よこせ

 現実世界に戻ってヘッドセットを取りながらため息をついた。


【災難でしたね。まさか2連続でハッカーと会うとは】

「だな……」


 そう、弱そうな相手を選んだつもりで相手も弱いふりをしたハッカーだったのだ。でなければあの妙な行動に説明がつかない。追加効果があったとしても攻防ターンが継続するなどルール上不可能なので何かいじっていたのだろう。どうやら今回の相手は穹と考えていることは同じだったらしい。

 手首に着けたパーツを取りながら、先ほど痛みを感じたところをみれば見事にかまれた跡がついていた。脳直結型ゲームが開発されてからたびたび問題になっているのが、脳内錯覚が現実のものとして体に症状が現れる人がいることだった。たとえ仮想空間で殴られても痛いと感じるがそれは脳の錯覚だ。現実に戻れば殴られた痕もなければ痛みもない。


 しかし中にはそれが現実に起きたことなのだと脳が錯覚したまま現実に戻り体がその症状を再現してしまう人がいることがわかってきた。それはかなり低い確率だが確実に存在し、何度もニュースになり問題となってきた。そこでヘッドセットが開発され、脳内錯覚をコントロールしながら互換性をコントロールしているのだ。ヘッドセットはよりリアルな体感ができると同時に、これは現実ではないのだと脳に戒めをする正反対の機能を持っている。

 穹は何度かそういった経験がありどうやらその類の体質らしいとわかってからヘッドセットなどの互換性機能を調整する機材はかなり慎重に選んでいる。正直これに金をつぎ込んでいるから常に金欠なのだが。


「シーナに攻撃して俺にダメージくるとかどういう仕組みだよ」


 ゲームの中にはダメージを受けると軽い痛みを体感できるものもあるようだが、アンリーシュはありえない。運営が徹底して痛みを再現しないよう設計しており、万が一痛みが起きたら無償で診察や治療を行うなどサポート体制を万全にしている。


【私のダメージを見て自分のダメージと思い込んだわけではないでしょうから、そう錯覚させられたとなると体内チップに直接ハッキングされたのでは】

「はあああ!?」

【先ほどそう思い調べていますが侵入された形跡はありません、詳細は不明です】

「あ、そう……とりあえずよかった」


 ほっと気が抜けてかまれて赤くなった場所を擦る。かまれた程度で済んだから良かったが、不可解なことも多かった。ハッカー相手にまともな試合など期待できないが、何故試合が終わった後でわざわざ噛みに来たのだろうか。突然動きが止まってターンを譲ったようだし試合を放棄したようにも見えた。


「変な連中多いな、アンリーシュ。わかってたけどさ」

【正攻法として運営に報告するのもありですよ】

「あー、それな。ま、考えとくわ。今はいい」


 ハッカーそのものが嫌われているのであまり深くは関わりたくないというのが本音だ。穹も不正行為を一度もしたことがないというわけでもない。経歴は都度消しているがスーパーコンピューター並の演算能力をもったシステムも導入されているという噂もあるのでどこまで自分の腕が通じるかわからない。


「さっきの対戦者、名前なんだっけ」

【夜、です。穹と夜なんてなんだか運命的ですね】

「やめろ、同じこと思ったから。二度とかち合わないようにしとこ」


 その後警戒しながら公式フリー対戦をいくつかこなしたが、あれからハッカーらしいプレイヤーには当たらなかった。たまたま運が悪かった、と思うしかない。

 戦って勝つとポイントがたまり、アンリーシュ内だけで使える通貨として利用できる。別にスキルなど自分で作ればいいのだが、ポイントを使わずため続けるのも不自然なのでいくつか使えそうなパーツを買い、ひとまず最低ランクから次のランクまでは上がった。

 アンリーシュは実力別にランクがあり、上に行けば行くほど特典も多く利用できるサービスも多い。ただし上のランクになればなるほど人数制限があり、公式戦で勝ったものがそのランクをもらえることになっている。上のランクは憧れの的だ。公式戦も運営が力を入れて開催するのでちょっとした祭り騒ぎのようになる。

