第12話 後輩宣誓。

 「色んな本があるんですね」

「あぁ、やっぱり」


 俺が前々から思っていた事、渚も、苦笑いと共に頷いて見せる。


「はい、私、あまり来たこと無かったんです。本屋。本自体も、姉さんがああなってから色々読み始めた感じで。読む本自体は、しばらくは姉の部屋の本で事足りてしまうんですよね」


 喫茶店を出て昼下がりな時間帯、俺達は予定通り駅前の本屋に足を踏み入れる。ビルの中の本屋だからそこまで広くはない。単純に本屋のラインナップと俺の趣味が合っているだけ。

 本気で本を探しに行くとするならもう少し歩く事になる。しばらくそこまで足を伸ばしていないが、美鳥と出かける時、行き先に困ったらそこに行っていた。呼び出されて行ってみたら「どこに行く? 行先決めてないんだよねぇ」とか言い出す時があったのだ。

 今考えると、休日、目的も無いのに何となく一緒に出掛けると言うのはおかしな話だ、目的があって初めて発生するのが出かけるという行為だろうに。美鳥は何を考えていたのだろう。


「先輩、なにボーっとしてるんですか?」

「あぁ、悪い」

「先輩は何か欲しい本とか無いのですか?」

「ああ、そうだなぁ……今月はあんまり食指が動かないんだよなぁ」

「というか先輩、最近ちゃんと本、読んでいますか?」

「っ!」


 ゆっくりと、急に背中を刺されて、その受け入れ難い事実を確認するような気分で、ゆっくりと、俺は振り返った。当然背中なんか刺されていない。だが、それくらいには、受け入れがたい事実を容赦なく指摘されたのだ。


「ずっと同じ本読んでるじゃないですか。四月から」

「……気づいてたんだな」

「ほぼ毎日、顔を合わせていましたから」


 浅くなっていく呼吸を無理矢理整えて、グッときつく握りしめていた手を無理矢理解いて。それから俺は、一つの認めたくない事実という奴を言葉にする。


「物語が入って来ないんだ。本を、楽しめないんだ」

「私の小説は?」

「……あれは、楽しむのが目的ではないから」 


 フラットに評価するとか、直すとか、そういう批評家とか編集者のような目線で読む分には良いのだ。そうでなければ国語の問題を解くとか。フラットな気分で文章の意味を理解する。書いてあることを書いてあるままに読み取ることはできる。内側に取り込んで映し出すという工程を行わなくて良いから。


「素直に楽しめなったと言うのが正しいのだろうか」


 とにかく、小説の世界に入り込めない、純粋に楽しもうとすると、文字が頭の中に入って来なくなる。読んでも読めていない状態になる。


「そう、ですか。すいません。そうとは知らずに、こんな……」

「良い。俺だって、いつまでもこのままで良いとは思っていない」


 そう、このままで良いわけが無い。だから。


「何か、無理矢理一冊読めれば良いのだが。と思うけど、どうにもね」

「……でしたら、私が書きましょう」

「えっ?」

「本一冊って、どれくらいなんですか?」

「だいたい十万字くらいかな」

「げ、原稿用紙換算だと……二百五十枚、くらいですか?」

「そうなるね」


 自分の宣言の重さを噛みしめるように息を漏らし、そして。クワっと目を見開き、渚は。


「や、やってみせます!」


 そう宣言して見せる。重みを背負って見せたのか、その重さをまだ正確に感じれていないのか。どちらにせよ。


「期待しないで待ってるよ」


 おいそれとできるものではない。そう知っているから。でも渚は俺の反応が不服だったらしい。ガシッと手を握り、銀河系を凝縮して押し込んだような目を向けてくる。


「舐めないでください。だって、できる人がいるんです。不可能でないと、それこそ、ここに並んでいる本の数だけ、証明されているんです。私だって、相応の努力を重ねれば。それに、先輩だって……できていたんじゃないですか」

「うん。できていたよ」

「だから、待っていてください」

「……俺はおすすめしないよ」

「私が歩く道ですから。責任は自分で持ちますよ」


 俺はこんなにもちゃんとした足取りで歩けていただろうか。俺は、こんな目をできていたのだろうか。俺の背中は、あんなにも真っ直ぐだっただろうか。

 ポンと背中を叩いた。


「頑張れ。応援はしてるよ」

「はい。それで良いのです」


 一つだけ確かなのは。俺にこの子の筆は、折れないということだ。




 週明けの放課後、俺はいつも通り学年一位だった。そして渚だが……。


「お前と言う奴は……」

「あ、あはは」


 赤点ギリギリの超低空飛行、夏休みに補習で呼び出されるという状況は回避したが。


「ったく。答案出せ」

「あっ」


 答案の隙間。そこに挟まっていた原稿用紙がはらりと落ちる。拾い上げた原稿用紙には文字がびっしりと書いてある。


「短編?」


 しかも、まだ続くみたいだ。


「その、テスト期間に書いていたものです。……本当は週末、見せるつもりだったもので」

「あぁ、書いていたんだな。それで準備が不十分だったと」

「すいません。折角お時間いただいたのに。……多分それが、最後の短編です。あの日から、一冊分、長編? の執筆、始めましたから」

「そうか……」


 俺はどうしてか怒れなかった。小説を書く者として歩き出している彼女を。でも、わかる。多分すぐに躓く、本を書く者はそれ以上に読んでいなければいけない。一般的にそう言われている。その部分がまだ足りていない。けれど。

 俺は心のどこかで求めているのかもしれない、渚が小説を書き切ることを。


「なぁ」

「はい」

「読んで良いんだよな、俺が」

「お願いしたのは私の方ですから」

「……楽しみにしてる」

「えっ……?」

「楽しみにしてるよ」


 可能性への賭け、知らないが故の勢いへの期待。もしもこの果て無き登山を制覇できたのなら、俺は。俺だって、もしかしたら……。


「醜いな」

「えっ?」

「何でもない」


 美鳥の妹だからって、勝手に期待して。だけどそれでも。 

 だけどそれでも、俺は賭けてみたくなったんだ。あの宣言に、力を感じていたんだ。思いっきり殴られた気がしたんだ。

 また読めるなら、また書けるなら。そうしたい。そんな押し込んでいた気持ちを。

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