第81話 防壁の彼方に太陽は沈む

王都の主要道路の脇を人々が埋め尽くしていた。

魔物討伐遠征から帰還した勇者一行を歓迎する花道ではない。

夏祭りの神輿を待つ見物人でもない。

引かれてくる咎人を眺める野次馬であった。

その咎人は、中央拘置所から引き出されて王都の南側を浅い円弧を描くように引き回される。拘置所は王都南東部にあり、そこから道なりに【フェルボア町】、【カスガイ】、【パンカレ金物町】、中央通りを横切ってから【ハーセン】、【トト・ビジュカーレ】まで引かれていく。トト・ビジュカーレは【死神の濡れ指】という意味だ。王都の公式処刑場がある町で、特に極刑を受ける咎人が送られてくることが多い。群盗の頭目や国家反逆に加担した者、前科が多い者などはここで公開処刑が行われる。日本で言えば小塚原、もしくは鈴ヶ森だ。

市中引き回しと言えば極刑として馴染み深い者だが、種類は恥辱刑にあたる。あくまで最後に待っているのは打ち首獄門……この世界では板越しに背中を串刺しにされる【背磔】である。死骸は三日間、百舌鳥の早贄のごとく放置される。投げられる石で顔は変形し、目は鴉に突かれ、風雨にさらされて、蝋のように灰色の残骸が片づけられて罪人塚に放り込まれるのだ。


「引かれてきたぞ!」

「あいつだ、あいつらだ!」


罪業の報いを受け土壇場へ向かうのはヒルウィレム・ケインとリーファル・ザルクエイ。二人は腰巻一つ身に着けていない。もう既に死んでいるような青い顔で視線を下げながらとぼとぼ歩いている。

石くれヒルウィレムの頬に当たった。罵声と共に、砲弾のごとく飛来する。王府の役人、それも高官がこんな公開処刑を受けるなんぞ滅多にあることではない。


「見ろ。飛ぶ石の数は、国民の不満の数だ」


夏日の下、荒れ狂う民衆と押しとどめる警察を眺めながら、カルテは自戒するように言った。

この場だけ見れば、死人に鞭打つような外道行為にも思える。それはきっと、正常な価値観なのだろう。

では、国民が正常な価値観でいられなくしたのは誰なのか?

答えなんぞとうに出ている。

傍らには篤哉、フウラ、バニリスがいる。


「そういえば、先日廊下でディアル殿に話しかけられた」

「なんと」

「へえ。隼は爪を捥がれて怒ってたか?」

「ヒルウィレムなど、ディアル殿の爪の垢にもならぬ。奴の爪はあくまで奴よ」


そう言って回想する。


*****************


日の暮れ泥む夕方、城壁の線の向こうから辛うじて日の光が届く頃合い。

カルテは仕事を片づけて、久しぶりに帰宅しようとしていた。

近々二人が帰ってくるはずだし、そうでなくとも娘と大分顔を合わせていない。賢く育ってくれた娘だが、すでに二十歳も超えていつ家を出るかわからない。父親の立場が立場なだけに浮いた話の一つもないが、それでもいつまでも独身というわけにはいかないだろう。娘が安心して嫁に行ける国に一刻も早くせねばならないと思うし、それはきっと寂しいだろうなと一人前に父親の顔になってみたりもする。カルテの個人的には篤哉と結ばれれば家も出ずに済むと思うが、それは当人が決めることだと口にださない。


(父親というのは、娘に忘れられる日を恐れて生きる小さき器よ)