 穹が見ようとしていた対戦はランク決めの公式大会ではないが、二人とも上から3番目の同じランクだった。その勝敗が次の公式戦につながるので異様な盛り上がりだったのだ。

 一応自己分析をしてみると穹の本来持っている実力ではもう4ランクほど上には行ける。ただしそこに行くと人数制限のあるランクとなり、ここに来るものは勝つことに執着しゲーム廃人のような奴かハッカーが多くなるのでそこに上がるつもりはなかった。


【穹、今日は早めに休んでください。脳を使いすぎです】

「そういえばチップ使って動かしたんだった。そうだな、もうやめるか」


 肉体の疲労と違い脳の疲労は自覚症状がない。パートナーは簡単な体調管理ができるがチップとリンクしているので特に脳に関する管理は徹底する。特に穹は脳の錯覚が肉体で再現されやすい体質だ、脳と肉体両方にダメージがあると回復に時間がかかることもある。風呂入ってさっさと寝よう、とオンラインをオフにした。





 目を開くとそこはアンリーシュのバトルフィールドだった。しかしプレイヤーは自分ではない、誰かと誰かの試合を観戦している状態だ。

 片方は若い男だ、プレイヤー自身だろうか。もう片方はあのロボットだった。という事は、プレイヤーは夜だろう。ロボの後ろに人が立っているので彼がそうだ。彼、そう、後ろに立っていたのは男だった。年は穹と同じくらいだろう。オンライン上の姿などすべて作ったものだが、両方ともリアルの人の姿をしていた。仮想空間用のどこかアニメのような見た目の姿ではない、リアルの姿だとわかる。


 何故、アンリーシュはリアルの姿など登録しないはずなのに。


 一人しかいない方は敵意むき出しで相手を睨んでいる。夜は前髪が少し長いせいで目が隠れていて表情はわからない。それでも口元が緩く笑っているように見えるので相手と違って敵意はないようだ。


「無様」


 夜が一言そういうと相手はギリっと歯ぎしりをする。その様子を見て夜はますます笑う。


「何その状態。可哀そうにな」

「……るさい、うるさい!」

「うまくやってるつもりで全然ダメとか、可哀そう」

「黙れよ!」

「そのままじゃ捕まるだろ、カワイソウに。助けてやるよ。じゃ、そういうことで」


 そういうことで、のあたりの声色が低くなりぞわりと背筋に寒いものが走る。ここはアンリーシュだ、それなら夜が何をしようとしているのか想像はつく。しかし声は出ず一歩も動くことはできない。ただ見ているしかない。

 ロボットがカタカタと前に歩きだす。口をパカパカと開閉し、今から噛みつこうとしているのがわかる。ゲームをやっていた時はシュールに映ったが、何故だろうか。今はとてもその光景が恐ろしいものに見えるのは。

 采のいない中、バトルが始まる。先行は夜ではなく相手の方だった。攻撃表示など一切ない、入力も音声認識指示も何もないのに次々と何かの効果が発動されているらしく、彼の前に巨大な銃が現れた。これだけの武器を出すには通常2ターン必要なのだが一瞬のモーションで出して見せた。スキルをいじっているのだろうか。


「便利だよな、アンリーシュって。俺たちの望みがそのまま形になって」


 目の前の武器が発動されればあんなロボット吹き飛んでしまうだろうに、夜は余裕の態度だ。独り言なのか問いかけなのかわからない言葉をつぶやく。相手は特に返事も相槌もないが夜は気にした様子もない。


「まあ、だからこそ、なあ?」


 夜のその言葉が合図であったかのように相手は銃を発射させる。それはマシンガンだったようで大量の銃弾が夜に向かって解き放たれた。爆音と打ち続けるエフェクトのせいでまともに見ていられない。あまりの音に思わず耳をふさぎ……動けなかったのに耳はふせげるのかと妙に冷静に考えながら、過剰に演出される発砲の光演出に眩しさから顔をしかめる。今ロボットと夜がどうなっているのかわからないが、あのロボットのライフなら5回以上は死んでいる攻撃力だ。オーバーキルともいえるその攻撃にふと穹は思う。

