第13話 提案。

 「文字数に拘らなくて良い。とにかく結末に向けて書き進めることだけを考えると良いよ」

「はい。でも、いざ書くとなると、書いては考え書いては考えの繰り返しですね」

「そういうものだ。スラスラ書ける時はあるが、それでも悩むところは必ず来る」


 三日で物語の序盤の終わりまで書いていた。初心者で、しかも普通に学校生活しながら手書きでと考えれば、凄まじい執筆ペースだ。書き上げた内容は原稿用紙五十枚に到達していた。

 聞いてみれば、あとは夏休みを迎えるだけとはいえ、渚はずっと原稿用紙と向き合っている、授業中もずっと書き続けているらしい。少し痩せた気がする。目の下に隈とかでき始めている気がするし。流石に心配になる。


「健全な創作活動は、健全な生活習慣からだぞ」

「それ、先輩が言います?」

「少なくとも俺はちゃんと寝ていた。睡眠時間が短い日もそりゃあったが、連日ギリギリまで削るなんて真似はしていない」

「ふふ、先輩は優しいですね」

「当然の常識を説いているだけだ」

「先輩の前で創作者という生き物を説くのも変な話ですが。多分、止まらなくなるって言うんですかね。心が、全身が、とにかく書けと喚いてくるんですよね。書け、書けと」


 止まるなと。走り抜けろ。暇があるならば書け、と。

 己の中の神に引きずられ、突き回され、背中を刺され、そして取り憑かれる。そうなれば手はもう止まれない。自分が許すまで駆け抜けることしかできなくなる。それ以外の何もかもがどうでも良くなる。

 だが、そいつに振り回されているばかりじゃ、ダメだ。でも今は、それを言うべき時じゃない。今は、書き切った達成感というものを感じてもらう方が優先か。

 正解はわからない。でも、一つだけ言えるのは。書いたことを後悔いて欲しくない。それだけだ。

 渚が書いている小説は、とある少女の夢の中の話だ。

 その少女は夢の中で自分がなぜ眠りに落ちたのか。その原因を探す。プロットが無いからなぜ少女は眠っているのかはわからない。

 しかしながらどんどん話が複雑になっている。夢の中の少女が眠りまた別の夢が始まるのだ。

 最初は少女が思いを寄せていた男と出会ってから、眠りにつくまでの追体験だったのに、今度は少女が色々なものを諦めた日というものの追体験。そして今は、少女が夢想してる世界を歩んでいる。




「望みを思い出せ」

 竜は少女に告げる。

「望みを思いだせば、眠りからの出口が見えてくる。終わらぬ夢などない。だから今この時この状況は矛盾そのもの。しかも確実に解消される矛盾。いずれ起こされる。だが、起きるなら自分からスッキリ目覚めたいものだろう」

 少女はドラゴンの言葉に頷いた。

「なら、望みを思い出せ。お前はどうして、眠りについた」




 複雑だが、複雑とは思わない。突然夢の内容が変わって驚いた程度で、今何がどうなっているのかわからないということは起きていない。つまり、筋道自体は通っているのだ。

 指導が目的なら、俺は渚から少女の望みを聞き出すべきだが、今の俺は読者だ。 

 すっかり逆の立場だ。俺が美鳥を待たせていたのに、今は俺が渚を待っている。

 だが、読んでいて、雑念が収まらない、物語に没入できない。ここはこうした方が良さそうだとか、この文章、もう少し読みやすくできるなとか。文章を評価してしまう。没入しようとすると文字の上で目が滑って、頭に入って来なくなっていく。


