第7話 勉強会。
「初めまして。秋月修の妹、秋月茉子です」
この短時間で身支度を整えたのか。出来た妹だな、本当、こういう時は。
「可愛らしい妹さんですね」
白のフリルがついた黒のワンピース。ゴシックでロリータな格好だ。幼顔で見られるのを気にする割に、服装はロリータなのだ。
「お勉強するのですよね。どうぞ、リビングをお使いください」
「わぁい、ありがとうございます」
なんだろ、言葉は好意的なのに、どうしてこう、我が妹から放たれる雰囲気がチクチクするのだろう。これがあれか、よく聞く、女の戦いって奴なのだろうか。いや、なって無いな、戦いに。渚、若干震えてるし。
「あっ、おにぃ、ついでにあたしのお勉強も見て欲しいな?」
「あぁ、良いよ、持って来い」
「わーい」
パタパタと茉子が階段を上がっていく。その間に俺達はリビングの机に勉強道具を広げた。
「ほれ、クッション。好きに使え」
「ありがとうございます。ふふっ、良いお兄ちゃん、ですね」
「うっせー」
ふと思う。なんでこいつは俺に会おうと思ったのだろう。ただの姉の知り合いとか、わざわざ会いに行くような相手では無い筈なのに。とうとう休日にも会うようになってしまった。
「先輩、早速ですけど、数学からで良いですか?」
「あぁ、良いよ」
「いやー渚さんお目が高い。おにぃ、高校ではずっと学年一位ですからねぇ。そんでもってわかりやすいんですよ。おにぃの勉強の教え方」
「そうなんですね! ラッキーです!」
茉子のわかりやすいヨイショに、渚もわざとらしく手を合わせて応じる。下手な通販番組でも見ている気分だ。
「ったく。茉子は何やるんだ」
「とりあえず英語かなぁ」
「あぁ、さっさと始めろ。わからないところがあったら随時聞け」
「りょーかい」
これで茉子は大丈夫だ。わからないところは素直に聞ける奴だからな。
「そうだ。持ってきたのか? ノート」
「あっ……どうぞ」
「どれ……ふむ」
基本的な部分は抑えてるな。なんで、見せるの渋ったんだ。字も綺麗だし……ん? この字。
「美鳥のか」
「えっ、わかるのですか」
「誰がお前の姉の勉強を見ていたと思っている」
「あ、あはは~」
「ったく」
「こ、こっちでーす」
「はいはい……うわ」
「おにぃがヤバい声出してる……うわ」
明らかに、寝てましたーって感じのノートだ。
なんかこう、文字が段々とミミズがのたくったような、渚がどこまでは頑張れていたのかがよくわかる。思わずその頑張りに涙しそうに……ならないな。
「これではまとめるも何も無いわけだ」
「はい。そうでございます」
やれやれ……それじゃあ。
「全く、中間の時から相談してくれていれば……」
「あはは、いけると思ったんですよねぇ、最初のテストですし。甘く見てました……」
どこから手を付ければ良いか、結構悩まされた。
「これ、それぞれ、十分くらいで解け」
「えっ、これ」
「全教科ある。見直し含めて一時間後に答え合わせだ。始め」
「は、はい!」
さて、俺は俺で、参考書でも適当に読むか。極論を言えば、定期試験に関して、そこそこの点数を取るだけなら、俺はこれだけで十分だ。それこそ美鳥や渚に言ったように、ノートにいちいち授業内容をまとめる必要はない。
ただ、怖いだけ。人並みの努力すらしないで結果を残してしまうのが、怖いだけ。だから、努力をした形跡は残す。足元が不安定なのは、怖いから。何か失敗した時、努力すらしてなかったら、何も言い訳ができなくなるから。
「おにぃ、ここなんだけど」
「あぁ、長文読解か、どれ、俺も読む」
そしてしばらく。設定しておいたアラームが鳴る。
「終わりだな。さて、どうだ?」
「出来はこんな感じです」
「ほう……」
「この問題って」
「あぁ、俺がお前からもらった答案の結果から作った問題だ。まぁ、大方予想通りだな」
「えっ、先輩が、作った? ……一晩で?」
「参考書から問題を引っ張って来ただけだけどな。さて、じゃあ順番に解説していくぞ」
あぁ、懐かしい、この感じ。
美鳥も、熱心に聞いてくれていたものだ。
美鳥が俺の小説を読むようになってから、放課後、美鳥は俺と過ごす時間が少しずつ増えてきた。俺と一緒にいる正当な理由を作るために、夏休み明けには図書委員にまでなった。
テスト前になったら、図書室のカウンターの中で、こんな風に色々教えていたな。
渚は熱心に聞いてくれたし、質問も結構積極的だ。
教える時に大事なこと、何を聞かれても、わかっていなくても、理解してもらえなくても、イラつかないこと、怒らないことだ。教えられる側を委縮させるだけだし、そのうちの二つは教える側のやり方に問題がある場合が多い。俺はそれを美鳥との時間の中で学んだ。
「今日はこんなところか」