 この必要以上の攻撃、無理やりログインさせられた方のハッカーにやり口が似ている。そういえば先ほどこの男がしゃべっているときの声、どこかで聞いたような気がしたが夢で聞いた。

 使いやすいなら、俺にくれと言っていたあいつだ。穹が対峙したハッカーとハッカーが戦っているということか。

 たっぷり数十秒弾丸を撃ち続けてようやく攻撃が止まった。ご丁寧に煙が辺りを包む演出までしている。夜とロボットの姿は見えないが普通ならやられているはずだ。しかし穹はそんな考えにはならなかった。夜はきっと、無傷だ。そんな気がした。

 煙がすっと消え、そこにはやはり。


「なんで、なんでだよ!」


 動揺した男の声が辺りに響く。夜もロボットも無傷だ。防御した様子などなかったのに。


「え、何? 今のまさか全力だった?」


 馬鹿にした様子はなく、素朴な疑問といった感じで夜が尋ねる。その言葉に相手は一気に怒りをあらわにした。


「てめええ!」

「あーそっか。お前その程度だったのか。もっと」


 ガシガシ頭をかいた夜はぴたりと動きを止め、そのまま前髪をかき上げた。右目だけあらわになり、穹は初めて夜の顔を確認できた。男なのか女なのかわからない中性的な顔だ、ただ一つ違和感があるとすれば目の色が黒ではなく。


「もっとマシかと思ってたけどゴミ屑か」


 瞳の色が銀色だ。まるでディスクの裏側のように、普通ではありえない光彩をしている。人というよりも人工物のような印象だった。

 その眼にははっきりと嫌悪が浮かんでいた。期待していたのにそうでもなかった、がっかりした、なんてそんなものではない。完全に興味をなくしたようなひどく冷めた目だった。

 男が何かを叫ぼうとする前にロボットが突然ガクリと揺れ、消えた。え、と思った時にはすでに男の眼前に急接近している。動く、というエフェクトはなかった。突然その場に現れたのだ。


「ひ!?」


 男も驚愕し下がろうとしたが遅かった。パカリと大きく開いた口が男に迫り、慌てて顔をかばうように腕で防ごうとする。その腕にパクリとかみついた次の瞬間。

 肉の引きちぎれる音がし、あたりに鮮血が噴き出た。


「ぎゃああああああああああ!!?」


 男が悲鳴を上げた。見れば噛みつかれた箇所はロボットに食いちぎられていて肘から先がなくなっている。男はのたうち回り、血だまりの中を転げまわっている。

 ロボットはぐちゃぐちゃと腕を噛んでいたが、やがて飽きたかのようにペっと腕を吐き出した。原形をとどめていない腕が男の目の前に投げ出され、それを見た男がさらに悲鳴を上げる。

 ロボットが近づいてくると次は男の足に噛みつく。痛みで悲鳴を上げてロボットを蹴飛ばそうとするが血で滑って上手くいかない。

 男の周りに大量の武器が現れ、ロボットに向かって攻撃をしかけるがロボットは何もないかのように平然としている。


「やめろやめろやめろおおお! 痛い痛い痛い痛いいたいいたいいたい」


 叫んでいる間も足はどんどん短くなっていく。噛んでちぎっては吐き捨て、そうやってどんどん足の付け根に近づいていく。


「ああああああ!」


 痛みにもがき苦しむ男をまるっきり無視し、夜は静かにその光景を眺めている。嗤うでも憐れむでもなく、ひたすら眺めているだけだ。

 そうやっている間にあちこちかみ砕かれ、随分と「小さくなった」男は悲鳴すら上げることができなくなったようで荒い息を繰り返している。普通なら死んでいるがここは仮想空間だ、頭がなくなろうが心臓が貫かれようが死ぬことはない。だから男も、顔面が半分ないが生きている。痛みはすべて錯覚なのだから。