「先輩、待っててくださいね」

「うん」


 きっとこの話の根底には美鳥のことがある。

 渚は、この物語が完成しないことに全く不安を抱いていない。

 なんとなく触れた鞄の中、持って来てはいても開いていないノートパソコン。

 ずきずきと、心の奥を熱で焼かれる感触。渚から伝わってくる熱。


「頑張れ」


 呟いた言葉。渚に向けていた筈なのに。どうしてだろう。


『頑張れ』


 美鳥の声になって、返って来た。




 夏休みに入った。俺は家で本を読んでいる。いや、読めていない。本を開いているの方が正しい。

 渚から毎日連絡が来る。完成したら会いましょうと言っていたから、夏休み中に完成させるつもりらしい。恐ろしい自信だ。だけど、走り出している。走り出している事実は何より大きい。頭の中で考えているだけと、書き始めていること、ゼロとイチの差、違い。それは天と地ほどある。

 俺は何となくパソコンを開く。デスクトップ画面に並ぶ書きかけの小説たち。物語に没入できない俺の状態は、読む力だけじゃなくて、書く力も奪った。次の文章が浮かばない。突然頭が真っ白になってしまったかのように。

 ブラウザを開く。そこに登録されているブックマークの一つ、小説投稿サイト。そこから俺のマイページ……いや、俺の墓標にアクセスする。


「……渚、お前は立派だよ」


 お前はきっと、俺よりも先に、走っていける。

 完結済みの俺の投稿した小説。書き終わっていたから投稿を始めた義務として、全部投稿した。そして俺は筆を折った。

 あの強さなら、あの輝きなら、負けずに、最後まで燃えていられる。きっとそうだ。

 家を出た。駅まで歩いてそこからバスに乗り、それから、大学病院前のバス停で降りる。ほんの少し歩くだけで、服の中には熱がこもる、不快な気分から逃げたくて少し駆け足で病院の建物の中に、程よく調整された空調。俺は真っ直ぐに美鳥の病室に足を向ける。


「よう」


 俺はどうして、どの面下げてここを訪れらたのだろう。


「渚の奴さ、小説書いてるんだぜ、信じられるか? 俺は未だに驚いてるよ、本気で書いてるからさ。本気で、書いてるんだ」


 これで良かったのか。美鳥のところまで来て、ようやく取り戻せた迷い。

 俺は正しいのか。渚を止めなくて良いのか。


「教えてくれよ、美鳥。教えてくれ。俺は、正しいのか?」

「先輩に一つ聞きたいのは。なんで先輩が責任を取ろうとしているのですか? ということですね」

「……渚」


 いつの間にか入り口の前に立っていた渚。扉が開いた音にすら気づかなかったのか、俺は。


「私は一言でも言いましたか? 先輩のせいです、とか。私の選択の結果は、私が責任持ちますよ」

「でも」

「先輩は、書いてくれなんて、私に言ってませんよ。命令もしてませんし。全て私の選んだ結果です。私が先輩に頼んだのは、私が書いた小説を読んで、アドバイスをしてください。それだけなんですよ。その流れで、私は一冊分、書くことにしたのです」

「でも。それでも……」

「一つだけ教えてください。先輩」

「何をだよ」

「小説は、先輩にとって、苦しいだけですか?」

「そんなこと……」

「なら、どうしてそんなに思い悩むのですか」


 渚から目を逸らした先、気がつけば俺の目が向いていたのは美鳥で。


「俺にとって小説は、気がつけば、美鳥との繋がりになっていて」


 重い出せない。そうなるよりも前、俺は何で小説を書いていた。どうして俺は、小説を書こうと思ったのだろう。いつから書き始めたのかだけは覚えている。確か、父さんと母さんが出て行った直後だ。俺は、何で書き始めたんだ。

 美鳥との繋がりだと気づいたのは筆を折った後。

 俺は、美鳥との繋がりまで折ってしまった気がしていた。

 だからだろうな。

 俺は、渚が小説を書くことに、縋っていたのかもしれない。


「醜いな、俺は」

「先輩、提案があるんですよ」

「なんだよ」

「私、半分は書きました」

「早いな」

「続き、先輩が書きませんか?」

「……何を言ってるんだ」

「私の書いた小説、先輩が完結させてください」

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