「えっ、もう、ですか?」
とは言うが、休憩を三十分挟んだとはいえ、もう四時だ。
「勉強を何時間もやりました、ってことで誇るな。大事なのはどれだけ身に着いたか、だ」
「はぁ……」
「おにぃ、コーヒー淹れたよ」
「サンキュー。渚は砂糖とミルクどっちもか?」
「はい。姉さんと同じです。先輩のようにブラックでは飲めません」
「あぁ」
どうしてだろう。今、美鳥と渚が重なって見えた。
頭を振る。
今の俺に、美鳥を、美鳥の幻想すら、追いかける資格なんて、無いから。
「そうだ、渚さん。夕飯、ご一緒しませんか?」
「良いんですか?」
「二人分も三人分も変わりませんし」
「あっ、では、私も一品作りますね」
「良いですね。それ。渚さんの料理、食べてみたいです」
そんなわけで、女子二人、台所に並んだ。渚は茉子からエプロンを借りて、手際よく下ごしらえしていく。
「慣れているんですね」
「姉に仕込まれましたから」
「お姉さんですか。お姉さんも兄と仲良いみたいですけど」
「えぇ。姉も、お兄さんにはとてもお世話になりました」
なんて会話が聞こえた。思えば、茉子にあまり話したこと無かったな、美鳥のこと。
「へぇ、どんな人なんですか? お姉さん」
「そうですねぇ……春のうららかな日差しのような人です」
そうだな。多分、それが一番、常陸美鳥という人間を、正しく表していると思う。
「会ってみたい人ですね」
「そうですね。機会があれば。是非」
俺と渚の頭には今、病院で眠り続ける美鳥の事が、きっと浮かんだ。
あの日美鳥は、俺の横で、突然倒れた。
あの日も、美鳥から誘われた。美鳥と一緒に本屋巡りだ。結構好きな時間だった。お互いがお互いの読んだこと無い本を薦め合う。そんな時間が、輝いていた。
ルールはシンプル。一日の終わり、事前に、その日薦められた本で一番読みたくなった奴を宣言し、それを買う。その後、それ以外で、お互い、相手に読んで欲しい本を一冊買ってプレゼントする。そして、次に会う時までそれを読んできて、感想を交換する。
お互い、元々本の趣味の幅は広かったが、それでも手を伸ばしていない部分があって、それに手を伸ばす機会ができて、良い時間だった。
ミステリーやSFにはあまり手を伸ばしていなかった俺。
ホラー系にあまり手を伸ばしていなかった美鳥。
ケータイ小説に全く触れていなかった俺。
ライトノベルの中でも、WEBデビューのものには殆ど触れていなかった美鳥。
そうやって、お互いの知らないジャンルへの取っ掛かりをお互いが用意していった。
それぞれ本を買い、交換して帰り道。明日の放課後までには読み終わらなきゃな、と考えながら横断歩道に立っていた。信号が青になった。歩車分離式信号だから、交差点に侵入してくる車は無い。でも習慣で周囲を確認してから歩き出して、ちらりと振り返る。美鳥が動かない。
三月の、温かくなってきた風。白のワンピースのスカートがふわりと揺れる。ピンクのカーディガンが眩しい。
「美鳥?」
風に揺れるように。吊るしていた糸が切れたかのように。ゆっくりと、受け身を取る動作すらすることなく、美鳥は倒れた。
「美鳥!」
何度も呼んできた名前。でも、この時が一番、本気でその名を呼んだと思う。
「おい、美鳥! くっ」
丁度、委員会代表としてAED講習を学校で受けたのは昨日のことで。それを思い出しながら冷静に、冷静に、冷静になろうとしている俺の横に駆け寄ってくれたのは女子大生らしき人。良い人で良かった。救急車を呼んでくれる。
呼吸を確認して、そのあと、脈を確認して、心拍を確認して。全部ちゃんと動いていて。でも救急車を呼んだ女の人が持って来てくれて。その人も同じことを確認してくれて、異常は見当たらないけど一応と。
昨日操作を教わった機械の筈なのに、何なら機械がどうしたら良いか教えてくれるのに。覚束なくて。貸して、と、慣れた様子で設置してくれて。でも、異常は無い、電気ショックの必要はないとか言われて。
「じゃあ、どうしたら良いんだよ」
なんて叫んでいたら救急隊員の人が来て。俺は一緒に病院に行った。
「ありがとうございました」
ちゃんとお礼を言えて良かった。
お医者様はなんで倒れたのかも、どうして目覚めないのかもわからないと言った。
目覚めるのかも、目覚めないのかも、わからない。
「どうしろって言うんだよ」
どうしようもない。俺は医者ではない。
「誰が俺の小説読むんだよ」
元々、俺は何のために小説を書いていたんだ。
その時気づいた。俺の学校生活を結構楽しくて、賑やかで、明るいものにしていたのは、美鳥だったんだな。
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