第76話 快刀、縺れた白布を断つ

腹立たしいほど泰然自若、太々しい顔で、餅屋ことヘラ・クスクスは篤哉を出迎えた。

襲撃を予期していたようで、警戒兵など一切おかずに、広大な牧草地に大勢の群衆を用意して待ち構えていた。

群衆は千に届きそうな数の奴隷だ。数は多いがみな牛蒡のように痩せ細っているせいで百人分の生気も感じられない。

これだけ見栄を張った決戦の場に、篤哉は一人で踏み入った。牧場の扉を両手で開け、自ら退路を断つように閉めた。牧草地は格子状の木柵で囲まれている。カヴィネシア山から吹き下ろす風が、一段と激しい。柵は終始かたかたと音を立てている。

フウラは隣にいない。フウラには別の役目を頼んだ。ヘラ・クスクスとの決着は、篤哉一人でつけたいと思っている。それが、馬庭篤哉が私兵ゆうしゃになるための最終試験だ。木屑にも劣る一人の男の執心がどれほどのものか、太々しい顔に叩きつける。


「よくぞ来た。お宅ほど俺に食いついた猛者は曠古比類なしだ」


まるで千年の時を生きた賢者のような口ぶりでそう言った。喉が枯れた鴉のような、邪悪とも繊細ともとれるような声質だ。

愉快そうに、でも笑わない。笑っているのかもしれないが、口も動かさず声も出さない。


「出でよ。アーシャウモ」


呼び声と共に、これまた因縁の相手が姿を見せた。姿を見るのは初めてだ。だがその独特かつ濃厚な魔物の気配と、気味の悪い笑い声は覚えがある。


「クキキ。楽しみにしていたぞ。オマエの首を吊る瞬間を」

「お前は……」

「ク。ただの獲物には名乗らない。でもオマエには名乗ってもいいかな」


皺の多い頬も、対照的につるりとした額も焦げたような茶色だ。頭には短い一角。白い服を着ているように見えるが、それらは全て包帯のような白布だ。長い指が蟲のようにうごめき白布が涎のように垂れている。白布以外で唯一着用しているのは深紫色のマントだ。今日は風が強く、ぱたぱたと靡いている。


「【吊り鬼】アーシャウモ。第五象限【鬼異族】の元工作隊長だ」

「魔王軍幹部だったか」

「クキイ。元、だ」


鬼異族といえば、【戦鬼オーガ】や【雷響鬼アレキサンダー】などの純然たる鬼や【戦巨人ヘカトンケイル

や【無脳破鬼ウェンディゴ】などの巨人、半機械系や精霊系などの異生体が知られている。


「元、か。不適合の烙印でも押されたか?」

「クキキ。まあそんなところか」


適当に言ったが、追放理由は篤哉と似たようなものだった。

鬼異族は基本的に愚直、蛮勇を尊ぶ。特に「鬼」の方はそれが顕著で攻撃のスタンダードは殴打、刃物を使うのは二流で遠距離武器は三流だと蔑まれる風潮がある。特に絞殺という手段は異端視されており、アーシャウモは鬼の不適合者として遇されていた。


「まったくなあ。体裁を本質より優先させるアホウには愛想が尽きた。クキ。それで人間に雇われるまでになったのさ」

「何だ、自分から抜け出したのか」

「フン。仕事を遂げても気を利かせても姑息な吊り鬼と呼ばれて、気力も執着も失せた。オレはこうして生き物を吊るのが好きだ。ほうらほうら。クキキキキィッ」


気の昂りに呼応するように、白い涎に命が宿る。蛇の鎌首にも、死神の裾にも見える。

ヘラは表情筋ひとつ動かさない。周囲の群衆も死んでいるかのようにしずかだ。

ヘラが群衆をこの場に置いた理由は明白だ。篤哉のような強者も、自分に逆らえば首を絞められ失禁しながら死ぬ。ヘラ様に逆らうことの愚かさを、従うことの賢しさを洗脳おしえようというのだ。


「クキ。勝負、行くか」

「ああ」


篤哉の既に白布は吹く風に関係なく舞っていた。篤哉の左目が留まることなく白布の動きを観察する。

環状になり、一撃目が飛んできた。右上からだ。

少しでも距離を詰めようと左前に跳ぶ。視界を遮ろうとする白布を刀で払う。


(硬い?)


いや、硬いのではない。白布の素材はわからないが、切り裂こうとしたときに感じた手ごたえは続飯付けに似ていた。

続飯付けの感触は、馬庭念流傳書に「張り板に茶筒の蓋をするが如し」と表現されている。相手の攻撃の推進力を無にし、粘っこい餅が詰まった臼の中に刀を突っ込んだような抵抗を生じさせるのだ。白い布はまさしく力を入れれば入れるほど斬れぬ餅であった。飼い主の餅屋も満足げだ。


「ち」


軽く舌打ち。あの白布は防御にも使えることになる。魔法がかかっているのだろうか。

厄介極まりない餅が束になって襲い掛かってきた。勿論狙うのは首だ。

篤哉は自分の首を刎ねるような構え方をする。餅の、白布の進路を絶妙に邪魔して、全て刀身に絡みついた。

物凄い力で引きずられる。足腰を総動員して踏ん張っても、靴裏の摩擦が追い付かない。牧草を削ながらずりずり引きずられる。

荒たな餅が襲い来る直前で刀を手放した。猛スピードで刀は飛んでいき、ヘラの手前の地面に深く突き刺さった。ヘラの眉が、かすかに動いた。


「得物を手放すか」

「日本には脇差って文化があるんでね」


腰から脇差を抜き放つ。すかさずそれを絡めとらんと白布が蛇の大軍のように押し寄せる。

白布が黒い刀身に巻き付いた瞬間、篤哉の口元に微笑が浮かんだ。アーシャウモは怪力を駆使し引っ張った。

抵抗はまるでない。|が、一直線に引っ張られて飛んでいった。

鞘ごと抜くと予感していなかったアーシャウモの動きが一瞬止まる。

その隙に、篤哉が神速で駆け寄る。慌てて餅の防御を試みる吊り鬼。

走り寄る篤哉、幾重の白布が殺勢の防壁を作る。

カヴィネシアの颪は勢いを増すばかりだ。追い風にあおられるように、篤哉がはしる。

脇差が、突き出された。


「……」

「……クキキ」


切っ先がアーシャウモのはみ出ている。人間より赤さが濃い血が流れ、牧草の地面に模様を描いた。

篤哉はアーシャウモの左隣で片膝をつき、右手で逆に持った脇差を背中に刺したまま静止している。ゆっくり、抜いた。

ブシャアアと破裂したように血が撒かれる。白布が暴れ、最期は自分の首を絞めるように何重にも巻き付いて、倒れた。

流れた赤き血が、ゆっくりと移動する。血の臭いも驚きも、強風が吹き飛ばすようだ。


だが、ざわめきまでは消せない。千の群衆の声だ。恐ろしい吊り鬼が殺られた。もしかしたら、ヘラすらもやっつけてくれるんじゃないかという希望。


ヘラ・クスクスにとって、摘み取り散らす欲望を抑えられない、滑稽な絶望きぼうだ。

一人乾いた拍手をするその顔に、見てわかるほど満足げな笑みが浮かんでいる。

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