第80話 我が家へ帰宅

和毛がちりちりと音を立てるように、太陽は今日も盛大に働いていた。

偽物なんだからもうすこし怠けてもいいのになと思う。

ケリウィズ関山の三関を抜けて、山道を下れば頭上の緑は薄くなる。


「眩しい」


フウラが思わず漏らした。

久しぶりに山の南へ来てみれば、気候の違いがはっきりと判る。北の、地面から水分がじわじわと昇って巻き付くような熱気と違い、王都付近は太陽が直接攻撃しているような、より短絡的な猛暑だ。

乾いた空気を吸い込んで、鼻道を焼く。この世界に馴染みを感じるほど過ごしていないはずだが、懐かしさを感じるのはなぜだろう。

命がけの生活が、今まで送った十六年よりも密度が高かったのは間違いない。家に帰ったら風呂に入ってさっぱりしたいものだ。

フウラは相変わらず適当なメロディの鼻歌を奏でながら、時折風鈴の音を響かせる。篤哉の耳に、りぃんりぃんと軽やかに涼しく溶け込んだ。

炎天道中、変なものを見た。

直径一キロに及ぼうかというほどの大穴だ。来るときにはあんなものは無かったはずだが。

同じく穴に見入っていた中年の女性が話しかけてきた。


「おやまあ、お前さんたちもコレが気になるのかい?」

「そりゃあな」

「星が落ちた?」

「それがね、そうなんだよ。いや、あたしも眉にツバ付けて聞いたんだけどさ」


意外なことに、というか予想通り、というか、星を落としたのは人間だった。

異世界といえど星を落とせる人間はそう多くない。夏祭り会場の財布のようにぽとぽと落とされては、整地する人間が過労で死んでしまう。涙も流さず土を運んでいるのは労働奴隷ではなく王国の下っ端兵士だ。兵士は公務員なのでストライキ権が無いのだろう。そもそも経済大臣が徹夜で働いている国に労基が機能しているとも思えない。

おばさんは、流れ星は願いをかなえるらしいけど地面に落ちてからも有効なのかねえ?と聞いてきた。


「詳しくは知らないけど、三秒ルールってのを聞いたことがある」

「なんだい?それは」

「落ちてから三秒立つまでは落ちたことにならないって法則」

「じゃだめだね。三秒どころか三日以上経ってる」

「ざんねん。おにく」

「流れ星に肉を願うな。王都に変えればセルビアが用意してるだろ」

「セルビア……じゅるり」


フウラのお腹が北山時雨のようだ。気さくなおばさんに挨拶して、急ぎ足で駆けだす。二人の足なら夕方までに王都の門を潜れるだろう。

足の動きに合わせて振る篤哉の手は握られている。掌中には自分の命を救ってくれた紫色の守り石。これがなければ心臓が爆砕していたのだ。感謝してもしきれない。

城壁がみるみる内に近づいてくる。

城門にたどり着き、兵士が煙草をすっている詰所の前を通り、隧道のような門下を歩く。予想はしていたが物凄く暑い。

隧道を抜け、二人は城下へ帰還した。


「あつや。おにくが待ってる。寄り道しないで行こう」

「寄る場所なんて無い。帰らなきゃな、家に」


そうして、我が家に帰宅した。

そう、我が家だ。

眇がぎょろぎょろ動き回っても、皮肉屋で不謹慎な冗談を言っても、不適合者でも受け入れてくれる我が家。


扉の前で一度止まり、軽く呼吸をする。不思議なことに吸った息がまるで熱くなく、むしろカヴィネシアの風のように澄んで篤哉の中身を清めた。

垂れる紐を引っ張り鈴を鳴らす。

足音がして、一瞬静寂、扉が開く。玄関先の端で岩擬宝珠が揺れた。

セルビアの紺色の髪が眩しい。菫花のような瞳が潤んでいる。


「篤哉、さま……」

「ただいま」

「おかえりなさいませ。お帰りを心からお待ちしておりました……本当に良かった」

「くんくん」


感動の生還の感傷に浸ることを、フウラの空腹が許さなかった。

篤哉は苦笑して、食事の準備を頼むと言った。そして頭を下げるセルビアに近づき、白い手をそっと取った。

華奢だが、ところどころに硬い肉刺がある。薙刀の稽古を欠かしていないのだ。その手の上に、ぽとりと硬い物を落とした。守り石の片割れだ。


「いろいろあった。食事の席でゆっくり話すが、まずはありがとう。これのお陰で助かった………石の片方は持っていてほしい」

「………はい」


篤哉の手が離れても、セルビアは守り石を見つめ続けている、やがておもむろに手を閉じ、ぎゅっと握って、旦那様を呼んで参りますとその場を離れた。

廊下を左に曲がった場所で、キリカに遭遇した。


「おかえりなさい、フウラ、篤哉」

「……ただいま」


キリカが篤哉を呼び捨てにした。既に一家の一員として認めてくれている、ということだ。

胸にこみあげる、焦熱太陽の何百倍も熱い涛が、篤哉の視界の靄となった。

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