第16話 祈る。

 「おにぃ、ご飯食べながらノート読むの、やめよ?」


 まずは美鳥がどういう展開にしたかったのか、それを考えなければならない。

 結末は恐らく、目覚めると定めても良いだろう。問題は、どのように目覚めるかだ。



「……望みを思い出せ」


 少女はそう言われてる。

 望み。少女は何を望んでいる。それが、夢を破る何かになるのか。


「ねぇ、おにぃ」


 目覚めなければ叶えられないが、少女はどんどん夢の深みにはまった。夢の中で眠りにつき、また別の夢を見ている。そして最後には、思いを寄せていた男との出会いの場に辿り着く。

 夢の中では紛いもので、しかしながら目覚めなければ本当に叶わない。


「おにぃ! ……おにいちゃん……」

「どうした茉子」


 顔を上げた。茉子がうるうるとした目をして見上げてる。


「おにいちゃん、まこのごはん、おいしくない?」

「そそ、そんなことない。美味しいぞ」


 そう言うと、クイっと首を傾げてにこっと笑みを作って。


「じゃあ、まこのごはん、しんけんにたべてほしいな」

「あ、あぁ。悪い」


 いそいそとノートを閉じて横に置いて、スプーンを持ち直した。それを確認して、スンと澄ました顔に戻って。


「本当だよ。あたしの作ったご飯はしっかり味わって食べてよね」

「情緒がこえーよ。幼児退行してからいきなり戻るな」

「おにぃが悪いんだからね。そんなおにぃも可愛いけどさ……おにぃがそうなるのも、久しぶりだね」

「そうか?」

「うん」


 夕飯のシチューはジャガイモが程よくほくほくで、噛めば口の中で解れるように崩れた。鶏肉も柔らかい。パサパサとしたところが全くない。


「贅沢にモモ肉使ったんだよ」

「なるほどなぁ」

「ね? 片手間で食べてたら後悔するよ、おにぃ」

「そうだな」


 茉子は、大事な妹だ。俺を見捨てず、傍にいてくれた。大切な妹。今は、そう思える。どうしてだろうか、書くと決心してから、なんか、素直にそう思えた。


「……そうか」


 俺は一つ、描くべきこと見つけ出した気がする。


 


 やる気はあっても、描きたいものを見つけても、書けるかどうかは別問題。そんなこと、何度も感じて来たことだ。


「……はぁ、くそっ」


 物語に入り込めない。どうしても冷静過ぎる自分がいる。書こうとしても上辺だけの、シーンをなぞるだけの言葉しか出てこないのだ。

 直前までの渚の文章。魂が込められた血の滲むような言葉との温度差が激しすぎるのだ。 

 書く人間が変われば、同じものを書くとしても雰囲気は多少変わるものだが、物語における温度は重要だ。テンポが悪く淡々とした文章は、渚からの温度を引き継げない。


「すぅ、はぁ」


 浮かんで来い。今書けなくてどうする。叱咤し、背中を蹴飛ばし、無理矢理捻り出そうとしても、頭の中には一文たりとも浮かばず、白い画面は相変わらず眩しくて、ただ無為に時間が過ぎていく。


「くそっ」


 描きたいことは見えているんだ。後はそれを、物語に繋げるだけなんだ。


「おにぃ?」

「ん?」

「夜食、おにぎりだけど、食べる?」

「……あぁ、ありがとう」


 気がつくと頭を抱えていて、部屋の入り口から茉子が心配そうに覗いていた。心配してくれているのは気のせいではないようで、茉子はおにぎりの乗った皿をテーブルに置くと、部屋を出ずにベッドに腰をおろした。

「どうした?」

「それはこっちの台詞だよ、おにぃ。おにぃが頭抱えるほど悩むなんて珍しいじゃん」

「そうだった、かな?」

「そうだよ。……あたし、おにぃ程頭良くは無いけど、話くらいは聞けるよ」


 茉子が本気で心配してくれているのはわかった。伊達に何年も一緒にいない。茉子が友達よりも家事を優先し、告白されても全部断っていることも知っている。大事にしてくれている乃はこれまで何年もかけて何度も証明されている。だから、わかっている。


「ありがとう。茉子」


 だからこそ、こう言われて何も相談しないのは、逆に不誠実な気がして。参考になる意見を聞けるかどうかなんてことをすっ飛ばして、俺は茉子に、これまでのこと、美鳥のこと、美鳥に何があったか、渚との出会い、交流、そして、リレー小説に至るまで、全部話した。


「そっか……おにぃも大変だね」

「あぁ、大変だよ」

「でも、よかった」

「え?」

「おにぃはもう、あたしがいなくても一人じゃない。それでもあたしはおにぃと一緒にいたいけど、あとはもう、あたしの我がままの領域だ。えへへ」

「なんだよ急に」

「あの二人が出て行った直後のおにぃは、結構酷かったからなぁ」


 茉子は、両親のことを親として見ていない、本人たちの前ではそんな態度見せないが、それでも内心、敵視している。


「あれ、前も言ったけ? 死んだ目してたって」

「言ってたな……でも、自分でもそう思うよ」


 確かにあの時、俺はそこそこショックだった。

 全教科満点。中学一年の時に受けた全てのテストで俺が残した結果だ。

 最初の中間試験の時は良かった。喜んだ両親は俺を難関高校・大学受験向けの名門進学塾にいれた。その手の塾には定期的に全国にある同じ塾の生徒と競い合う試験がある。

 そこでも俺は全教科満点を取った。勿論一位だ。

 全国の中学生で競い合う模試があった。満点だ。

 一年の冬。三年生に混じって同じ試験を受けた。満点だった。この時には既に、俺に向けられる親の目はおかしかった。何か不気味なものを見る目だった。

 その結果を受け、親は塾をやめさせた。そしてその日、親は荷物をまとめて家を出た。


「お前みたいな子を産んだ覚えはない」


 喜んだじゃないか、俺が満点を取ったら。


「化け物」


 扉が閉まる直前に投げかけられた言葉。

 実の親ですら、これだ。

 人と人が、わかりあえるわけがないじゃないか。

 子どもに生き方を示すという親の役割。それを、俺が理解できないという理由で放棄したんだ、俺の親は。自分で考え、自分でこなす日々。残ってくれた茉子が、隣にいてくれた。


「おにぃ、怖がらないでよ。おにぃはきっと大丈夫。あたしのおにぃは、凄いんだから」


 『天才』とか『神童』とか散々言われてきた。でも。今この時、妹から言われた『凄い』が、一番胸を熱くする、火を灯してくれる。


「そうだな。お前の兄は凄いんだ」


 寄り添ってくれる人がいる。引っ張って立たせてくれる人がいる。だから俺は、もう一度、立ち向かえる。

 そっか、怖がっていたんだ。もう一度物語と向き合うことを。一度逃げ出したことに、もう一度立ち向かうことを、俺は怖がっていたんだ。だから上から、安全圏からしか見ることができなくなっていたんだ。




 怖がるな。向き合え。俺はどうして小説を書き始めた。

 澄んでいた、満天の冬の星空を眺めているような気分だ。

 俺は何で、小説を書いていた。純粋に、もっと純粋に。

 茉子が思い出させてくれた。

 あぁ、そっか。

 キーボードに手を置いた。

 目を閉じて、開いた。

 俺は……ただ、祈った。

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