第20話 姉妹喧嘩。
姉が家にいる。その事実が、心を温かくする。やたら広い家に、必要なピースが帰って来た。失くしていたものを見つけたような安心感が胸の中に広がった。
「そういえばさ、姉さん」
「なぁに?」
「姉さんのプロット、正しく解釈できてたのかな、私達」
姉さんに依存気味になっていた先輩に、目覚めて欲しいという思いを込めていた。と、私は解釈し、先輩もそれに乗った。
それが正しかったのか、姉さんが目覚めたら聞いてみようと私は思っていた。
姉さんは「んー」と、顎に指を当てる。
「しばらく前に書いたからあんまり覚えてないけど……正直に言って良い?」
「い、良いよ」
え、なにそれ、なにその怖い前振り。
「実を言うとね」
「うん」
「渚が言うほど深いこと、考えてなかった」
「えっ」
「あんなプロットからあそこまで広げられるんだって正直驚いてた」
あっけらかんとカラカラと笑いながら姉さんは階段を上がっていく。
「えっ、うそ、ちがうの?」
「違うかと言われたら、多分無意識の内に考えていたかもしれないけど、別に考えてなかったよ。って感じ」
「えー、どういうこと?」
「自分でもよくわかってないってこと。気づいたらそんな風に書いてた」
「えーそんなー」
「物語のテーマ性なんて、そんなもので良いんだよ。テーマに走り過ぎて派手に爆散した話だってあるんだから。テーマは考えればなんとなく感じられるもの、くらいが丁度良いんだよ」
なんて言って、姉さんは着替えるために部屋に入っていった。
……つまり、無意識では先輩のことを心配していて、そして、好きってことじゃん。無意識下で思うほど相手のことを好いているってことじゃないの? 姉さん。
「先輩、か」
部屋に入って制服を脱ぎ捨ててベッドに身を投げ出した。
まさか、先輩の方から呼び戻しに来るとは。
先輩の言う通りだった。私は寂しがり屋で、姉さんが起きるのを一人で待つ勇気なんて無かった。一人の家が、とにかく広くて寒かった。
だから、姉さんが帰ってくるためなら何でもしよう、そう決めていて。帰ってきた後も困らないように、姉さんを忘れない人を一人でもと、先輩と出会ってからは先輩が姉さんを忘れてしまわないように頑張って。そして、姉さんが目覚めてくれて。
そうなれば後は終わり。そう、今日終わった筈だったのに。
「……嬉しかったな」
思わず零した言葉に自分で頷いた。正直、嬉しかった。姉さんの気持ちは何となく察していた。それを叶えたいと思った。でも同時に、寂しいと思った。
先輩の言う通りだ、私は、寂しがり屋だ。
「……どうしよ、これから」
胸の奥が疼いている。疼きが、熱を生み出す。この熱は、何だろう。何かを求めている熱だ。切ない熱だ。手を伸ばしても届かない。だけどそれでも手を伸ばし続ける、そんな熱だ。その熱が、私を突き動かす。
バネ仕掛けのように身体を起こし、私は。
「姉さん!」
「う、うわ、何」
着替えている途中だった姉さんに詰め寄る。驚いたように後退る姉さんを、そのままベッドに押し倒して腕を突いて逃げ道を塞いで。
「姉さん!」
「な、なに。どうしたの?」
「姉さんは、先輩のこと、好きなんだよね」
「えっ?」
「どうなの? すきなの?」
「えっ、その……急にどうしたの?」
「答えて! 人と人の関係は信用できないとか、またよくわからないこと言って逃げようとしても無駄なんだから。恋がわからないなんて、今更言わせないんだから!」
とぼけた顔をする姉さんは可愛いけど、その表情で何人の男を落としたのか知らないけど。私は誤魔化されない。
「えっと……」
「私は好き」
「えっ?」
とぼけようとする姉さんに、私ははっきりと告げる。迷いなんかない。
「先輩のことが好き。なんだかんだ、面倒見てくれるところ。やると決めたらとことん徹底的にやるところ。そのためだったら寝る時間も惜しまないところ。言動は捻くれているけど根は真っ直ぐで熱いところとか」
「渚?」
何しているんだろうか、私は。とぼける気ならとぼけさせておけば良いものを、何で火をつけるようなことをしているんだろうか。でも。
それでも私は。この姉に宣言したい。ちゃんと、宣戦布告って奴をしたいんだ。
「私は、先輩のそういうところが好きで、大好きで! あと、顔も結構好みで。そういう先輩の、傍にいたい!」
もう誤魔化すのやめた。潔く身を引くのもやめだ。何がグッドエンドだ。私にとってのグッドエンドに路線変更してやる。だって、先輩本人が「傍にいろ」って言ったんだ、その言葉の責任、取らせてやる。
そしてこの姉にも、ずっと憧れていた姉に、正面からぶつかるんだ。
「姉さんはどうなの? ぼやぼやしてるなら、明日には私の彼氏にしちゃうんだから」
とぼけた顔が呆けた顔に変わって、それが少しずつ、引き締められ、そして、目はするどく、唇は引き締められ、いつもは軽く緩んでいる頬も締まった物になる。
「……好きだよ。修君のことは」
「ふっ、やっと認めた」
「渚にも、渡したくない。今日だって、修君を送り出したこと、少しだけ後悔してる」
「姉さんが妹をハブろうとしてることを暴露された妹の気持ちを四百字以内で答えろ」
「恋敵同士の女は怖いよ」
「知ってる」
流れる沈黙。稼働したばかりの暖房の音がやけに大きく聞こえた。軋むベッド、姉さんが居心地悪そうに少し身じろぎした音。
肌荒れを知らない白い肌は顔だけではない。滑らかさを保った透けるような白さ。思わずゴクリと喉を鳴らした。
「ねぇ、渚」
「なに?」
「私達、争うの?」
「姉さんが身を引かないなら。身を引こうとした私を引き留めるようにそそのかしたのは姉さんだから、後悔してももう遅いよ」
「そう。初恋が妹と争うことになるなんてね」
「初恋って上手くいかないのが相場らしいよ」
「そう」
気だるげに、姉さんは枕に頭を埋めた。天真爛漫な外行き用の顔と、そんな自分を冷めた目で見つめる顔。姉さんの二種類の顔。今はその後者が出ているとすぐにわかった。
「でも、負けないよ。渚。覚悟決めた?」
「もう決まってる。姉さんは蹴落とす」
「そう……姉より育ちやがって」
刹那の後。姉の手は私の胸元にある丘を鷲掴みにしていた。
「育ちやがって。これで修君を誘惑するんだ。押し付けるんだ、肩に乗せるんだ。何なら頭に乗せるんだ」
「そ、そんな大きくないから、これ、平均くらいだから」
「私は平均以下と言う気か」
「実際そうでしょうがー! ほぼぺったんこー!」
初めての姉妹喧嘩は、お互い下着姿での取っ組み合いだった。姉と掴み合いできる日が来るとは、あの小説を書いてよかったと正直思っている。どこか達観したような、諦観したような姉が、こんな風に感情むき出しにしてくれるなんて、恋はしていてもよくわからないものだけど、偉大だと思う。
きっとこれからも姉妹喧嘩するだろうし、先輩と変な言い合いもする。でも、それがきっと、人と関わることなんだ。傷つけあうし、温め合うんだ。温もりも痛みも、愛おしいんだ。
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