第15話 負けず嫌い。
「うわ、先輩。いつにもまして死にそうな顔してますね」
朝、俺は言われた通り時間通りに駅前に向かった。五分前に着いたのだが、渚はちゃんと待っていた。ここ最近見えていた体調の悪さは、しっかり寝たようで、もう無い。
「ほんと、ゾンビみたいです」
「別に。そうでも無いだろ」
きっちり色々キメて来たからきつくはない。今日家に帰ったら死んだように眠るだ
けだ。
「寝不足ですか?」
「そんなところだ」
「書いてたんですか?」
「書いてたかと言われれば書いてたで正しい」
「スッキリしない言い方ですね。何を書いてたんですか?」
「これだよ」
鞄からクリアファイル。そこにはB5サイズの紙にびっしりと書き込まれた文字が見えるだろう。
「……これ、私の」
「全部データ化したんだよ。手作業でやったから時間がかかってな。本当に朝までかかるとは。お前の家、パソコン無いのか?」
「ありますけど……手書きの方が慣れてるというか、はい」
「とりあえず。わざわざ直接呼び出した理由は?」
「お話ししましょうよ、先輩」
「お話って?」
「その小説を完成させるためのお話です」
「あぁ……」
話をするだけならばと、俺はまさにこの間行った喫茶店に足を向けようとしたが、渚はぐいと手を引く。
「こっちです。この話をするのに良い場所があります」
「えっ、おう」
渚に手を引かれ向かった先。駅前の賑わいから離れ、店はヘリ、人の通りも減り、住宅街へ、この時点で、余程鈍くない限りはどこに連れて行かれるのか察しも付くだろう。
「……おい」
「私の家です。姉の家でもあります」
普通の一軒家だ。何の変哲もない。街の風景の一部だ。
「さぁ、入ってくださいな。味玉ありますよ」
「まだそのネタ覚えていたのか」
「本当にあるんですけどね。今日は最初から先輩連れてくる気だったので、昨日の夜に作りました」
「あぁ、そう」
渚に続いて入ろうとして足を止めて。
「どうしたんです?」
迷う。入って良いのか、俺は。
「親御さんは?」
「仕事ですね。夜には帰ってくるとは思いますよ。なので二人きりです」
渚の……美鳥の両親とは、一度だけ会ったことはある。だって俺が、美鳥が倒れた時一緒にいたのだから。
良い人達だった。実の娘が目覚めない。その時一番傍にいた人物である俺を、むしろちゃんと応急処置をしてくれた良い人として責めるどころか感謝の言葉までもらったんだ。
顔を上げた。渚の短い髪が、風に揺れた。猫のような切れ長の目が、ゆっくりと細まる。
「意識しちゃいますか? 姉さんと顔はそれなりに似ている私のこと」
「俺と美鳥は、そんなんじゃない」
「なら、入ってください」
「……わかったよ」
木の匂いがした。埃一つ落ちていない床、よく整頓された物の少ないリビング。入ってすぐ左の扉がリビングに繋がっていて。
「あ、そこの椅子に座ってください」
その言葉に従うと、すぐにマグカップとティーポット。それと、お椀に盛られた味玉が四つ。
「とりあえずおやつです」
「……いただきます」
まぁ、気になってたし……って、これは! 口の中に広がるのは旨味だ。鼻を抜けるのは芳醇な香ばしさ。
「ふふっ、どうですどうです?」
「悔しいが、美味い」
「気に入っていただけたようで何よりですよ」
渚はどやぁ、と唇を吊り上げる。
味玉の入っていたお椀を片付け戻って来た渚の手には、クッキーの並んだ皿があった。
「さて、お話ししましょうか、先輩」
ティーカップに紅茶が注がれ、テーブルに俺が昨日打ち込んだ原稿が置かれる。
「先輩は、これを読んでどう思いましたか」
「……普通に物語になっていた。正直、あのわけのわからない暗号を書いていた奴とは思えない。正直どうしたんだと思ったよ」
「これ、原案、というか、プロットを考えた人がいるんです。途中までですけど」
凪は一冊のノートをテーブルに置いて開いて見せる。
「……これ、美鳥の字」
「はい、これを私が形にしたのが、この原稿です。姉さんが考えていたのは、まさにここまでです」
確かに。プロットは、大まかな流れを書く。俺も最初の頃は作っていたが、作ってもどうせその通りにならないから、プロットを用意する過程をすっ飛ばして書くようになってしまったが。渚は見事にプロットをなぞっていた。
美鳥は何を思ってこの物語を?
