第74話 カヴィネシアの光

はたして、ロベルトが目論んだとおりに篤哉とフウラは追われていた。

背後から迫る軍勢を見て、忸怩を覚える。

一方で、これはどうしようもないなと諦めもつく。ボゥ・ズレベシャという市全体が統制下にあったのだ。予想していなかったわけではない。ただイラカ市長の毅然な様を見て、ボゥ・ズレベシャもきっと大丈夫だと勝手に合点していたのも確かだ。

どちらにせよ、あそこに踏み入った時点でこうなるのは決まっていた。なら、するべきは反省ではなく活路を見出すことだ。

追手の中には、それなりにやる気があるロベルトの配下と、やる気がない市民の二つが混成している。それは二人にとって僥倖であった。士気に差がある混成軍を使うのは駑鈍どどんな将の行為だ。

篤哉もフウラも逃げ切る自信があった。あえて低木が繁る林へ踏み込み、馬が追ってこれないようにする。後ろで馬上の指揮官が罵声を吐くのが聞こえた。

追手を避け、林の中を彷徨う事二時間ほど。流石に疲労を感じた二人は、十分に警戒しながら林を抜けることにした。具体的な場所はわからないが、ボゥ・ズレベシャの北西あたりにいるはずだ。カヴィネシア山にも近いに違いない。実際に頬を撫でる夜風は、数日前感じた神々しさを孕んでいた。


「っ!」


夜風に混じり、気配を感じる。風が乱れるわずかな気配。

敵意は感じない。相手もこちらの気配をうかがっているようだ。

顔を見せない探り合い。篤哉の眇が黒猫のように光る。

フウラは、手に構えた雁裂を腰に戻した。篤哉も刀の柄を離す。敵ではないと見た。

暗闇、茂みの向こうに手招きする五本指がうっすら見えた。警戒しながら近づく。


「おいで、なせえ」


驚いた。気配からそこそこの人物だと察していたが、夜目に浮かび上がったのは随分と歳のいった老爺だ。眼光炯々、剛弓から放たれる矢のような触れれば弾けそうな目つき。

黙って手招きに応じると、老爺は闇の奥へ歩き始めた。どうしようもない。黙って着いていく二人。

ボゥ・ズレベシャの人々はどうも愛想がよすぎた。愛想の裏に警戒心が隠しきれていなかった。宿場での接客を見て、これは何かあるなと確信したが、なるようになるだろうと思って気づかぬふりをした。こうして逃げる羽目になったが、向こうから手を出してくれたのは収穫かもしれない。ここからは、お互い全力の闘争になるだろう。

目の前をずんずん歩く老爺は、警戒心を隠さない分隠しているものも少ないんだろうなと安心できる。勿論無条件に信頼しているわけではない。すぐにでも応戦できるようにしている。

林を出た。夜風は涼しく、より激しい。空にはほぼ糸のような消えかけの月が浮かぶ。

篤哉の左目が月下の黒影に釘付けになった。


「近づいたと思ってたけど、これが……カヴィネシア山」

「すごい」


夜でも、その神気は耀かんばかりだ。人間がめぐらす悪謀姦凶など、あの山の岩に敷かれて砕ければいい。それだけの力があるように思える。流石、神の愛が造成した山だ。

老爺は山の方へずんずん進む。いったいどこへ向かうのか。

山から流れる小川を渡り、丈が高くなってくる草を掻き分けて進む。

足腰の丈夫な爺さんだな、と半ば感心した。これだけ歩いて重臣がぶれる様子もない。

草を掻き分け、カヴィネシアが目の前に来たところで目的地に着いた。


「洞窟」


フウラが簡潔にその場所の名称を答えてくれる。カヴィネシアの一角に穿った洞窟だ。


「入ってくんなさい」

「ああ」


左右を警戒し、見る者がいないと知ると二人を中に招き入れた。

やはりというか、ひんやりしている。

棲家に戻って気が緩んだのか、老爺の口が少し軽くなった。


「もともと、獣肉なんかを腐らせねえために保管するほらでした」


と、そんな事をぼそぼそ語る。歩く様子は泰然としていて、同時に憔悴しているようにも見受けられた。

視界が開けた。眩しい。開けたスペースの真ん中に、光を放つ水晶のような丸い石が安置されている。魔鉱の類だろうか。


「【閃証石リバースゴッド】です」

「え」


神が生まれる時に放たれる光を閉じ込めた稀少な魔石だという。その光が照らす空間の一隅に、子供たちが固まっていた。痩せこけた骸骨のような子供たちだ。

何となく、話が見えてきた気がする。

老爺の瞳は石の光に負けぬほどの気概を持って、篤哉に問いかける。


「二人は、王都からやってきたんでございますか」

「……そうだ」


襲撃を予知していた篤哉はバニリスやカルテの署名入りの書付をちゃんと掴んで逃げてきた。

この際隠しても仕方がないと、それを見せる。

文字を見た老爺は何が込められているのか、長い息を吐く。肺腑の空気をすべて吐き終えた後、篤哉に目を向ける。


「私は、クルガウといいます。息子の……こいつらのおとうの願いは、届いたんですねぇ」


そう言って流す涙は、神の光に触れて宝滴のようだった。

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