第2話 後輩と出会い。
「あなたが秋月修先輩ですね」
そう声をかけられたのは、二年の初めの頃。桜が満開、真新しい制服を着た生徒とすれ違う機会も増えて来た頃の放課後。いつものように図書室でカウンター業務に勤しんでいた。
「そうだけど」
「私、常陸渚と言います。姉の美鳥がいつも話していました。凄い作家がいると」
「……そうか。美鳥、さんのことはその」
「大丈夫です。それに、死んでしまったわけじゃないので、そんな顔しないでください。あの姉のことです。ひょっこり起きて、お腹空いたとか言い出します」
「……ごめん」
「謝らないでください。先輩のせいではないのですから。それよりも。本題があります」
「なんだい?」
真剣な面持ち。この時の俺は、判決を待つ被告人の気分に近いものがあったと思う。
「私の小説を読んで、アドバイスが欲しいです」
だから、続いて放たれた言葉に、思わず一周呆けて何を言っているんか理解するのに、少しかかった。
「小説の?」
「はい」
「俺が?」
「お願いします」
「……その、俺はもう、小説。書いていないんだ。それに、俺に人にアドバイスできるほどの能力は……」
なんて言っていると、渚はバンとカウンターを叩き。
「あー、うるさいですね。私は、先輩が良い、って言ってるんですよ! やっても良いのか、嫌なのか、それだけで良いです。理屈なんか知りません」
さっきまでのしおらしさからの豹変ぶりに驚きながらも、不本意ながら、納得してしまった。
彼女が選んだことに口を出す権利が俺にあるわけが無かったのだ。資格があるのか決めるのは俺ではなく向こうで、俺にある選択は伸るか反るかのみだと。
美鳥の妹、か。いるとは聞いていた。小説、書いているのか。どんなものを書くのか気になった。それに、美鳥の妹だから俺は頷いてしまった。
罪悪感からなのか義務感からなのか。どちらにせよ俺は渚の小説を読むことを選んだ。俺と同じ道を歩ませないように導ければ良い、そう考えていた。
しかしながら。そんな出会いから二か月も過ぎて。
「……今日も来たのか」
俺は少しばかりうんざりしていた。
「はい。よろしくお願いします! 先輩、ちゃんと寝てます? ご飯食べてます?」
「最低限は。飯はちゃんと食ってる」
「はえー死にそうな顔してますよ。あっ、いつもですね」
「やかましい」
この賑やかな後輩は、致命的なまでに変なものを書いてくる。
「おい、会話が突拍子無いぞ。告白してるんだよな。放課後の教室、手紙で呼び出した女の子に告白。まともなシーンだなと思ったら、なんで急に美味しい味玉の作り方書いてるんだ?」
くそっ、絶妙に美味しそうなレシピなのが腹立つ。
『沸騰したお湯に6分から7分』つまり、半熟だよな。好みだ。『醤油みりんは各大さじ5、砂糖大さじ2、水大さじ5、おろしにんにく小さじ1』簡単に用意できそうだな。
『これらの調味料を沸騰させて粗熱を取ったら冷えた茹で卵と一晩寝かせる』と。
「丁度このシーン書いてる時にたまたま知ったんですよね」
原稿用紙二枚程度の会話シーン。珍しくまともだなと思ったら、もう一枚目は完全にレシピ紹介だ。実質一枚分しか内容が無い。
「結構美味しかったですよ」
思い出したのか、チラッと覗いた舌が唇をなぞるように動く。
「そーかよ。って、試したのか」
「食べたいですか? ゆで卵ですからねぇ、傷むの怖いですね。今度家に来ます? 作っておきますよ」
「行かねぇ、いらねぇ」
だけど家に帰ったら試してみたい衝動が芽生える。そういえば、美鳥も料理、好きだったなぁ。何回か弁当を作って持って来てくれたのを思い出した。正直とても美味しかった。
渚は白紙の原稿用紙を差し出してくる。
「では、いつも通り。お願いします」
「はぁ。情景描写と心理描写を付け足すくらいだぞ」
初めての時もそうだった。渚の酷い小説未満の何かにツッコミを入れた後、白紙の原稿用紙を差し出してきて。
「書き直して欲しいです」
と言って来た。自分が書いたシーンの手本を見せてくれと。
俺はもう小説は書いていない。そう言っても聞かなかった。
「教えるって言ってくれましたよね、先輩」
だから俺は書いた。それからは繰り返し。毎日、毎日。二か月間。渚は持ってきた。ティッシュ代わりに鼻を噛んだ方がまだ有用性のある紙を。
「今日もお願いします!」
なんて、夏の太陽よりも眩しく笑いながら。
「ねぇ、修君」
「なんだ?」
「もっと色んな人にも見せなよ。こんなに素敵な物語なのに」
「良いよ。美鳥が読んでくれるだろ。俺には、多くの人に認めてもらえるだけの才能は無い」
「読むよ、勿論。でも、もっと色んな人に見て欲しいな」
「なんで?」
「んー。本を読む人の本能、かな。素敵だと思った物語は、色んな人に読んで欲しい」
なぁ、美鳥。
お前がいなくなってから、頑張ろうとは思ったし、頑張ったよ。
でも、ダメだったよ。
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