「私、これ、先輩のことを書いてると思ったんですよね。主人公が姉さんで、男の人が先輩」
「まぁ、普通はそうなるよな」
「あの出来事のことも書いてるし……でも、書いてて思ったんですよ。逆なんじゃないかって」
「逆って?」
「先輩が、美鳥姉さんという夢を、見ているんです」
渚の言っている意味が見えなかった。美鳥という夢。……夢。
「私は、先輩と美鳥姉さんがどういう関わり方していたか知りませんけど、何と言うか、先輩は美鳥姉さんに依存気味だったんじゃないかなーと」
「なんだと」
「聞きたいんですけど、先輩は何で書けなくなったんですか?」
色々あった、色々、あった。本当に色々あった。
俺は折れた。俺は折った、投げた、捨てた。なんで? 現実を知ったから。現実? どんな現実だよ。だって。俺は、結果を残せただろ。目に見える結果があるのだから、それを糧に頑張れたはずだ、今までだってそうしてきた。満点のテストを量産して、カンニングを疑われ、その他色んな不正を疑われ、俺がテストを受ける時は念入りに持ち物とか調べられ、先生に問題を作る段階から対策され、俺を対策するためにテストがどんどん難しくなり、クラスメイトに恨まれ。それでも満点を取るから親に不気味がられ、それでも、俺は、結果でねじ伏せて来た筈だ。
なんで、同じことができなかった。
たかが、感想欄が荒らされたくらいで。
ぽっと出の新人が、ランキングを駆け上がるのが気に入らないとかいう奴らに、荒らされたくらいで。
いつも通り、結果でねじ伏せて黙らせれば良かったのに、何でできなかった。
「書く理由が、無くなったから」
「書く理由って、何だったんですか?」
「……美鳥に、読んでもらうこと」
美鳥に読んでもらうことが、楽しみになっていた。
俺は読者を失った作家。歪な作家。
楽しみになっていたことは、もはや理由。頑張れば頑張っただけ喜んでもらえる。褒めてくれる。俺はそれを求めていた。いつの間にか誰もくれなかったもの、俺の出す結果を当然のものとして流され、もらえなくなったもの、求めていたものが貰える。その喜びに、酔っていた。
「姉さん、そのことを見抜いていたんだと思います。そんな修先輩を、眠っていると」
安らかに、眠るような日々を送っていると。夢の中で、優しい夢の中で酔っていると。
「……俺はそんなこと」
「まぁ、無自覚ですよね。この少女も、途中まで自覚無しで夢の中にいましたし」
渚は、美鳥のプロットを指で撫でる。辿るように、美鳥の思いを。
「姉さんが誰かのことをここまで思うのを見るのは、初めてで」
渚はグッと何かを噛みしめるように顔を歪ませて。そして。
「だから、先輩……姉さんの描こうとした物語を! 完成、させて欲しいんです。させて、欲しいんです! お願い、します。お願いします!」
渚は叫んだ。切り裂くように。叩きつけるように。
「だが……プロットは無い」
「プロットは、先輩自身です。先輩が、目覚めるんです」
書き直した原稿に目を落とす。手書きから直して読みやすくしたはずなのに、刻まれた一文字一文字が、赤く滲んで見えた。渚が、どれほどのものを込めたのかが見えた気がした。
「少し、考えさせてくれ」
だからこそ俺は持ち帰る。俺で良いのかなんて言わないし、素気無く断るなんてできなかった。かと言って頷けなかった。
「この場で決めてください」
だが、渚は引かなかったし逃がさなかった。何度かの宣言の通り、
「この場で、引き受けるか、さようならするか、選んで欲しいんです」
「さようなら……?」
「はい。もしもこれが駄目だというなら、私は、姉のことを、諦めます」
「諦めるって……」
「姉が心に住んでいられる人は、居なくなった、ということになりますから」
渚の、美鳥への思い。渚は、美鳥を忘れない人が、一人でもいられるように。それは、もしも美鳥が目覚めたらというのもあるだろう。だが、それだけではないのは俺でもわかった。
もしも目覚めなくても、美鳥のことを覚えている奴がいる限り。
「そっか、お前も、寂しかったんだな。この寂しがり屋が」
「な、なんですか急に」
ただ待つ。待つことしかできない。そのことを受け入れるには、勇気がいるのだ。俺に足りなかった勇気だ。それを、渚は。
渚、やっぱり、お前は、凄いよ。だから。
「一緒に、待つよ。美鳥が起きるの。この寂しがり屋め。……これも、完成させる」
「えっ?」
「決めた。俺が、悪かった」
「ど、どうしたんですか。急に」
慌てたように、頭を下げた俺の肩を掴み上げさせようとしてくるけど、それでも俺は、頭を下げ続けた。
「俺は逃げていた、目を背けていた。諦めていた」
唯一の繋がりだと思っていたものすら断ち切って、折って、逃げていた。
「そ、そんな」
「それでも、忘れられなかった。小説を書くことから逃げても、俺は美鳥を求めていた」
絶望した振りをして、閉じこもっていただけだ。だから。
逃げ切る勇気がないなら、立ち向かうしか無いだろ。もう。
「目覚めた美鳥に、新作の一つでも用意しとかなきゃ、文句言われるしな。それに」
約束は守らなければいけない。責任は取らなければいけない。
それと。目覚めたあいつが見る俺の姿が、情けない今の俺なのは、なんか嫌だった。
「よし、自分への言い訳は完了だ。まずはこれ、完成させる。手伝え」
「は、……はい!」
人が誰かを理解できるわけが無い。だけど渚は、真っ直ぐにぶつかって来てくれた。手を、掴んでくれた。殻から引きずり出してくれた。後輩にここまでされて、何もしないわけにはいかない。渚を、一人のままにはしておけない。
書けるかはまだわからない、だが、やってみよう。久しぶりに、そう思えた。
まぁ、あれだ、結局のところ。負けっぱなしなのは嫌だったのだ。
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