?」


 嫌な予感がしてシーナに確認を取るとヘッドセットを急いでつける。ログインせずともプロフィールと運営からの通知、フレンド設定したユーザーからのメールなどはチェックできる。

 シーナから送られたデータがヘッドセットに表示された。


【夕べあれから20回ほど戦っていますね。ランクが2上がっています。やられましたね穹】

「ああああああ、クッソ野郎おおおお!」


 頭を抱えてその場にあおむけに倒れた。こんな短期間にランクが2上がれば相当な凄腕として話題になる。実際とんでもない数の対戦申し込みが来ていた。目立たないように適当にやるつもりなのは見抜かれているのはわかっているが、まさかこんなことまでされるとは。

 しかしそこまで考えてふと思いつきゆっくりと起き上がった。


「よく考えたら俺別にデメリットなくね?」

【はい。上がったランクは2ですから、当初の目的の程よいランクです。人数制限もありませんし。今は話題になっていてもすぐに落ち着くでしょう、アンリーシュの登録は2万人を超えていますから次の話題などすぐに出ます。このランクならまだ穹は余裕で勝てますので、穹自身がバトルをしない限りは体にダメージが再現されることもありません、夜は別として】

「サービスしておいたぜって事かな。だからやめるなってか?わけわからん」


 戦績を見れば20戦すべて連勝ではなく2割ほど負けている。おかしな勝ち方ではなくそれなりに普通にやってきたかのような結果だ。ここまで小細工してくれたのかと不満を通り越して呆れた。

 腑に落ちないし他に目的がありそうで不安になるが、今はまだ実害らしいものはない。そもそも夜の目的も不明だ。あの男と知り合いのようだったし、何か会話をしていたが理解できるものではなかった。何故穹が巻き込まれたのかはわからない。


 あの時あの二人、どんな会話をしていたか。あの時は何も疑問に感じず目の前の事を見届けているだけだったが、いろいろ気になることは言っていた気がする。

 夜の顔が浮かんだ。見覚えはない、間違いなく初めて見る顔だ。それにあの目、カラコンにしか見えないが真正面から見つめられた時光彩と瞳孔が動いていた。夜の本当の目なのだろう。だとしたら普通の目ではない。一度見たら忘れられないあの目。

 またな、と言っていた。また会うのが決定事項である事というのが本当に気にくわない。とりあえずできる限りのセキュリティ設定変更を行った、特に体内チップの方だ。正直アンリーシュの設定はどうでもいい、こっちはハッキングされようが何されようがゲームをしなければいい話だ。


「ついでにヘッドセットも設定変えておくか」

【光効果に過敏に反応していたようですし、互換性を変えましょう。あとは穹、これは提案です】

「ん?」

【当初の目的でもあった、多少の金銭を稼ぐ活動をしてヘッドセットを新調するか機能追加の検討を。今の機能では昨日の二人のようなレベルのハッカー相手には不十分です】


 確かにシーナのいう事は事実だ、穹もそう感じていた。ヘッドセットはオンライン活動でもっとも重要なパーツのため、安かろう悪かろうの世界だ。金をかければかけるほどそれに見合った性能となっていく。

 定職に就かず一人暮らしの穹が自由に使える金などたかが知れているが、工夫をしてそれなりに良い機能で使っているとは思っていた。ただしそれは一般的な生活の中での話だ。情報処理がコンマ1秒で何百という演算をするゲームの世界では、ICチップ一つの差で人生さえ決まるなどと言われることもあるくらいだ。


「そうだな。ジャンクパーツから探すのも限界だし、そろそろ新しいの考えるか」

【ラインナップを検索しますが、どのような物を探しますか?】

「いろいろつけたいものはあるけど全部つけるわけにもいかねーから、そうだな。互換性機能を細かく調整できる機能は欲しい」

【よりリアルに、ではなく適度に精度を落とせるということですか】

「ああ。光効果もそうだけどやけに生々しく感じる映像見ちまったからな。そんなん試合中にやられたらマジで俺の体がSMクラブに行ったみたいになりそうだから。かといって完全に互換鈍らせると違う障害が出てくるから、もう自分でいじる」

【了解。その機能とヘッドセットそのものを検索しておきます】


 シーナは穹の月収や貯蓄状態を把握しているので指示をしなくても予算を組んで検索してくれる。


【ついでにSMクラブも検索しておきましょうか】

「全ッ然必要ないよなそれ、何のためにだよ」

【予行練習しておけば痛みに慣れたり気持ちよくなったりするかもしれませんよ。リアルに戻っても痛みが減るかもしれません】

「ねえよ。それ脳内でそう錯覚するってだけで体に傷が残ることには変わりねえだろ。そっか、そう考えると俺の体質も別に変なことじゃねえんだな。脳がそう判断するっつーだけで」

【そうですね。意外にSMクラブの話題が役立ちました】


 言った張本人であるシーナが一番驚いているようだった。今、絶対必要ないことを学習させた気がする、と遠い目になる。穹自身が割と合理的な考え方をするのでシーナは余計な会話というのをしないのだが、そこは人工知能らしく新たなことを学習するとそれをきちんと搭載して今後に生かそうとする。


「二度とあんなのと遭遇してたまるか。俺がバトルしなけりゃ痛みは感じないから問題ない」

【了解】


 シーナが検索した互換性機能関連の商品をざっと見たがやはり値が張る物が多い。今ある貯蓄で買えなくもないが少し稼いでおいた方がよさそうかな、という印象だ。

 一番簡単なのは転売、オークションだ。何か面白い機能のついたスキルを作り、それを低ランクのユーザーに売ることだ。高ランクは自分でスキルを作れる者が多いだろうが、低ランクは自分では作れないようなプログラミングに疎い者か、子供が多い。自分の努力で稼ぐことを知らず親の金があって当たり前という環境で育っている「子供」というのはハッカーにとって格好のターゲットだった。親のカードをばれないように好きに使っている子供は多い。そういうずる賢さというのは子供の方がよく思いつくものだ。だからこそ事の重大さなどわからないまま馬鹿をやって財産を破滅に追い込みやすいのだが。


 捕まらない程度に詐欺ぎりぎりの稼ぎは穹もやったことがある。払えなくない微妙に高い程度の金額だと十中八九支払いがあるとわかり一時期稼いだものだ。穹の場合はあくまで必要なものを手に入れるまで、と自分で制限しているので永遠に稼ぎ続けようとはしない。あの時も目標金額に達成したのでやめた。そういった行為にスリルを求め続ける者もいるようだが、穹は完全に割り切って考えているので必要以上に干渉はしないスタイルでいる。

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