第11話 グラス一つにストロー二本。
「姉にとって先輩は。とても重要な存在ですから。先輩がどんな罪悪感を抱えてるかわかりませんけど、私は姉を忘れさせませんから」
美鳥にとって、俺が?
ベッドの上で、目覚める気配のない少女。記憶の中より少し痩せただろうか。でも。春のような少女は、雪になっていた。
「先輩は有象無象の一人でないことを、わかって欲しいです。先輩は、姉さんに、どんな約束をしたんですか?」
「あぁ……」
俺が美鳥と交わした約束。
「俺の小説を、色んな人に見せること」
「見せたんですか?」
「あぁ」
そして俺は、負けたんだ。
長居するわけにもいかない。俺達はいそいそと病院を出た。会話は無い。病院前のバス停で駅行きのバスに乗り込んでも、俺達は一言も発さない。
最初に口を開いたのは渚だった。
「……すいません。先輩」
そう言って頭を下げた渚。美鳥が着ていた服。面影のある顔立ち。病院のベッドで眠り続ける美鳥を思い出させる。
「先輩にちゃんと言ってから連れてくるべきでした」
「良いよ。こうして貰わなかったら、俺は来なかっただろうから」
バスに揺られ、俺達は駅前に戻って来た。まだ日は高い。
「……飯でも食うか」
「はい。姉さんとはいつも、どのように店決めを?」
「近くにあった店を適当に」
「あは、想像できます。では、あれとかどうでしょう?」
「ん。おう」
喫茶店だ。最近、と言っても半年前にオープンした店。まだ混んではいるが、ピークは過ぎたようで、座るところまですんなりといけた。
「あ、先輩、これ頼んでみませんか?」
「……却下」
「えー」
渚がウキウキと指差したのは何故か一つのグラスに二本のストローが刺さっているもの、それだけならまだ良い。その二本のストローは不思議なことにハートを描いているのだ。中身はメロンソーダフロートだが。
「誰が頼むんだ、これ」
「私たちが頼みましょ」
「カップルメニューってばっちり書いてるだろ。それにこれ、顔近すぎて相手と目が合うし。結構身体乗り出さなきゃ飲めないし、飲みにくいし。フロートだから氷多い」
「なんで知っているんです? 頼んだことあるのですか?」
「……別に」
「あっ、姉と飲んだのですか。なるほどぉ」
「くっ」
ニヤ―っと唇を吊り上げ、渚は呼び出しボタンを押した。その感じが美鳥の姿と重なって見えた。
「えっと、オムライスと、先輩はカルボで良いですか?」
「あぁ、良いよ。あと、コーヒー」
「あと、このメロンソーダフロートお願いします」
店員さんに微笑ましい目を向けられ、軽く頭を抱えた。
「マジか。マジであれ飲むのか?」
「飲みますよー。ふふふ」
何が楽しいのやら、全く……。
「先輩の笑顔って、そんな感じなんですね」
「えっ?」
「とても穏やかです」
「そんな指摘する程かよ。俺が笑うこと」
「だって先輩、私の前で笑ってくれたこと、無いですよ。ずっと申し訳なさそうな顔、していますから」
渚の悲し気な笑み……似合わねぇな。こいつは、やたら眩しい笑顔を咲かせていてくれた方がずっと良い。
「……本屋。どこの本屋が好みとか、あるのか?」
「えっ?」
「俺はすぐそこのあの本屋はわりと好きだが」
「……本屋に好みとか、あるんですか?」
「無いのか?」
「えぇ……そりゃ、品ぞろえの差とかはあると思いますけど」
グラスの縁を指でなぞり、目を逸らしながら苦笑い。……こいつがわかりやすそうな例え方になると……。
「そうだな。だがメンズ専門とか、スポーツウェア専門の服屋があるように、学術書とか専門書が豊富とか、結構マイナーな漫画も置いてるとか、ライトノベルが豊富とか、一般文芸はかなり取り揃えていますとかあるからな」
「なるほど……つまりジャンルごとに深い浅いがあると」
「そういうことだ」
一番差が出るのは雑誌の類だろう。一冊の雑誌を探しに本屋巡りとか普通にある。
「通販で確実に手に入れるとかはしないんですか?」
「最終手段だな。本屋には不意の出会いがある」
表紙買いが発生するのはまず本屋だし、しばらく新作を出していなくて、いつの間にか調べなくなっていた作家の新作を不意に発見するとかあるし。
「なるほど。ちなみに推しの作家さんとかは?」
「そうだな……
注文していた品が届き、食べながらも会話は途切れない。話していて気づく。こいつ、わりと聞き上手だと。俺はさっきから、気持ちよく話せている。
話題が終わりそうな気配が近づいてきたところで良い感じに質問を投げてきて、別の方向に話を広げさせてくれる。渚はそれをニコニコと聞いている。
「あっ。そろそろですね」
デザートのソーダフロートを頼んだ渚。すぐに、普通のグラスより二回りほど大きいグラスがテーブルの真ん中に置かれた。
「じゃ、飲みましょうか?」
「ご希望でしたら記念写真お撮りしますよ」
「えっ、あっ」
「お願いします!」
店員さんの申し出に渚はすぐに自分のスマホを渡した。
「ほら先輩、ストロー咥えて。恥ずかしいなら、目を閉じても良いですから」
「あ、あぁ」
言われた通りにする。どうせ渚はなんかピースとかそういうポーズ取るんだろうな。くっ……まぁ良いや。
そう思いながら撮られた写真を覗いてみる。
「どうですか? キス寸前みたいな」
「はぁ、お前な」
「えへへ」
渚も目を閉じて俺の方を見ていた。唇を尖らせ、ストローを見なければ、本当にキス寸前みたいな状態だ。
「あのさ、渚」
「ん?」
「その……良いのかよ」
そう、これは美鳥にも聞いたことだ。
「俺と一緒にいて、クラスの奴らに噂とか」
「あぁ、気にしませんよ、そんなの」
「なんで」
「そんなの気にしてたら、姉のようになれないじゃないですか。『理解し合えない人たちに何か言われたところで、何を感じれば良いの?』って」
一瞬、目の前に美鳥が見えた気がした。
美鳥を忘れさせない、か。
「さてさて、飲みましょ」
「あぁ」
しばらく見つめ合いながらストローからメロンソーダを吸い上げ続ける。
「……アイスは、やる」
「わぁい、ありがとうございます。では先輩、お口アーンです」
「んなっ。なんで」
「貰ったものをどうしようが、私の勝手、ですよね?」
「それは、そうだが」
くっ、この俺が、この程度の言葉遊びにまた嵌められるとは。
「はい、どうぞ。あーん」
渚はスプーンを差し出してニヤニヤとした笑みを浮かべている。早くしないと溶けますよと主張するように、容赦なくグイグイとスプーンを近づけてくる。
「はぁ。あー……んぐっ」
口を開けた瞬間無理矢理スプーンをねじ込まれ、引き抜かれる。そしてそのスプーンをそのまま何も気にすることなく使い始めた。
……指摘したらこっちが気にしてるみたいで悔しいな。なんか。うん。無視だ、無視。
アイスの方は、ちょっとシャーベットみたいな食感のバニラが口の中で解けて。爽やかなミルクの甘みが口の中に広がっていく。まぁ。
「普通にバニラアイスだな」
「……他に感想無いんですか? 女の子からのお口アーンですよ」
「お前らやっぱり姉妹だよ」
「へ?」
「美鳥にも同じことされた」
「あは、同じ手に引っ掛かったんですね。先輩」
「あぁ、俺の学習能力って奴もまだまだだ」
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