第6話 兄と妹。
「ただいま」
「おかえり、おにぃ」
「あぁ。明日予定できたから」
「ういー」
家に帰ると妹の茉子がソファーでぐでーっと溶けていた。
朝、わざわざ早起きし、朝食を作った後、短い髪を内側に巻いてふわふわした感じを出して、そこらへんあまり気にしたことが無い俺からすれば、お洒落さんではあるのだが、見事に崩れてきている。
学校ではきっとちゃんとしているのだろうが、その面影は感じられない。本人は幼顔に見られるのが気に入らないだけらしいが。
「晩御飯できてるから」
「あぁ、ありがとう」
「どいたま」
妹の茉子と二人で暮らし始めてそろそろ三年、何となくできた役割分担、味にうるさい茉子が台所を支配している。あと、下着を触られるのは恥ずかしいからと洗濯も茉子だ。
その代わり掃除は俺の役割、休日にまとめてやる。
「じゃあ、掃除やっとくね」
「いや、日曜に……」
「テスト期間でしょ?」
「それを言ったらお前今年受験生だろ」
成績は良いが、どんなに良くても油断して良い理由にはならない。
「そうだけどさ……おにぃが約束なんてしてくるの、半年ぶりじゃない?」
「そうだったな」
「楽しんできなよ」
「いや、後輩の勉強を見るだけなんだが」
「へぇ、一年生なんだ」
「あぁ」
「どんな子なの? ぐえっ」
ゴロンと寝返りを打った茉子はそのままソファーから落ちた。何やっているのやら。
「そうだな……やたら元気で、エネルギーに溢れてて。なんだろうな、あの子は」
「ふーん、良いじゃん。おにぃはね、引っ張り回してくれる人が必要なんだよ」
身体を起こした茉子はぴょんと立ち上がる。
「じゃ、あたしも一肌脱ぎますかね」
「何する気だ?」
「女の子でしょ」
「なぜわかる」
「おにぃはあいつって言ったら男で、あの子って言ったら女の子だから」
どうやら俺は、無意識のうちにそんな使い分けをしていたらしい。
「明日、八時起きね」
「はいはい」
「ふふ、あたしに任せなさい」
何をされるんだ。
「うーん。やっぱり良いなぁ、おにぃの顔」
「何言ってんだ」
朝、俺は茉子の部屋の鏡の前に座らされ、髪を弄られてる。部屋着のジャージを少しだけ腕まくりして、ワックスを手に整えてくれている。
「おにぃみたいな顔って塩顔って言うんだよ」
「そんな概念があるのか」
「あっさりしててフェイスライン細くて唇が薄い、目もシャープ。お手本のようだよ。あぁ、可愛い」
「おい」
髪を整える作業を放棄し、腕を絡めて首筋に顔を埋めてくる妹。全くこいつは。
「おにぃなのを除けば、本当、文句なしなのに」
この妹、見た目は本当、贔屓目を抜きにしても結構可愛い部類に入ると思うのだが、こういうところがある。本当、残念な美少女だ。
妹に甘えられるのは嬉しい。だが、それを越えてくると、困ると言うか、どうしたら良いかわからないという気持ちの方が先立つのだ。
「髪を整えてくれるんじゃなかったのか?」
「もう完成だよ」
「そうか」
普段は好き勝手に伸び散らかしている髪、全体的にボリュームを押さえて、前髪も上げて流すことで隠れがちの目元も露出。はぁ。
「……やっぱり眉毛も。おにぃ、目を閉じて」
「げっ……わかったよ」
目を閉じると、ウィーンとシェーバーの音がよりはっきりと聞こえてくる。
「今度また髪、切ったげるね」
「えぇ……」
「また上手くなったんだよ。男の人のヘアスタイル、色々勉強したんだから。よし、オッケー」
「それよりも受験勉強しろ。って、誰だ。こいつ。無駄に爽やかだな」
「おにぃだよ。可愛くてカッコいいでしょ?」
「はぁ」
だが、この分野では茉子の方が詳しい。茉子を信じて、そろそろ行くか。
「とりあえず、ありがとな」
「どいたま。いってらー」
「あぁ、いってくる」
「夕飯いるかどうかだけ、連絡ちょーだい」
「あぁ」
「何なら連れてきても良いよ? あたしが見定めて上げる。おにぃをあげても良いか」
と、鋭い眼光を見せてくる妹。うーん、恐ろしや。
「茉子のものになった覚えは無いよ。けどまぁ、ありがとな」
「にひっ。気にせんでもよろし」
おかしな妹ではあるが、助けられてると思っている。ずっと、あの時から。あの時、俺は本来、一人になるはずだったのに。
休日の駅前。渚はすぐに見つかった。
「おはようございます。先輩」
「あぁ、おはようさん……暑くねーの?」
「女子はお洒落のためなら暑さも寒さもへっちゃらなのです」
「へぇ」
黒の皮のジャケットに白のTシャツにジーンズ。活動的な格好だ。
「では、行きましょう。どこでやります?」
「そうだなぁ。良い場所あるか?」
「私の家とか。近いですよ。ここから十分くらいです」
「却下」
「味玉ありますよ!」
「味玉で釣られて堪るか」
適当なファミレスで良いかとは思うけど、もうすぐ昼時。ランチタイムなファミレスで二時間も三時間も粘る程、俺の神経は太くない。かと言って図書館もなぁ。あんまり喋って良い環境でも無いし。
「うわまじか、どっちかの家が最適解とかマジか」
「お? 来ます? 味玉食べに来ます?」
「勉強だ。味玉じゃない」
だが、渚の家に行くのも癪だ。
「……もしもし。茉子」
「はいはい何でしょう、おにぃ」
「今から客一人連れて行って大丈夫か?」
「良いよー」
というわけで。
家を出てから三十分後、なぜか帰って来ていた。
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