第3話 渚への課題。

 「なぁ、お前。もっと長い奴書かないのか? ワンシーンしか持って来ないじゃん。短編とか無いのか?」

「お? 先輩。ついに本気で教えてくれる気が?」

「いや、そういうわけじゃないんだが」


 七月に入った。渚は相変わらず毎日よくわからない暗号を俺に持ってくる。テストにも受験にも大して役に立たない翻訳技術ばかりが磨かれていく。

 図書館棟は相変わらず静かで、こいつと無駄話をしていても誰かに迷惑をかけることは無い。


「実は、どう書けば良いか、わからなくて」

「それを最初に聞いてくれ」

「いやぁ、シーンをいっぱい書けば、あとはパズルみたいに、組み合わせれば何かできないかなーと」

「理に適っているようで全然だな。そもそもお前が持ってくるシーンに一貫性も論理的つながりも見えなかった。小説は結局のところ論理が繋がっていなければいけない。君のやり方だと一貫性を繋げるのは難しい」

「難しいことばかり言わないでくださいよ。頭良いんですか?」

「成績は良い」

「はぁ」


 とうとう渚はカウンターに入って来て、ぐてーっと俺の隣の空いたパイプ椅子に座り、冷房の効いた図書室で溶け始めた。


「姉は言っていました。修先輩の小説は綺麗な一本道だ、って。研ぎ澄まされて透き通るような刀で。真っ直ぐに切り込んでくると」

「美鳥が」

「ところで聞きたいのですが。先輩は姉と付き合っていたのですか?」

「いや」

「好きだったとかは?」

「無かったよ」

「好きだと言われたことは」

「……俺の小説が好きだとは、言っていた」

「なるほど」


 ふむふむと頷き、渚はその形の良い唇をニマーっと吊り上げて。


「ところで先輩は姉さんのことは?」

「無いな」

「即答ですか!」

「俺と美鳥は、そういうのじゃない」


 俺と美鳥は、作者と読者だ。からかわれたことは何回もあった、でも俺達は違う。


「そうですか。どういう出会いだったのですか?」

「あー。そ、そんな話よりも、短編の話だな。ならまぁ、こう考えて当てはめてみろ。予兆と序盤の事件。日常と大きな事件。解決と嫌な予感。失敗とさらに大きな事件。解決と日常への回帰。本来は長編の書き方だが、短編に当てはめることも勿論可能だ」

「なんか急に話を逸らしてよくわかんないこと言い出しますね。頭良いんですか?」

「成績は良い。ってのは置いておいて。物語を分解した時の構造に当てはめてみると良いさ」

「な。なるほど」


 これで諦めて小説を書こうとする行為に挫折してくれるならそれで良い。だから俺は。


「やけに真剣に教えてくれますね」


 と、どこか儚げな笑みを見せた渚を、真っ直ぐに見れなかった。


 



 それから三日、静かな日々だ。渚は図書室に顔を出さなかった。あの子がここに来ることで続いていた関係だ、あの子の連絡先なんか知らないし、俺から会いに行く理由が無い。あの子が俺に小説未満の何かを見せに来る。それだけで繋がれていた関係だ。

 短編を書き切ることができないなら、その先に歩みを進めるなんて無理だ。小説は持久走と同じだ。少しずつ、走れる距離を伸ばしていく。三千字、五千字、一万字、五万字、十万字。

 そうやって少し、もう少しと、遠くに手を伸ばしていくんだ。書ききって、ゼロからまた書き始めて。また書ききって。それをひたすら繰り返した先に、大長編が待っているんだ。


「あいつには難しかったんだ。岩壁に文字を刻むような苦行は」


 今日も俺はそうやって納得させて。文字の海に目を落とす。文字を目で追ってはいるが、同にも内容が頭に入って来ない。結局同じページを目が行き来することになる。


「先輩!」


 あぁ、とうとう幻聴が聞こえ始めた。


「あのー、先輩?」

 俺も存外、寂しかったのかもしれないな。

「せんぱーい。今時難聴系主人公は流行りませんよ?」

「……なんだよ」


 顔を上げると、そこには常陸渚がいた。


「今日もお願いします! いやー、すいません。三日かかりましたよ。三日もかけて、五枚分しか書けませんでした」

「初めて書いたんだろ。なら。立派だ。結末まで、できてるのか?」

「一応」

「なら、立派だ」


 初めて書いて、ちゃんと結末まで持って行けるのなら、立派だ。

 正直な感想だ。嘘も偽りも無い。俺は初めて素直に、渚に拍手を送った。


「そこまで褒められると、流石に照れますね……三日前に遡りますけど、先輩と姉さん、どういう出会いだったのですか?」

「それよりも早く読ませてくれ」

「よ、読みながらで良いので教えてください」

「……ったく」


 俺は原稿を受け取ると一旦カウンターに置く。読みながら人と話せるほど、俺は器用じゃなかった。

 美鳥との出会いか。

 あれは、本当に不意打ちだったな。

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