「そうだな、錯覚だけど。俺たちみたいなのは、実際死ぬと思わないか」


 突然そう言われ穹はぎくりと体をこわばらせた。今考えていることに相槌をうたれたとしか思えないようなタイミングと内容だ。二人があまりにも穹を無視するので見えていないのかとさえ思ったがそうではなかったらしい。

 男は、そんな夜の言葉に混乱したらしい。きょろきょろと辺りを見渡していたが、ようやく思い立ったように目を見開いた。


「あ……まざが……誰か……いるのが……?」


 血が喉にたまって上手くしゃべれないのか、発音が怪しい状態になっている。穹と男の距離はそれほど遠くない、目視で確認できる。それでも見えないという事は夜しか気づいていなかったようだ。


「誰……でぉ、いい。よごぜ、俺によごぜ……!」


 手足がない体で必死に動かそうともがいている姿は憐れでもあり無様でもある。凄惨な光景だというのに、なぜか穹も男がつまらない存在に思えた。


「何言ってんのお前」


 先ほどまでしゃべれなかったのに自然と声が出た。思わずそう言ってしまえば、男はぎょろりとした目を見開く。


「ぞの、ごえ。お、まえ……あのどぎの」


 対戦した。穹の声も聴いている。やはりこの男はあの時戦った相手だ。

 くく、と夜が笑う。楽しそうに肩を震わせている。


「はは、何。こいつにも負けたんだ?こんな状態のこいつに。本当、どうしようもねえなあお前」


 ロボットが近づく。男は恐怖に凍り付いた顔をして逃げようともがくが動かせる手足はもうない。その場でのたうっているだけだ。

 男の目に涙が溢れ、必死に叫ぶ。助けを求めるように、穹を見下すように、わけのわからない感情に押し流されるように。


「よごぜ、よごぜえええ!お前の!」

「ウゼエしキモイ、消えろ」


 夜があの時の穹と同じセリフを言う。あ、と思った時にはロボットが大きく口を開けて男の首にかみついた。

 ゴキ、という音とブチブチ、という音。やけにはっきりとした生々しい音が響く。悲鳴はあっただろうか? 頭全体にノイズがかかったようにあまり現実味を帯びていない感覚がしめていてよくわからない。

 いや、現実味も何もここは現実ではないのだ。それでも、もし自分があんな目にあったら現実ではどんなケガの再現が行われるのだろうかと思ってしまう。

 はっとして見れば夜がいない。ロボットもいない。瞬きをし、眼を開いた瞬間目の前に夜の顔があった。鼻がくっつきそうなほど近く、吐息まで感じてしまいそうだ。目を細め、獣を連想させる細い瞳孔がはっきりと穹を捕らえる。


「またな、穹」


 カリ、と鼻の頭を噛まれる。痛みはない、子猫がじゃれつくように甘噛みされたような感じだ。それをやけに冷めた感情で受け取り、意識がすっと遠のいていく。




「名前ばれてんじゃねえか!」


 自分の怒鳴り声に驚いてビクっと体が震えて飛び起きた。一瞬何が起きたのか理解できず辺りを見渡せばそこは自分の部屋だ。辺りは暗くまだ夜明け前だと分かる。


【目覚ましで起きるのならわかりますが自分の声で起きる人は初めて見ました】


 しっぽのコンセントから充電しながら待機していたシーナが部屋の隅から話しかける。


「俺も初めて経験した。また夢見た、最悪だ。何あいつ」

【まずは具体的に夢の内容をお願いします】


 具体的に。その言葉に具体的に思い出そうとして、実際具体的に思い出して。真っ赤なものとか飛び散ったものとかピンク色の生々しいものとかをいろいろと思い出してしまって。ああやばいとは思ったがせりあがってくるものを戻すことなどできず、穹はその場に嘔吐したのだった。

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