自嘲もする。脳裏に、愚痴を述べる前に早く帰ってあげなさいと厳しくも優しい女性の声が聞こえた。

カルテの亡妻、オルセラの声だ。

声だけでなく、気配も感じた。曲がり角からぬっと体が飛び出す。夜の一歩手前の暗い日差しに、くすんだ赤毛の僅かな彩度。

鷹の爪持つ隼、ディアル・ラグランジュ。

彼は、隼どころか雀ほどの邪意も感じさせずに明るく話しかけてきた。


「いやはや、遅くまで大変ご苦労様ですカルテ殿。拙者の不始末で迷惑をかけたというのに挨拶もままならず……」


そういって頭を下げた。カルテは真意を測りかねたが、少なくとも遺恨を残すつもりはないらしい。

暗くて見えにくいが腰にはカルテと同じ玄綬の牘がぶら下がっている。

経済大臣、司法大臣、軍務大臣、国務大臣。この四人だけが持てる、王家の紋入りの木札だ。

カルテも黙って立ち去るわけにはいかない。


「気にしておらぬ。気遣いは無用」

「それはありがたい…いやはや拙者もやれ隼だ鷹だと煽てられて調子に乗っておりましたぞ……恥ずかしや、あのような躻者を重用してしまうとは」


世渡りがうまい男だ。下手な小細工を弄するより、こうして頭を下げてしまう方がやりやすいと考えたのだ。この件、ディアルにつながる証拠は何もない。実際、違法奴隷にもヒルウィレムの横暴にも一切関与していないのだろう。ディアルを攻撃する手段がほとんどないのだ。こうして先手を打って謝られてしまえば強くは言えない。


(まあ、いい。今回の黒幕はほぼ確定しているのだ。まずはあの男を落とすのが先決)


「せめてもの侘びだ。後で面倒なことがあれば助力いたしますぞ」


その黒幕の存在は既にディアルも知っているのだろう。ディアルにしてみても不穏分子である。排除するならば手を貸すぞと言ったのだ。


「その時は頼み申す。急ぐ故」


会話を打ち切り、城外へ急ぐ。ディアルは追いかけてこなかった。

地上では既に太陽が城壁の向こうに隠れていた。


*****************


「狡猾な男だな」


そう言いつつ、どこか違和感を覚えた。ディアルという男をよく知らないが、ヘラやヒルウィレムとは一線を画す、悪党であっても違う種類の人間である気がする。

カルテの言葉の節々から、ディアルをどこか敬っている気配がするのも気になる。それは単純に政治家としての力量の話か、それ以外の何かか、わからないが。


「あつや。あの人たち」


フウラが小声で言う。視線を向けずに指さす先にはこちらを悔し気に睨む二人の男がいた。

既に罪人行列は通り過ぎて人影は疎らだ。通りには石くれが散乱している。これを片づけるのは町役人の務めだ。流石に兵士の仕事ではない。

醒めたようにその場から離れていく群衆の中で、二人は動かなかった。

若い男はフェルトケ・ヤムジン。城門前でバニリスに悪態をついた元同塾生だ。

隣で街頭に肘をついている中年の男には見覚えがない。

だが、もし引き回し中のヒルウィレムが下を向かず顔を上げていたら、きっとすぐに発見して反応したであろう。ボゥ・ズレベシャ郊外の竹林、荒れ茅の粗末な庵で何回も会った。


「カイロア・メイドルニテだ。典型的な傲慢役人。そして、後ろの馬車」


フェルトケとカイロアの少し後ろに黒塗りの馬車がある。ここからは中が見えないが、カルテには中にいる人物に心当たりが、いや確信がある。

ヘラを使い、ヒルウィレムを抱き込み、違法奴隷で巨額の利益を得ている人物。


「ファラントラ・ジヴァディア。奴隷大臣だ」


奴隷は、れっきとした法律で定められた身分である。法律で定められている以上、どれを司る王府の役職がある。正確には大臣ではないが、奴隷大臣と呼ばれるのがそれだ。

違法奴隷を取り締まる組織の長が黒幕だった。胸糞悪い話だが、これほどしっくりくる構図も無い。

カルテは睨み返しながら、決然と言う。


「今はまだ手が出せん。証拠がなく、ヒルウィレムも口を割らなかったからな。だが、ワシはあやつを野放しにはせんぞ。人を騙して貶める所業は許さん」

「調べるか」

「……いずれな。篤哉、しばらくゆっくり休め。そうだな、もうすぐ城下で祭があるはずだ。気晴らしにでも行くといい。祭が終わるまで、少し肩の荷を下ろせ」

「その言葉、爺さんにも返す」


もはやこの場にいる意味もない。剣呑な視線が背中に突き刺さる中、四人は家に帰る。


「あつや。祭は一緒に。いい?」

「ああ。……祭、か」


毎日がお祭り騒ぎみたいな感じだけどな……と思う。

血の臭いも刃の火花も無い無邪気な祭りを楽しみたい。

そんな平和な祭をフウラと共に巡れたら楽しいだろうなと夢想する篤哉であった。






【防壁編 結】

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