第73話 竹林の刺客

明朝、妖怪から逃げるようにマケリアを後にした。

振り向けば乳白色の貝殻のような壁が朝日に映えていた。狐に化かされたような心持で、道を歩く。湿潤な気候だ。本日は太陽の照りが抑えめで、風も良く吹くので歩きやすい。

ところどころに武装した兵士や、傭兵らしい風体の人物が見受けられた。魔物の気配もする。地面を見ると不自然に焦げたような跡や人間の力ではありえない角度で抉られた岩があり、脅威は一つでないことがわかる。


「……」


篤哉は防壁について考えていた。

飛翔する魔物も存在する。この第一象限は【畜生族】、獣以外の魔物魔族はほとんど姿を見せない。聞いた話では、第四象限は限りない空が広がり、縦横も高低も無く飛び回る【空司族】の象限らしい。人間が石や金属を積んで固めて作った壁がどれほどの力になるのか。おそらく廃寺の破れ障子ほどの役にも立たないだろう。

だが、少なくとも人々の心の支えにはなるのではないか。

篤哉は三日月形に刳り貫かれた地面を避けながら思う。凶暴な魔物が徘徊する土地、時代。量産勇者と雖も北の国境近くまでたびたび魔物退治に来てくれるはずがない。清月の掟で冒険者を雇うことも禁止されている。抵抗能わぬ強大な力に対してできることは、自分たちを守ってくれる強大な何かを目に見える形で造成することなのではないか。たとえそれが張りぼてでもまやかしでも、無意味なことではない。


間違っても、その防壁のために苦しむ人がいてはいけない。


二人は半ばにある木賃宿で夜を明かし、猫が目を細めたような月が沈まぬうちに出立した。昼頃にはボゥ・ズレベシャに到着したい。


太陽が顔を見せるとほぼ同時に、篤哉はズレベシャの代名詞でもある竹林のもとを歩いていた。節と節の間が長く、葉が多い。竹の他に笹もある。歩けば緑に隠れるように建物が点在し、北部随一の別荘地であるのだとわかる。


「でも、人の気配がない」

「そりゃあな。凶暴な魔物がうろついてて、何が起こるかわからない時期に別荘で山紫水明を楽しむ気にはならないだろ」

「うん」


だがそうなるとボゥ・ズレベシャの財政が心配だ。別荘を訪れる富豪が落とす金も、アンデルセンとの交流で潤う経済も、滞っているはずだ。そこへ現れたというジョゼフ・ミナリータ。ヘラの番頭。金をちらつかせて何を企てようというのか。

上からがさっと葉が擦れる音がした。むささびだ。

篤哉は伏せた。フウラが直立のまま跳ぶ。

二条の矢が、今いた土に刺さっている。矢が外れたとみるや二人の刺客が直刀を構えて襲い掛かってきた。黒いフードと骨のような化粧を施して面体を隠している。極彩も気色悪かったが、これも不気味だ。


「色合いってのも難しいな……おおっ」


フウラと同じスキルでも持っているのだろうか。投擲された刃は鋭く空気を裂いて竹節を割った。正確に投げながら、直刀を振り下ろす機会を狙っている。

一人がフウラに斬りかかった。刃先が白い首筋を襲う。


「ムッ」

「それじゃだめ」


斬ったはずの首はそこになく、予想もしない方向から声がかかる。

あわててそちらを向くが、腹に冷たい痛みを感じる。


「グウッ」


篤哉の剛刀が脇腹に突き刺さっていた。獣のような呻き声をあげて土に仰臥する。化粧の白い顔を、口元から溢れる血が半分染めた。

もう一人は直刀を捨てて投擲用の苦無を取り出す。出刃包丁のように鋭い。

フウラも雁裂を擲つ。

二つの刃は中空で絡み合って墜落した。

二投目。刃を掴む俊敏さが決め手だった。

雁裂が刺客の手首を飛ばす。地面に転がる手首には刃が握られたままだ。

がさっと遠くでうごめいた。矢を放った者が逃走したのだろう。

逃げられないと悟った男はぎゅっと舌を噛み切った。


「敵もとうとう本気で俺たちを殺す気になったか」

「遅い」

「……こいつらはヒルウィレムの配下か」

「……たぶんちがう。流れの暗殺者をヘラが雇ったか、もともと飼ってたか」

「暗殺者、か」

「うん」


冒険者と同じで、暗殺や偵察に適したスキルを持って諸国を放浪し、稼ぎになりそうな噂があれば売り込んで働くのだという。暗殺者が大手を振って商売できるのはどうなんだと思うが、実際には暗殺ではなく私立探偵のような仕事がほとんどで、人間観の争いの解決策として必要悪という認識の下黙認されているのだ。


「考えてみれば俺も他人の悪事暴いて場合によって殺すわけだから、同業なのかもな」

「そうだね」

「いちおう拝んどくか」


片手拝み、場を後にする。頭上をまたむささびが滑空した。


*****************


「しくじったか」

矢の羽を嬲りながら、ロベルトは舌打ちした。その持ち主は足元で蹲って呻いている。腹部から大量に出血していて、火薬の残香と焼け付く血の臭いが満ちている。

「やれやれ、ヘラの物を勝手に壊してはまずかったか……まあいい。ヘラとて所詮は賤しい商人風情にすぎん。お前は、虫けら以下だ。煩いからもう呻くな」

指で矢を半分に折ると、両耳に突っ込んだ。

「アギャギャ」

「呻くなと言った!虫けらがぁ……」

母方が貴族出身のロベルトは、模範的な選民思想の持ち主だった。命を選ぶのは我らで、生きながらえているのは我らの厚意なのだ。そういった考え方の共鳴が、本来賤しいはずのヘラと気が合う理由なのだろう。

ロベルトは愛用の鉄の竹を眺めて、ひとつ残念そうに言った。

「そろそろ威力が落ちてきたな。メンテナンスは怠ってはいない……魔力回路の消耗か」

加速器には【加速魔法アクセラレート】と【増幅魔法アンプリフィカ】という二種類の魔法技術が使われており、二つ以上の魔法を使う魔道具には精密な回路が仕組まれている。回路の維持にも魔力を消費し、故に使用を続けると不具合が多くなる。魔道具とは、大概消耗品なのだ。非売品、密輸品なので大っぴらに修理に出すこともできない。

「また、何か便利なものを買ってもらわなければな……お前はよく役立ってくれた」

いくつもの命を散らしてきた引き金を慰撫すると、何もない空間に狙いをつける。

「最後はあの馬庭篤哉を散らしてくれ。くははは」

高らかに笑い、ボゥ・ズレベシャの街並みを見下ろした。

今頃、馬鹿市長の手の者が馬庭篤哉を追い込んでいるはずだ。

馬庭を捉えれば莫大な報酬を渡す。

ヘラとロベルトのサイン入りだ。ジョゼフは信用ならなくとも、総監腹心の組頭の口利きなら疑えるはずもない。

「イラカの市長は堅物だったようだが……ふん」

血の臭いが充満してきたので、部屋から出る。通りかかった使用人に片づけるように言った。

廊下の窓から覗く防壁も、八割方完成している。

自分の前に引き摺り出される少年の姿を思い浮かべて、冷笑せせらわらった。

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