第75話 リトリの村

クルガウはリトリという鄙村の農夫だ。歳を食っても足腰の衰えが無いのは農作業で培った体力の恩恵だ。

リトリは小さな村ながら、神か造った山と湖に囲まれた豊穣の地。作物は高値で取引され、それなりに裕福な農民が住まっていた。

平穏を言葉のまま抜き出したような村にも、防壁が呼ぶ悪意の波紋は及んだ。

ある日、国防工事総監の使者がやってきた。篤哉と因縁深きロベルト・フィレンツだ。

案内も請わず横柄に村役場へ押し入ったロベルトは一方的に通達した。


「防壁工事の効率を融通するためカヴィネシア湖の水を引くことになった。その溜池の設置場所がここ一帯と決まったため村人は三日後の正午までに退去するように」


青天の霹靂とか瓢箪から駒とか、そういう表現では足りない。青天に凶星が現れ、瓢箪から邪神が顕現したような、降って湧いた理不尽。村は大混乱だ。

そして、三日後の大惨劇につながる。

ロベルトの言葉を半分脅し文句ととらえていた村人は、三割ほど退去して、七割も留まっていた。その七割が、三日後どういう目に遭ったか。ロベルトの悪辣を知っている篤哉、フウラに想像は難くない。

七割の内半分はその場でまつろわぬ者と斬り殺され、焼き殺され、踏み殺された。残った半分は逃げ惑うも、逃げ切れたのはクルガウの一家を含めて数世帯だけだ。逃げ切れぬものがどうなったか、この時はまだ知らなかった。


「おら達を守る防壁が、どうして牙をむくのかわかりませんでした。孫が、どうしてどうしてと泣いて聞くのにどう答えればいいのか……」


そんなの俺にもわかるか。人が何かにかこつけて他人を踏みつぶす理由なんて、根っこは馬鹿らしい糞理論に決まっている。

その後、クルガウは息子夫婦、四人の孫を連れて、村にほど近い小屋でささやかながら生活していた。嫁の腹にはすでに五人目が宿っていた。逃げた村人はイラカやボゥ・ズレベシャに移住したり、別の農村に厄介になったり、他領へ引っ越したのもいる。だがクルガウ達はどうしても村から離れがたくて、どうしても近くにいたかった。


「ある日、おらは息子を連れてカヴィネシアに登りました。禁を破ったことになりますが……罰が当たってもいい、カヴィネシア様に、村を元通りにしてくだせえと祈りに登りました」


カヴィネシア山は割と険しい。オドルカのように登れもしないほどの急峻な岩山ではないが、慣れていない人間には厳しい登山だろう。二人は手を取り合い、神気に導かれるように進んだ。

上へ上へと、無我夢中で登ると、突如視界が開ける。

そこは崖の上だった。崖下に、巨大な黒い防壁やきらきらかがやく湖、自分たちが住み暮らしたリトリの村が一望できた。

見てしまった。リトリの村を。


「たまげました。カヴィネシア様が願いをかなえてくれたのかと思いました。でもすぐにおかしいと思って、息子が様子を探りに行くことになりました」


その際、嫁が一緒に行くと言い張った。身重の体をいたわれと何度も言ったが頑として聞かない。木こりの娘だった嫁は、言い出したら地に根を張ってでも動じない。絶対にあぶねえことするなよ、孫を親なしにするなよと言って送り出した。


「帰ってきたのは、息子だけでした」


最早哀しみも尽きたようで、力なく淡々と語る。聞こえる嗚咽はクルガウではなく孫たちのものだ。

ごりごりごり、ととんでもない音が聞こえてフウラは篤哉の方を見た。

今まで見たことがないほど、篤哉の顔が歪んでいる。聞こえたのは歯軋りの音だ。

我慢ならないと拳を振り上げて、一瞬落とす先を迷い、硬い石の床に叩きつけた。


「あつ、や…」

「そうか……くそ、そういうことか」

「どうしたの」

「道理で見つからないわけだ………くそ」


これはあまりに惨い。人が傷つくことが、こんな簡単に当たり前になっていいものか。


「何が魔物だ、魔王だ。悪逆非道でヘラ・クスクスに敵うやつはいないだろうな……」

「あつや」


ぎゅっと、小さな両手が篤哉の叩きつけられた赤い拳を包む。怒りと痛みで真っ赤なのに、酷く冷たい。雨に濡れた骸のようだ。

篤哉は深呼吸をして、クルガウに真相を確かめた。


「リトリの村は、んだな」


クルガウが首肯した。

リトリの人口は二百に満たないほどだったという。ヘラの住まい探しのためだけに三桁の人命が吹き飛んだのだ。


「それだけじゃないんです。息子夫婦は村で、ヘラが農場や牧場を営んでいるのを見ました」


その時はまだヘラ・クスクスという人物の事を知らなかった。厳しい警戒をなんとか掻い潜り村に忍び込むと、そこに見えたのは、まるまる肥えた家畜、元気に育った野菜、それらを世話するやせ細った人間もどきだ。

その人間もどきの中にかつての村人の姿を見た二人はパニックになって逃げだした。そこを警戒中の奴らに見つかり、嫁は矢が腹に刺さって中の赤ん坊もろとも死んだ。


「それで息子は、王都へ行くと言って旅立ちました。丁度雨季で、体を刺すような雨が毎日、毎日降り注いでいる季節で……それでも、たどり着いて、こうやって、こうやってぇ………」


こうやって、篤哉たちを呼び込んだ。

もしかしたら、全てカヴィネシアの導きなのかもしれない。カヴィネシアがオドルカ、クラナドすら巻き込んで篤哉をここまで来させたのかもしれない。

そんな事を考えてしまうのは閃証石の光に包まれているせいか。

どちらにせよ、ヘラはこの手で斬る。ロベルトも始末する。


「村へ案内してくれ」

「っ!ありがとう、ございます」

「あつや、大丈夫?」

「ああ……大丈夫。心配かけたな」

「うん」


外に出る。日は既に昇っていて、行く先を照らしている。


「あの林を進むと、小規模の崖があります。崖沿いに左回りに歩くと坂がありますんで、そこから……」


言葉は続かなかった。篤哉が掌底で突き飛ばしたのだ。鋭い炸裂音と共に、クルガウの背後の岩肌がガラスのように砕けた。

遠くの馬上でロベルトが高笑いしている。となりで、声をたてずににっこりしているのはジョゼフ・ミナリータだ。


「見つけたぞ、今度こそ邪魔者を消せ!」

「皆様、毎度クスクスにご協力賜り感謝の言葉もありませぇん!この度もどうか、よろしく願いします」


篤哉は目を細めて、クルガウに手早く告げた。


「俺とフウラは突っ切る。クルガウさん。あんたは孫たちを連れて逃げてくれ。そうだな、イラカの天慈館に逃げ込めば安全だ。馬庭篤哉の名前を出せば拒みはしないはずだ」


名前を出さなくてもあそこは意地悪なことはしないだろうが、念のために伝える。

クルガウは一度深く頭を下げて、孫たちに走るぞ、と言った。


「いく?」

「行く」


走りだす。捷い。迅い。旋風も驚く速さだ。

ロベルトはぎょっとした。早くて狙いが定められない。ぱんぱんと二発連続で撃つが、見当はずれの草地を穿っただけだ。

怒りに塗れた刃が舞い、篤哉が横切った数人の兵士が馬から落ちて血を流す。足首や膝が切断されている。


「くそっ」


背中に向けて、なんとか一発打ち込んでやろうと銃口を向ける。鉄の竹の、最期の仕事だ。引き金に手をかけ、狙いを定めるスコープ越しに奇異な動きを見た。

高速で走りながら、フウラの手から二巻の風が流れる。振り向きもせずに雁裂を投げたのだ。


「うおぉ!」


ロベルトは咄嗟に鉄の竹で払った。運よく体に傷はつかなかったが、長年の相棒はばらばらの鉄屑と化して蹄の側に転がった。

だがもう一陣の風は、防ぐ物を持たないジョゼフの首筋を真っ向から襲い、笑い顔を浮かべた首を空中に飛ばした。

首無し胴体が傾いで落馬する。飛んだ首は鉄の竹の残骸の側に落下した。

配下が戦慄する中、ロベルトは悔し気ながら、安堵の笑みを浮かべた。


「ふん。あいつら、ヘラを襲う気か。ならこちらが手を下す必要もないな。ヘラを害する奴なんていない……鉄の竹で始末できなかったのは残念だ」


ロベルトは手綱を引いて、ボゥ・ズレベシャに戻っていった。

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